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出会い2
彼はひっそりと生きている。
人間が怖い。
知らない人が怖い。
家族以外とは口が利けない少年時代を過ごした。
学校にはほとんど行っていない。
そんな調子だからイジメられたからだ。
イジメはそれなりに酷かった。
でも、その行為よりも、いじめる連中の表情や、何より声の汚さに耐えられなかったからだ。
母親は泣いた。
「お前は生きていけるのかしら。私はずっとはいてやれないのに」
母親は彼のことを責めることはなかった。
ただ、母一人子一人だから、一人になってしまう彼を心配したのだ。
その気持ちは分かっていた。
彼も母を愛していたのだ。
母が分かっているよりも深く。
人にはわかりにくいでも、深い愛情で。
だから勉強は嫌いじゃなかったから、自分で勉強したし、母が相談した支援団体のカウンセラーに、彼は自分で手紙で相談し、あちこち紹介してもらい、その結果15才から、清掃会社で働かせてもらえることができた。
ビルのメンテナンスや、引っ越し後の清掃がメインの会社だ。
床のワックス掛けから、窓拭きもするし、トイレ清掃、風呂掃除、換気扇の清掃から網戸、雨戸まで綺麗にする。
人と話は出来ないが、仕事振りは真面目で丁寧で速い。
二人でするところを一人でやってのけたりもするので、会社から人と一緒にしないでもいい仕事を回してもらえることも多く、結構、彼には合っている仕事だった。
母はホッとしたようだった。
彼が18の時、苦労ばかりの人生を突然の病気で終える時、母は安心したように言った。
「生きていけるわね?・・・私がいなくても。あなたはこう見えて強いから」
自分で仕事を見つけ、やっていけることを見せれて良かったと彼は思った。
母が安心して死ねたから。
母に愛を伝えたかった。
母に感謝を伝えたかった。
だから母がそう言ってくれたことが嬉しかった。
「最後に歌ってくれる?・・・あなたの歌が好きよ」
母はそう言ってくれた。
だから彼は歌った。
歌は流せない涙の代わりだった。
歌は伝えられない感謝の代わりだった。
歌はどれだけ愛しているかを伝える手段だった。
母は涙を流した。
「ねぇ、あなたはしゃべれないけど、ちゃんと伝えてくれているのよ・・・私も愛しているわ・・・」
母は微笑んだ。
そして、亡くなった
母親は音楽が好きだった。
生まれた子供が言葉を苦手としていることを知ってからは、さらに家には音楽が溢れた。
話すことのない子供は、歌なら歌ったからだ。
言葉よりも音楽が、その子供の言語だった。
小学校に入るより前には子供はどんな歌でも歌えた。
一度聞きさえすればどんな歌でも。
母親は子供に特別な才能があることは分かった。
でも、子供に特別な教育を与えてやれるゆとりはなかったし、何より、子供は決して母親以外の人前では歌わなかった。
言葉も、歌も、子供にとっては人に向かって使われるものではなかったのだ。
ただ、言葉よりは歌の方が楽に出るらしく、成長するに従い、たまに人前でも歌うことはあった。
母親の友人が息子の死に耐えられなかった時があった。
「もう生きていたくないの」
友人は母親の手を握り泣いた。
母親もその姿にかける言葉もなかった。
それまで、部屋の隅で本を読んでいたと思っていた子供が近寄ってきた。
もうこの頃には学校に行っていなかった。
10才だっただろうか。
友人も風変わりな子供が近寄ってくるのに驚いた。
母親も呆気にとられていた。
子供は人から逃げることはあっても近寄ることなどなかったからだ。
子供は人と目を合わすのが怖くて伸ばしている前髪をかきあげて、友人を見つめた。
美しい子なのだ、友人は思った。
そして、静かに歌い始めた。
それは、歌詞のないメロディだった。
無邪気で柔らかで、良く知っているようなメロディ。
思わず聞きほれているうちに気付く。
この歌は、息子なのだと。
息子の笑い声がした。
息子の話声がした。
歌の向こうに息子がいて、友人に向かって笑いかけていた。
そのイメージはあまりに鮮烈で、まるで目の前に息子があるようで。
いや、違う。
歌は友人の中にある息子を呼び起こしているのだと、友人は気付く。
この鮮やかな息子の姿は、自分の中にしか、もうないものなのだと。
歌が終わった。
子供は何もなかったかのように部屋の隅に戻り本を開く。
友人は涙を拭った。
「ありがとう・・・息子は私の中にいるのね」
言葉が届いているとは思えない様子の子供に言った。
生きていける気がした。
「素晴らしい子ね」
友人は母親に心から言ったのだった。
たまにたまに。
誰かの為に、歌われることはあっても。
悲しみを慰めるために。
死に行く人に勇気を与えるために。
もう一度戦う勇気を与えるために。
その歌の多くは二度と会うことのない人達のために歌われた。
彼の歌は、母親以外はめったに聞けるものではなかった。
時折、仕事中に歌われることがあっても、彼は一人で仕事をしていたし、それは真夜中の人のいないビルだった。
そんな風に彼の歌は世界に響いていた。
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