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恋人3

 自称恋人は彼の休みの前、仕事明けに迎えにやってくる。  もう、数ヶ月になる。  そして、部屋に連れて行かれて、玄関でいきなりだったり、風呂に入りながらだったり、ベッドに横になった瞬間だったり、いろんなパターンはあっても、とにかく、いやらしいことをされる。  彼が頑なに拒否する、挿れられるのと、口でするのだけはしないけれど、それ以外でなら色々されてしまっている。  拒否しても、軽く流されて・・・気持ちよくて・・・。  流されていた。  後ろの穴で、指だけでイかされる位には・・・流されていた。  「そろそろ、もっと大きいのが欲しいでしょ?」  囁かれているし、そんな気持ちに自分もなってしまうのも時間の問題だと分かっていた。  恋人。  ただいやらしいことだけされるなら恋人じゃないことは分かっていた。  本は良く読んだ。  大抵が星や宇宙の本でノンフィクションばかりだったけれど、恋愛のある物語だって読んだことはある。  だから、男が休みの日にプラネタリウムに連れて行ってくれたり、水族館に連れて行ってくれたり、音楽を聞きに連れて行ってくれるのは、デートなのだと理解し、それは恋人同士のすることだと納得はしていた。  男はプラネタリウムや水族館は本当は興味がないのではと思った。  男の部屋にそれに関する本は一冊もなかったからだ。  気にして聞く。  「君が楽しければ楽しいし、見てみたら面白いし、君が後で説明してくれたらもっと嬉しい」  男はそう微笑んだ。  これは、良い恋人のような気がした。  そして口だけじやなく、彼が風呂から上がったら、男は星図を買ってマンションの窓から唸りながら星をみていたりしていた。  連れて行ってくれる音楽は素晴らしかった。    オペラ、ミュージカル、ピアノリサイタル。  高いチケットだからと断る彼を連れて行く。  音楽は素敵だった。  色に溢れていた。  でも、一番好きな休日は、男がピアノを弾くのを聞いている休日で。  そんな時には彼も歌った。  初めて男の前で歌ったような歌ではなく、誰かが、どこかで歌った歌を。  男は彼の歌が好きだ。  歌で男に触れるのは、身体で男に触れるのとは違う、親密さがあった。  男のピアノ。  彼の歌。  「あなたのピアノが一番好き」  心から彼は言った。  そう言われた時の男は、普段の手慣れた態度ではない、年相応の青年のように照れたように笑った。  分からないなりに、この男とはなぜ言葉を交わせるのか、この男には何故触れられてもいいのか、離れる時何故淋しいのかの答えに彼は辿り着きかけていた。  それは淡い、恋心だった。  でも、それは起こった。  「急ぎの仕事で迎えに行けない・・・」  男から電話があった。  男が作曲をしているのは知っていた。  光が重なり合うような曲だった。  素敵だと思い、そう言った。  彼は誉めたら嬉しそうに笑うのに、その時は難しい笑顔だった。  「そうだね」  それは気になっていた。   会えないのは寂しいと思った。  「・・・寂しいかも」  呟く。  電話の向こうで男が息を呑んだ。  彼の口からそんなことを言われたことはなかったからだ。  「明日、昼には迎えに行くから」  男は強く言う。  「無理しなくて・・・」    彼は気にする。  「絶対行くから」  電話が切られた。  彼はクスリと笑った。  本当に、この人はオレに会いたいんだ。  幸せな気持ちになった。  甘くかけられた言葉が嫌いだったわけじゃない。  優しくされるのが嫌いだったわけじゃない。  ただ、腑に落ちなかったのだ。  この人が自分に構うのが。  でも、今、納得できそうになった。  この人、オレに会いたいんだ。  嬉しい、と。  自覚した恋心だった。  自覚してしまったら、止まらなかった。  邪魔しないならいいかな。  男にあたえられた男の部屋のカギを握りしめる。  邪魔しないから、ちょっと顔見たら帰るから。  彼は通勤用の原付のヘルメットを取り出した。  バイクで40分。  行って帰ってこよう。  そう決めた。  「恋人だから、いつでも来て」と渡されたカギを使って、男の家に入るのはすごくドキドキした。  邪魔しないように、そっと入る。  寝室の電気がついていた。  休憩しているのだろうか。  彼は寝てたら帰ろうと思って、そっと寝室の前に立った。    「ああっ、そこ・・・」  少し開いたドアから漏れる声に彼は凍りついた。  それは恋人の声だった。   彼は知っていた。  そんな声が出るのはどんな時か。  彼もそんな声を出してきたから。  「ここが好きだろ、お前は」  知らない男の声がした。  「いいから、黙って腰振れよ・・・あっ、いいっ・・・もっと」  彼の恋人の声が言った。  「相変わらずだな。生意気だ。だけど、身体はいい・・・奥まで犯してやるよ」  何かされたらしく、恋人は高い声を上げた。    濡れた肉が打たれる音。  甘い声。  奥をえぐって  そこっ   いいっ  恋人の声。  殺してやるよ   ほらっ  低く笑う男の声    彼は戸惑う。  どういうこと。  このドアを開けさえすれば答えがわかる。  開けてはダメ。  開けてはいけない。  そういう自分もいた。    でも、彼は開けることを選んだ。    開いたドアの向こうには、いつも恋人と寝ていたベッドがあった。  そして、知らない男に背後から穿たれている恋人がそこにいた。  恋人は、淫らに尻をくねらせ、獣のように貪る男のモノを受け入れていた。  いいっ    恋人か叫ぶ。    彼は立ち尽くした。    知らない男が顔をあげた。  「誰だお前は?」  男は言った。  30代半ばの、恋人より背の高い、ちょっと陰のある男だった。  恋人の頭をシーツに抑えつけるようにして、背後から腰を打ちつけているところだった。    そして、恋人がこちらを見た。  恋人が凍りつく。    何故そんな傷付いた顔をする。  他にも相手がいるのなら。  彼は冷静に思った。  そして、背中を向けた。    違ったのだ。  違っただけだ。  他にもいてる恋人の一人だったんだ。   母の恋人のように。  胸が痛い。   でも、ここでは泣かない。  彼にもプライドがあった。  傷付けた相手に、泣き顔などみせてやるか・・・。  彼はそう思ったのだ。  彼は歩き出した。  泣くのは帰ってからだ。  この部屋にいる時は泣かない。  彼は落ち着きはらって去っていくように見えただろう。  彼は心を決めたから。  「待って!」  叫んだのは恋人だった。  「おい!」  男を突き飛ばし、走ってくる。  後ろから抱きしめられた。  「行かないで、お願い、行かないで!」  恋人は叫ぶ。  彼は振り返り見えた恋人の首筋に、キスマークを見つける。  おそらく、身体中にあるはず。  彼にもあったみたいに。  恋人は服一枚脱がないでする夜もあったことを彼は思い出す。  そうか。  隠してたのか。  冷たいものが心に落ちる。  「誰だ、そのガキ」  知らない男の方が恋人より冷静だった。  頭をかきながら、真っ裸でやってくる。  恋人が抱き締める彼に目を止める。  パッとしない格好、前髪に覆われた顔。  男は顔をしかめる。  「貧相なガキだな」  顔を見ようと、指が前髪に伸ばされた。  彼は触れられるのが嫌で身体を強ばらす。   「触るな!触ったら殺す!」  恋人が怒鳴った。  男は驚いたように手をひいた。  「コイツはお前の何だ?」  男は恋人に聞く。  「僕の恋人だ!」  恋人は強く彼を抱き締める。  「・・・まあ、俺はお前が誰と寝ててもいいけどね」  男は肩をすくめた。  「帰ってくれ、欲しいモノは渡しただろ」  恋人が怒鳴った。  「・・・この事態は俺のせいじゃない。お前のせいだろ」  呆れたように男は言った。  「シャワーくらいは借りるぜ」  それでも男は納得したようだった。  「お願い、話を聞いて。お願い。話だけでも聞いて」  恋人は懇願する。  どんな話を聞けばいいのだろう。  違う男に吸わせていた痕の散る胸に抱き締められて。  さっきまて、違う男のモノを挿れていた穴から、違う男の精液を垂らしているこの恋人から。  知らない男の香水の匂いがした。  肌と肌を合わせているから移る香り。  胸が痛い。  痛む。  耐えられない。    でも、泣かない。  彼は身体を強ばらす。  やっと、柔らかく身体を預けられるようになったのに。  シャワーをさっさと浴びた男が、濡れた髪にジーンズだけ履いて通り過ぎていく。  Tシャツは肩にかけたままだ。  「ちゃんと話、しろよ。俺はお前との関係を変える気はない。納得してもらえ」  男は傲慢に言い放った。  「・・・お前が、恋人ねぇ」  ため息をついた。  「うるさい。さっさと帰れ!」  恋人は怒鳴った。  男は肩をすくめて、出て行った。  「離して」  彼は言う。  「嫌だ、離したら逃げる」   恋人は泣く。  「話は聞く。でも、他の男の匂いとか痕をそのままで、俺に触らないで」  嫌悪をむきだしにして彼は言った。    「あっ・・・ごめん」  恋人は手をほどいた。  「せめて、シャワー浴びてきて。リビングで待ってるから。逃げないから」  彼は努めて冷静に言った。  「うん・・・」  恋人は切ない顔で頷く。  そして、自分の身体を見回し、絶望的な笑顔を浮かべた。  そこにはどこにも言い訳のしようがなかったからだ。   「待ってるから」  彼は冷静に言った。  恋人は、恋人だった男は何度も振り返りながら、バスルームに消えていった。  彼は唇を噛み締める。  やり通せる、そう思った。  「17から抱かれてる。たまに抱かれて曲作るのが僕の仕事だ」  リビングのテーブルで向かいあって座りながら男は彼の目を見ないて話し始めた。  「曲・・・?」  彼は首を傾げる。  男は薄く笑った。  リビングのオーディオをリモコンで操作した。  曲が流れる。  彼でも知っている流行歌だ。   可愛らしい女性歌手が歌い、大ヒットした。  彼も透明感のあるメロディが気に入ってよく仕事中に歌った。  「これの原型作ったのは僕」  男は言った。  リモコンを操作する。  ピアノだけの音。  男の演奏だ。  光が見える。  こんな時にでも、彼は夢中になってしまう。  男はクスリと笑った。  でも、違った。  さっきの曲とは違った。  こちらの方がいいのだ。  彼の好きな光でできた音楽。  彼は顔をしかめる。     出来上がったモノが原型よりわるいってのはおかしい。  「あの人らしくしてるんだよ。味付け」  男は言った。      「僕は   という作曲家の抱える下働きの一人なんだよ。  という作曲家は一人の人間が監督する作曲集団にすぎない」  男は言った。  プロデューサーとしても有名なその名前は彼でも知っている。  それがさっきの男なのかと彼は思った。  「あなたが作ったままの方がいい」  彼は正直に言った。  男の目が震えた。  涙をこらえるように。  「僕の名前では売れない。あの男の風味とあの男の名前でないとだめなんだ」  男は呟いた。    

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