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不安2
男は信じられないと言った顔をしていた。
見事な不意打ちの一発だった。
目の前の、小柄な綺麗な顔をした彼からそんな一発が飛び出してくるとは思いもしなかった一発だった。
立ち上がれない。
膝に力が入らない。
彼の一発は綺麗にこめかみを打ち抜いていたため、脳が完全に揺らされているのだ。
男は苦笑する。
この綺麗な顔の彼でなければ、好きなように殴られ、蹴られても仕方がない状況だった。
でも、彼は男を軽蔑したように見下しただけだった。
「お前、喋れるじゃないか」
男は彼を見上げて言った。
彼は黙ったままだ。
もう喋れる時間も、彼が男に付けたかった話も終わったらしい。
「あの人があんたのモノだったことなど、一度もない」か。
男は先程までとは違った目で、彼を見ていた。
なるほど、お前はそんな見かけだが、大した男だよ。
震える脚で男は立った。
力が入らない。
苦笑する。
本当に見事な一発だった。
「確かにな、俺の物だったことはないかもな」
それがあったかもしれない可能性は、酒を飲んで意識を失った少年を残し、取り巻き達が下品な笑顔で部屋を出て行った時に。
「お気に入りでしょ」と囁かれ、少年が自分のために、用意されていることがわかった時に。
それでも、介抱だけにしようと思っていたのに、少年の力無く横たわる姿を見ていたら、身体に触れたら、止まらなくなってしまった時に。
全部消えたのだ。
ライブ会場でピアノを弾いていたのを見た時から、心を奪われて。
才能に、その容姿に、その気性に。
懐かれ、慕われたら嬉しかった。
全部壊したのは、俺だ。
自覚はあった。
「でもな、アイツはお前のモノにもならないよ」 男は彼に言った。
「俺は知ってる。アイツが一番大事なのは、自分だけだ。だから、嫌いなはずの俺のところにずっといた」
音楽を作らせてくれるから。
全て完成させて形にしてから、この男は恋人の曲をアレンジしていた。
恋人は世の中には出なくても、完璧な形の自分の曲を作り出すことは許されていたのだ。
金に糸目をつけずに。
それは、恋人には魅力だったはずだ。
「アイツは結局、自分が作るものしか見ていない。今は自分が作りたいモノを作るだけでは飽きたらず、そのままの形で世界に送りたいと思ったから、俺の元を離れただけだ」
男は言った。
「お前だけを選んだわけじゃない。俺が必要じゃなくなっただけだ」
自分の作った物にアレンジをされるのが嫌になっただけだ。
「アイツは俺よりも残酷な男だ。自分の作るモノに必要な誰かが、何かが出てきたら、捨てられるのはお前だよ」
男は哀れむように言う。
どちらがいいのか。
決して愛されないのに、執着するのが。
深く愛されていても、いつか捨てられるのがいいのか。
彼は男の言葉に首を振った。
そんな言葉は信じない。
「・・・今日、わざわざ興信所に調べさせてまでお前に会いに来たのは、アイツが選んだお前を見にきたのもあるが、伝えて欲しかったんだ。アイツは俺からの連絡は一切受け付けないんでね、もう伝えるルートすらないんでね」
男は苦笑いする。
「今アイツが準備しているステージの成功次第では、今後はまた音楽の世界に戻れるようにしてやってもいいと・・・俺はこれでも本当にアイツが可愛いんでね」
音楽の世界に戻ってくれば・・・また近くに来ることがあるならば・・・捨てられない執着。
男は自分の愚かさを笑う。
でも、男は彼をも笑う。
「・・・お前もいつかアイツを失うさ。今は俺の負け惜しみにしか聞こえないだろうけど」
男は脚の力が戻ったことを確認し、ゆっくりと歩き出した。
彼はその背中を見つめながら思った。
そんな言葉は信じない、と。
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