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女1

 これは浮気じゃない。  男は確信している。  女の情欲を掻き立てているだけだ。  赤い唇を割り、舌を絡ます。  女の舌が絡まってくる。  それを弄ぶ。  気持ち良くないとは言わない。  下半身に熱もたまる。  ・・・でも、それだけだ。  今までならシてた。  でもしない  彼が嫌がるから。  そんな理由で止まれるほど、彼を愛している。  唇を離した。  そして、言う。  「歌え!」  これは命令だ。    女は笑った。  淫らな笑顔だ。  だがこの女の歌はもっと淫らだ。  そこがいい。    女は歌い始めた。  男が教えた通りに。  完璧なリズム、音は外されることなく。  全てを要求した通りに歌う。  男は感心する。  この女はいい。  本当にいい。  素晴らしい楽器だ。  女は自らやって来た。  男は一部の、知っている人達には自分があの男の名前で作曲していることは知られていた。  あの男の言う通り、一人の名前をつかった作曲家集団だと。  あの男を恐れてそれをおおっぴらに口にするものはいなかったが。  いや、この女は恐れなかった。  それどころか、この女は自分からやってきた。  ステージで使って欲しいと。  男が何なのかを知っていた。  あの男を恐れずに自分を使えと言った。    まだ若い、無名の美しい女。  恐れを知らない女。    興味を持って歌わせてみた。    悪くはなかった。   基本的なテクニックはあった。  何より「自分」がないのが良かった。  野心だけは溢れるほどにあったけれど。  なるほど、オーディションに落ちまくるわけだ、とも思った。  彼女は正直に言う、誰とでも寝たけれど必要な役をくれる人はいなかった、と。  選べたなら、男も彼女を採用しなかったかもしれない。  面白いと思いながら。  でも、今回のステージはアマチュアばかりで、正直このままでは成功は難しかった。  彼女を選んだ。  女を育てるには時間がなかった。  今回のステージは物語仕立てで。  一つの物語になっていた。  恋人に出会い、恋し、別れ、歩き出す。  女にはそれを歌で表してもらわなければならなかった。  女のために曲も書き直した。  この女次第だと分かった。  この女が、ちゃんと歌えさえすれば・・・。  時間はなかった。  才能からすれば、ちょっと歌える程度だろう。  ただ、豊かな声量をしていたし、人の耳に残る声だった。  ただ、女にはいいところがあった。  無駄な自我や、無駄な陶酔が一切なかった。  この女には歌に思い入れさえなかった。  「有名になりたい、成功したい」  そんな想い以外は何もない女だった。  だからこそ、こちらの望み通りに歌った。  男は気に入る。  「歌に感情なんてこめて歌うのが一番だめなんだ」  男は言い切る。  「こめて歌うのは素人だ。プロならば感情を表現するべきだ。テクニックで」  どう歌を構成するのかで、感情を表現するかで、音楽は作らなけばならない。  ただ、悲しくなって歌っているのは、悲しい歌ではない。  リズム、声の刻み方、発声、ビブラート、裏声、技術で「悲しい」を作り上げるのが「音楽」だ。  女は男が望通りに歌うことに、全く抵抗なく、素直にやってのけた。  良い楽器だった。  これは、作り手からは最高の歌手だった。  特に一つの世界を作る時、個性は邪魔になることもある。  男が一番嫌いなのは「心を込めて」歌っているつもりの中途半端な歌だった。  下手で素直なアマチュアの方がよっぽどマシだ。  今回アマチュアばかり使っているのも、それもあった。  ただ、この女・・・本当に野心しかなくて。  そのまま歌わすには色んなモノが欠けていた。    だから、これはまぁ、「演技指導」だ。  そう男は思っている。  この女は「恋」や「愛」も知らない。  人を利用することしか知らない。  これで、この感覚のままステージに上がってもらうわけにはいかなかった。  優しく恋人と声を絡ましあう、デュエットも、切ない恋に身を震わせる夜も、この女には分からない。  心を込めて歌う必要はないが、心を表現してもらう必要はある。  理解してもらわなければならなかった。  汚い身体を使ったおねだりが出来るだけだ。  根本的に人間性が汚い。  男は頭を抱えた。  それで、今、疑似恋愛をしている。  女が言ったのだ。  「分からないから教えて」と。  女も必死だった。  女もこのステージに賭けているのだ。  女と恋人の真似事をしている。  ステージのためでなければ、しない。  恋の真似事。  恋を知らない女のために。  女はセックスすら知らなかった。  いや、セックスは知っている。  人を支配する道具としては知っている。  それなりのテクニックも。  でも、女は快楽は知らなかった。  だから、身体を使って成り上がることもこのままでは無理だっただろう。  人を支配するには快楽への理解が必要なのだから。  残念ながら上手く利用されるだけの野心ばかりの女だった。  今はまだ。  どういう育ち方をすればこうなるんだ。  男は思った。  でも不快感はなかった。  女の必死さは嫌いではなかった。  女は何かになろうとしていた。  今は三流のコールガールみたいなものだとしても、そこから這い上がろうとしていた。

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