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曲3

 男の上機嫌ぶりに女は苦笑した。  どうせ恋人が何かしたのだろう。  この男の単純さは可愛い程だ。  そのくせ、さっきまで女の口を犯していたのもこの男だ。  挿れてないから、セックスじゃないなんてバカバカしい。  女は裸のまま、タバコをふかす。  「僕の前ではタバコ吸うの隠さないわけ」  男は服を着ながら笑う。  洗濯した服に着替えている。  女といた時の服はコインランドリーで回している。  徹底している。  女から見れば、浮気の上手な男でしかない。  でも、平然と女を切るのもわかっているから、何も言わない。  「あなたに今更取り繕ってもね」  女は笑う。  この男といるのは楽だ。  本性がバレている。  この男はそんな女を軽蔑しない。  せっかく生まれたのだ。  どんな手を使ってでも成功したいと思って何が悪い、女は思っている。  「僕はお前の性悪なトコ嫌いじゃないよ」  男は笑う。  多分、この男も女といると楽なはずだ。  男の恋人は綺麗すぎる。  この男の内面だって、女と同じで歪んでいるのだ。  女にはわかる。  舞台はもうすぐ発表だ。  良い作品になるだろう。  ライブのような、ミュージカルのような、舞台と観客が一体となるステージ。  でも、確かに。     男も、こっそり感じているのを女は知っている。  何かもう一つ足りない。  もう一つで完璧なのに。  男が鼻歌を歌っていた。  女はその歌に驚く。  何。それ。  それ、何。  女は裸のまま飛び起き、男の腕を掴んだ。  「どうした?」  男は驚く。  「その曲は何?」  女は叫ぶ。  「僕の恋人が僕のために作ってくれた曲だ」  男が女の剣幕におされるように言う。  「その曲!!その曲を使うのよ!!」  女は叫んだ。    私が、この曲を歌う。  あの場面で。  それで全てがうまくいく。  女は確信していた。  そして男も理解する。  「ああ・・・」  確かに、あの場面でこれを使えば。  作品は完璧となる。  でも、男は首をふる。  この曲は極めて個人的な。  男のためにだけ書かれた、ラブレターなのだ。  男の提案に彼は首をふる。  彼には受け入れ難い。  自分の曲が大勢の前で演奏され、歌われるなんて。  あの歌は極めて個人的なラブレターだった。  男への。  言うならば恋人へのセルフヌードをネット公開しろと言っているのに等しい頼みだった。  彼の誰にも見せない内面を表したものだった。  男にならいい。  でも、知らない人達になどにみせることなど、できない内面だった。  「だよね、分かってる」  言ってみただけ、といった調子で男が言った。  「僕も、君を他の人には見せたくないし」  それは本気のように聞こえた。  彼はホッとする。  男のためなら、何でも出来ると思っていたけれど、いくら愛しい人のためでも、不特定多数の前で全裸になるような真似は出来なかった。  彼にだって羞恥心はあるのだ。  どうしても、どうしても・・・出来ない。  そのことで男が困ったり怒ったりするとしても。  出来ない、と思った。   嫌われるのかと思って涙ぐむ。  でも、出来ない。    どうしても出来ない。  そんな恥ずかしいことは出来ない。  「・・・泣かないで」   男は彼を抱きしめる。  「曲をくれたことが嬉しかったんだから。そんな風に泣かないで・・・僕が悪い」  優しく背中を撫でられた。  男は理解してくれた。  それが嬉しかった。  「彼は嫌だって言ってる」  男は諦めたように言った。  仕方ない。  彼の気持ちは分かる。  ただ、男の場合は表現者として生きてきたから、内面をさらけ出すのは全く抵抗はないけれど。  必要なら、内面だろうが内臓でも排泄物でも、さらけ出すのが表現者だ。  彼は・・・違う。  彼の歌も曲も、1対1で歌われるためのものなのは分かっていた。  彼には歌も、曲も個人に対するものなのだ。  「・・・嫌よ、私は」  女は淫らに男のものを扱きながら言う。   その指使いに男は呻く。  女の技術が上がったのは歌だけじゃない。  「歌うから。あの歌。歌詞をつけて」  女は平然と言い放つ。  珍しく男は弱気になる。  「彼が嫌がっているんだ・・・」  その言葉に力がないのを女は見抜く。  この男の弱味。  この男の望み。  素晴らしい作品を作ること。  巧みにいやらしく指を絡めていく。  男は呻く。  女は必要なことを学習することは誰よりも熱心だし、絶対に学ぶ。  この男の快感についてはもう本が書けるほどだ。 この男は気付いてない。   女は笑う。  私に官能や恋情のようなものを教えるために触れ始めたのだとしたら、もうその目的は十分達している。    でも、男は女に触れるのを止めない。  多分指摘したら、止める。   だから言わない。  男の中に女が入る余地ができていることわざわざ教える必要はない。  それを男が、知るのは入りきって追い出せなくなってからでいい。  「・・・喉を犯していいのよ」  淫らに笑い女を男のものを咥えた。   男は低い声で何か言い、女の後頭部を抑えつけた。  喉を犯される。  女は苦しさを楽しむ。  男が女のモノになっていくための苦しさなら、全ては快感でしかない。     この男は女を愛してはいない。   でも、女のモノになる。  放たれたものを飲み込み、女は淫らに笑いながら男を見上げた。  「あの歌はあの作品に必要なの。あなただって分かっているのでしょう」  女は言い、男がすぐに反論できないことを見極める。  「別にあなたが、されてたみたいにゴーストライターにするわけじゃない。名前を明かしたくないなら匿名でいい。ちゃんと彼の作品にして発表すればいいのよ」  女は優しく囁く。  男には迷いがある。  ほら、おいで、女は誘う。  「あの歌は必要よ」    あの作品のために。  男に迷いが見えた。  この男は恋人のためなら、命を投げ出すことも惜しまないだろう。  でも、今、恋人の曲をその意志に反して使うことを悩んでいる。  そうすれば、自分の作品が完璧になるから。  一つのピースを入れれば完璧になる作品を前にして、しかもそのピースを手にしているのにそうしないでいられる作り手はいるだろうか。  この作品は完璧になる。  それさえあれば。  ちゃんと彼が作ったことを示せばいい。  盗作じゃない。  作って、見てみたら彼も気に入ってくれるんじゃないか。  皆が感動するのを見れば、彼だって考えを変えるんじゃないか。  そんなことはないと分かっていながら男はそう願う。  こうすれば素晴らしい作品になると分かっていて、止められる監督はいるのだろうか。  俳優や女優を心が壊れるまで追い詰め、事後承諾で危険な撮影をさせる監督なら男の気持ちが分かってくれるだろう。   悪魔のような女が囁く。  「あの歌は素晴らしいの。閉じ込めていてはいけない鳥なの」  その言葉は男の思いでもある。  「ねぇ、歌は作った人だけのもの?出来上がった歌にだって、外へ羽ばたきたい思いがあるんじゃないかしら」  女は優しく男をかきいだく。    柔らかな胸に抱かれる。  甘い胸は罪悪感をゆるませる。    あの歌を閉じ込めてはいけない。  僕の作品の中で咲け。  それはきっと美しい。    「あなたは間違ってないわ。あの歌は世界に広がるべき歌なの」  女は優しく髪を撫でた。    赤い柔らかい唇が重ねられる。  男はそれを吸う。  男がしなければならないことは分かっていた。  そのために、しなければならないことは。    男のモノはまた高ぶっていた。   これから起こることが分かっていたから。    必要なのは裏切り。    女は甘く囁いた。  「挿れて」  その声に虫酸が走った。  でも、だからこそ欲望はこらえきれないほどで。  男は女のそこに、それを突き立てた。

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