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新しい日々3

 会場の熱気はすごかった。  「おおっ、やっぱり名前のあるイベントは違うな!」  友人は大喜びだ。  彼は今日はセコンドの一人としてついてきた。  ラウンド毎のインターバル中に選手が飲む水を会長に渡したり、座る椅子をリングの下から出したりする役だ。  何度もしているから、もう安心して任せられている。  関係者のための入場証を首からぶら下げ、ジムの名前の入ったジャージを着て、彼は試合までの雑用もこなす。  友人以外の選手の試合でも出来るだけ手伝うようにしている。  会長からの信頼は篤い。  真面目で研究熱心なので、会長がどうしても行けない試合などでは、会長の代わりに試合用のバンテージを拳に巻くことも任されるよつになっている。  「氷買ってきて」  会長に頼まれ、コンビニに走る。  試合中、傷口を冷やしたり、試合後に冷やしたりするのに使うのだ。  氷を買って帰りながら友人を思う。  減量も上手くいったし、減量からの回復もいい感じだ。  友人は勝つと信じている。  彼は緊張した。  まるで自分が試合するかのように。  これは友人には大きなチャンスなのだ。  コンビニから戻り会場に入る時、人だかりがみえた。  そして、少し・・・あの人に似た人を見かけた気がした。    まさか。      首を振る。  あの人はこういうところには来ない。  格闘技などに全く興味はなかった。  だからこそ、オレはここに来たのだ。  オレやあの人がいるはずもなかった世界へ。     彼は氷を持って控え室へ戻っていった。    試合も後半になれば、メイン級の扱いで、入場曲や煽りの映像が入場時に流される。  曲が流れる。  古いスタンダードな、でも、力強いロックだった。  今の音楽を遮断した彼には、ただの音にしか聞こえなくなっているけれど。  「勝ってくるな」  友人は笑って言った。  彼は頷く。  クローブと拳をぶつけ合う。  力強い歌詞が叫ばれる中、友人はスポットライトを浴びながら、リングの上に立った。  観客の歓声に両手をあげて応える。      格好良いな。   彼は誇らしく思う。  ここに来るまでの日々を知っているからこそ。  社会から疎外されていたオレ達。  君はここまで歩いたんだな。  コーナーポストの下で、準備をしながら彼は思った。    相手は外国の選手だった。  褐色の肌、国技がキックボクシングである国の。  呼ばれてくる外国人選手には二通りいる。  日本人選手を勝たせる為の、やる気のない弱い選手だ。  咬ませ犬と言われている。  試合会場を盛り上げるために派手にヤられるために呼ばれる選手だ。  友人が中国でした試合も、咬ませ犬として呼ばれたのだった。  ただ、友人は期待されたように弱くはなく、スター選手を逆に倒してしまったのだけど。  格闘技は予定通りにはいかないのだ・・・・。  そして、咬ませ犬としてではなく呼ばれる外国人選手は、本当に強い者が呼ばれる。  なんなら、今後も使うために、派手に日本人選手を屠ってくれるような選手がいい。  そして、いつか日本人のスター選手がソイツを倒す方が盛り上がるからだ。  今回の友人の対戦相手は、強い外国人選手だった。  そう、今回も友人はヤラれ役として呼ばれたのだ。  でも、その役割は自分次第でひっくり返せる。  ひっくり返して欲しかった。  対戦成績も、水増しされたものではなく、本当に勝ってきた、本物のファイターだった。  成績から見れば、友人とはまだレベルが違う選手だった。  笑顔でリングに立つ、その笑顔の奥の目は、獰猛な闘志が見えていた。    そして、ゴングが鳴り試合が始まった。  ゴングと同時に褐色の選手が突っ込んできた。  友人は防御する。    ・・・ガードごと吹き飛ばされた。  見たこともないほど、凄まじい蹴りだった。  凄まじい攻撃力に友人の身体が揺らいだ。  そこへ追い討ちの一発がやってきた。  めり込まされるボディパンチ。  開始数秒で友人はリングに膝をつかされていた。  会場が歓声に包まれる。  圧倒的な強さ。  驚嘆の声。  コーナーから彼は友人に叫ぶ。   会長と一緒に。  「立ち上がれ!」と。  でも、立てたところでダメージは深く、まだラウンドは長く、相手が追撃を弱めることはないのは明白だった。     立ったところでどうする?  どうする?  彼は泣きそうになる。  相手がこんなに強いなんて。  それでも友人は立ち上がった。    カウントのギリギリまで身体を休めて。  その目は相手だけを見ていた。  睨みつけていた。    諦めてなどいなかった。  ファイティングポーズをとり、戦う意志をしめす。  でも、内臓に撃ち込まれた一撃は、意志などとは関係なく身体の自由を奪っているはずだ。  レフリーが試合再開をつげる。  倒すべく、飛び込んでくる敵。  出来ることは、しがみついてパンチや蹴りを撃たせない戦いにするしかなかった。  日本でのキックボクシングの試合では、身体を密着させた戦いを禁じるルールが多い。   見ている方が膠着した戦いの意味が分からなくて、退屈するからだ。   今回のイベントは外国から選手を沢山呼んだ本格派を歌ったイベントなので、互いに相手の首に腕を絡ませ合いながら戦う、「首相撲」と呼ばれる戦い方も認められていた。  首相撲では単純な攻撃では相手を支配できない。  相手の身体をコントロールしながら、膝などで攻撃し、相手の体力を削っていく技術が必要だ。   言うならば、消耗戦だ。  おそらく、これも友人より、相手の方が分がいい。    外国人選手の技術はこういったところでもはるかに高いからだ。  だけど、友人は必死でくらいついた。    体力をどんどん削られてはいくが、少なくとも、離れた瞬間に受けるだろう攻撃は避けられるからだ。  今、身体を離せばKOされるのは間違いなかった。  長い長いラウンドを友人は持ちこたえた。  ヨロヨロになって戻ってくる。  顔が蒼白だった。  「良く頑張った」  会長が言った。  「次のラウンドで勝負しろ。お前の体力はもうない。なんとか当てろ。お前の攻撃なら、当たりさえすれば相手は倒れる」  会長は言う。  聞こえているのだろうか。  彼がしたくから渡す水を飲ませる。  「喋るな、ゆっくり吸って、ゆっくり吐け。少しでも回復させろ」  唇の色が紫だ。  酸欠状態なのだ。  喋るなと言われたが、一言友人は呟いた。  「・・・殺してやる」  その目は向かいのコーナーの対戦相手だけを見ていた。  その目を彼は知っている。  まだ格闘技もしてなかった頃の、一緒に働き出した頃はずっとそんな目をしていた。  彼も何度も些細なことで殴られた。  常にイラつき、尖っていて世界の全てを憎んでいた。  彼にこの会社を紹介してくれたカウンセラーが、友人もこの会社を紹介したのだと知った。  カウンセラーの友人でもある、肝の据わった女社長は殴られた彼に友人に代わって謝りながら言った。  「手の着けようもない位乱暴な子なの。でもね、どうしようもない位優しい子でもあるのよ・・・ごめんね」  その言葉の意味はずっと後にわかった。  今、狂暴さだけを満たし、友人はそこにいた。  「殺してやれ」  会長は感嘆しながら言う。  どんなに強者の前であろうと、どんなに追い詰められようと戦うことを諦めない者への敬意はこの世界の者ならば、絶対に忘れない。  「お前は賢い、格闘技に関してのみならな。アイツに次の三分間で自分の攻撃を当てる方法を考えろ」  会長は囁いた。  友人は頷いた。  ブザーがインターバルの終わりをつげる。  友人は立ち上がった。  「勝って!」  彼は叫んだ。  友人の目は彼を捉えた。  突き刺さるように。  そして、ただ頷いた。  リングの中央へと歩いていく。  勝負を決めるために。  友人から仕掛けた。  もう次のことは考えていない。  このラウンドが勝負だった。  止まらぬ猛攻に、敵の顔色が変わる。  当たれば終わる攻撃だと悟ったからだ。  きっちりとディフェンスを固め、凌いでいく。  それは、一方的に友人が攻撃しているように見えたかもしれない。    彼は気付く。  彼はリングの上の音を拾っていた。  閉ざしたはずの音への回路が開いていた。  友人の攻撃は規則正しいリズムで、鮮やかな赤い音を刻む。  彼には分かる。  敵はそのリズムに合わせて踊っていた。  一つ間違えば危険なダンスを。  でも、確実にそのリズムを敵は捉えていた。  「駄目!リズムが読まれている!」  彼は叫んだ。  でもその時には、敵は友人の攻撃に合わせてパンチや蹴りを放っていた。  カウンター。  高等技術だ。  相手の攻撃を読み、相手が攻撃する寸前に自分の攻撃を当てる。  相手が攻撃してくるパワーも利用出来るため、与えるダメージも大きい。  何よりも、攻撃しようとする度に逆にパンチや蹴りを当てられる無力感は戦意をも奪う。  完全にリズムを読まれていた。  必死でパンチを繰り出す度に、相手の攻撃を食らった。  戦えば戦うほど、ボロボロになっていく。  まるで虐殺ショーで、会場は静けさに包まれた。  これは実力が違いすぎる。    レフリーが止めるか、コーナーがタオルを投げるかの判断を迫られていた。  会長がタオルを掴んだ。  仕方ない。  彼は泣いていた。  そんなそんな・・・。  友人は懲りることなくパンチを繰り出した。   そのリズムは友人の血に染まったように赤かった。  鮮血のリズムを彼はリングに聞く。  ゾッとする音だった。  やられる、  そう、彼は思った。     敵も倒せる、そう思っただろう。    トン  友人のゆっくりとしたパンチが相手のボディを撃った。  ゆっくりしたスピード。  今までのスピードとはまるで違う。     リズムの色が変わった。  赤から青いリズムに。  あまりにもゆっくり過ぎて、敵はよけれなかった。    敵のリズムが、くるった。    酷く殴られ腫れた顔で友人は獰猛な笑顔を作っていた。  そこから友人は今までとは違ったリズムで攻撃し続けた。  青く燃えるようなリズムを彼は見る。  焼き尽すような青。  スピードもタイミングもガラリと変わっていた。  調子良く慣れたリズムで踊りつづけていた敵は、それには対応できなかった。  赤いリズムで踊ることが、敵のリズムになってしまっていたのだ。  敵に攻撃のリズムを刻み込むために、友人は殴られつづけていたのだ。  この反撃のために。  もう、狂ったリズムを修正させる暇などあたえなかった。  強烈なパンチが敵の顎をとらえた。  おそらく、ここで敵の意識はなくなっていただろう。  でも、倒れることさえ赦さず、追撃する。  本気で殺すために。  顎、こめかみ、肝臓、胃  急所を容赦ないパンチで撃ち抜いていく。  敵はただ、撃たれるだけの人形になっていた。  意識はあきらかになかった。  それを救ったのはレフリーだった。  友人の身体を敵から引き離した  大きく手が振られた。  会場中が叫び声をあげていた。  大逆転劇だった  友人は膝をつき、両手をあげて吠えた。    彼も叫ぶ。      レフリーが友人の片手を上げ、勝利を宣言した時、会場は凄まじいうなり声をあげた。  彼はそれらをメロディーに変換し、恍惚としながら、涙を流していた。     この音楽は、一人の男が自分の意志で引き起こした、何よりも美しい物語だったからだ。  会長て一緒にリングに上がり、友人を抱きしめた。      「勝っただろ」  友人は照れくさそうに言った。  彼は泣きながら頷いた。  会長は声をあげて泣いていた。  そして、そんな彼らをみている者がいたのだった。  会場の誰とも違った温度で。  

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