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同居1
「あの、どういうこと?」
彼は途方にくれる。
何故、友人と男が一緒に家にやってきて、何故、男が当然のように荷物を自分の部屋に置くのかが全くわからなかった。
「ごめんね、キーボードだけは持ってきちゃった」
何故か友人がキーボードを運んでいる。
どういうこと?
どういうこと?
訳がわからなすぎて彼はフリーズしてしまっている。
「・・・とにかく、話は聞いてみろ。お前の嫌がることは絶対しないと言っているから・・・それに今のお前ならコイツくらい5秒で殺せるだろ」
友人は複雑な顔して言った。
あれほど男を嫌っていた友人が?
彼は言葉さえ出てこない。
「そうそう。君次第で僕は一瞬で出て行くし」
にこにこ男は言う。
慣れた様子で、台所に入って勝手に彼と友人と自分用にコーヒーまで入れだした。
「オレは砂糖二杯」
友人が言っている。
「OK、君はミルクだけだよね」
男は彼に向かって何か言っている。
何なの、これ。
彼はオロオロと辺りを見回す。
ここはどこなのだろう。
良く読むSF小説のように、違う世界に彼は紛れこんだのだろうか。
「寝るとこは絶対に別にしろ」
友人が注文をつける。
「ちゃんと寝袋持参してきたよ」
男はため息をつく。
寝る、この家で。
ここにいる気?
友人は、コーヒーを呑気に飲んでいる。
「君も立ってないで飲むといい」
男はリビングのテーブルの椅子を引く。
彼は動かない。
動けない。
友人はため息をついた。
「訳わからないよな・・・とりあえずコイツが説明するから。・・・後で電話するし、何かあったらすぐ電話しろ。いつでもコイツ本当に殺すし、何ならヤクザになった友達に頼んで死体を埋めてもらうから」
冗談ではない表情で友人は言った。
そして、まだ熱いコーヒーを一気に飲み干すと、さっさと部屋を出ていってしまった。
つまり、彼は男と部屋に二人きりで取り残されてしまったのだ。
「座ってよ」
男はリビングのテーブルで、悠々とコーヒーを飲みながら言った。
とうとうその態度に彼はキレた。
「ここはオレの家だ!!」
彼は怒鳴った。
本当に珍しく。
男の笑顔は変わらない。
「知ってる」
にこにこ笑う。
何が楽しいのか。
彼は怒りで頭がはちきれそうだ。
確かに友人が言った通り、今の彼なら男をボコボコに殴って外に放り出すのは簡単だ。
そうしようか。
珍しく荒っぽい考えが出てきた。
でも彼は深呼吸する。
まずは何が行われているのかを理解するべきだ。
彼は男の前に座った。
「何故あなたがオレの家にいる」
彼は当然の疑問を投げかける。
「君が歌っていないから」
男は真面目な顔で言った。
「・・・そんなこと、あなたには関係ない!」
彼は吐き捨てるように言う。
「ある。僕のせいなんだろ」
男が言った。
そんな目で見ないでほしい。
彼は思う。
苦しんでるような目なんかしないで欲しい。
「・・・放っておいて!」
彼は顔を背ける。
「ダメだ。絶対にダメだ。僕は君を傷付けた。でも君を殺すことだけは出来ない。僕のせいで君が死ぬのは嫌だ」
男の手が伸びて、顎を掴まれ、背けた顔を男の方へ向けられる。
触れられたらビクンと反応してしまう身体が嫌で、彼は男の手を振り払おうとした。
「離せ!」
彼は叫ぶ。
「ちゃんとこっちを向いてくれたら、離す」
男の言葉に、男の方を向く。
指は離れた。
名残惜しそうにゆっくりと。
「オレは死んでなんかいない」
彼は言う。
男の目を見つめながら。
目をそらせばまた触られる。
それだけは嫌だった。
「じゃあ何で歌ってないの」
男は言う。
これじゃ堂々巡りだ。
彼はため息をつく。
「趣味が変わることだってある」
彼の言葉を男は鼻で笑った。
「・・・趣味だって」
おかしそうに笑われますます腹が立つ。
「あまりバカにしないで。オレは侮辱は許さないよ」
彼は言う。
本気だった。
散々傷付けられたのに、何故笑われている?
あれほど人をバカにした真似をした相手に、何故今笑われているんだオレは?
「侮辱してるのは君だ。君が君を侮辱しているんだわからないのか?バカだな」
男は引き下がらない。
彼は頭に来た。
裏切ったくせに、侮辱まで。
こんなに頭に来たのは、あの男を殴った時以来だった。
男をゴーストライターにして支配していた男を殴ったあの日以来。
彼は立ち上がり、男を殴りつけていた。
そんなに本気だったわけではないと思う。
でも、男は吹き飛んでいた。
彼は冷静になる。
慌てて男の側にいく。
「なるほど・・・確かに5秒で僕なら殺せるね」
切れた唇の血を拭いながら男は言った。
彼は男を助け起こす。
彼は引き起こすとすぐに男から離れる。
身体を近くに置くことも嫌らしい。
男は苦笑する。
彼は冷凍庫から保冷剤をとりだす。
小さなケーキなどについているようなものだ。
男に手渡した。
「冷やして、それは腫れるよ」
格闘技やっていれば、さすがに殴られることにも詳しいようだ。
男は感心した。
言われたとおり冷やす。
「わざと殴らせたね」
彼は言った。
わざとこの人は。
怒らせた。
「・・・僕は君に殴られるべきだったからね」
男は唇を歪めて笑った。
「・・・今さら」
彼は低く呟く。
彼の言葉に男は頷く。
「そう、今さらだ。僕のしたとこは取り消せない。でも今からでも間に合うことはしたい」
男は言った。
「オレに歌わせること?」
彼は呆れたように言った。
「そう。何なら今歌ってみせて。君が歌えるなら僕はすぐにでも消える」
男は言った。
「そうしたら、ここから出て行ってくれるの?」
彼は疲れたように言った。
「オレが歌えば」
どうでも良くなっていた。
今日の朝まで、自分を裏切った男に余すところなく五年ぶりに貪られたばかりだ。
それだけでも心も身体もいっぱいいっぱいなのに、その日の夜に親友がその男を連れてきて、しかもその男は自分の部屋に居座ろうとしている。
こんな気の狂った話があるものか。
歌えばこんなものが終わるなら、いくらでも歌ってやる。
彼はヤケクソになっていた。
「歌って、そうしたら僕は消える」
男は請け合った。
彼は息を深く吸った。
歌おう。
ああ、歌ってどう歌ったのだろうか。
息がうまく吸えない。
彼は焦る。
音をあわせて声を出す、それだけのことができない。
彼は気付く。
この感覚は知っている。
人の前で話が出なかった時のあの感覚だ。
出そうとすればするほど、出るのは呼気だけだ。
彼は歌おうとする
歌は出てこない。
苦しい。
苦しい。
息が苦しい。
喉をかきむしる。
「もういい」
男が駆け寄り彼を背後から抱きしめた。
「ゆっくり息をして・・・」
腹をリラックスさせるように撫でられる。
「吸って、吐いて、そう・・・」
囁かれながら撫で続けられた。
心地良さに、彼は吐息をついた。
呼吸が戻る。
彼は慌てて男の手を振り払った。
離れる。
男の腕の中になどいたくなかった。
でも、分かった。
歌わないのではなく、歌えないのだと。
「・・・歌おうとすると呼吸困難になるのは、普通の人でもおかしいことだし、君に関しては致命的におかしい」
男は言った。
確かに、と思った。
話すよりも簡単にできていたことが出来なくなっていたのだ。
オレはおかしい。
彼は納得した。
「僕は君が歌えるようになるまでここにいる」
男は言った。
「ここにいるって・・・あなた、仕事は?」
彼は呆れる。
「ん?どうしても断れなかった一つ以外は断ってきた」
男はケロリと言う。
はあ?
彼は思う。
「そんなに簡単に断れるモノなの?」
彼は思わず聞く。
「さすがにもう仕事頼まれなくなるかもね。でももういい」
男は平然としている。
彼は頭を抱えた。
そうだ、こういう人だった。
前も平気で彼のために全てを捨ててきた。
でも、あの時と違って彼があの人を両手を広げて受け入れるわけがないのに。
「オレには迷惑でしかない」
彼は正直に言う。
そんな風に全てを捨てて押しかけられても、困るだけた。
むしろ面倒でしかない。
「知ってる。ゴメンね」
男は悪いとは全然思っていない声でいった。
彼は頭を抱えた。
殴っても蹴っても出て行かないだろう。
「家賃光熱費は折半ね」
男はしれっと言う。
居座る気満タンだった。
「・・・どうするつもり?どうやってオレを歌わせるつもり?」
彼は聞く。
カウンセラーとかそういうモノならともかく、男に何が出来るのか。
もっとも沢山のカウンセラー達が彼が人と話せるようにしようと色々してくれたが、誰一人成功しなかったけれど。
「・・・・」
男は笑顔で黙った。
「・・・何にも考えてないんだね」
彼は察して本当に呆れた。
押しかけてきていて何の考えもないなんて。
こういう人だった。
全てが行き当たりばったりの思いつきで。
出会ってすぐに欲しがられ、出会ってすぐに手に入れられた。
全部成り行き任せで、でも、意志だけは明確で。
「僕が原因なら、僕がなんとか出来るはずだ」
今も根拠のないことを自信満々で言い切る。
彼も決意する。
なんとしても歌えるようになろう。
じゃないとこの人出て行かない。
彼は頭痛がした。
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