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探索3
「練習しんどいでしょ」
会長は座ったまま立てない男に言った。
「はい、もう二度としたくないです」
男は正直に言った。
会長は笑った。
「普通そう。アイツだって、えらそうに君には言ってたけど、ゲロ吐いて泣きいれてたよ初日には。君のがゲロも泣きも入れてないから上ね」
会長は友人を指差しながら言った。
友人は止まらなくことなく、叫びながらサンドバックを打ち続けている。
「ただ撃つだけじゃなく、考えながら撃てよ!」
会長は声をかけた。
「・・・初日から全く根をあげないで、気絶するまでやりきったのは・・・あの子だけ」
リングの上でシャドウボクシングしている彼を会長は目を細めて見つめる。
「あんな頑張り屋さんはそうはいないねえ・・・それは才能以上に大事なんだよね、格闘技では」
会長の言葉を、へぇ、と男は聞く。
音楽に関しては彼は努力など全くいらないレベルなのだが。
「色々思い詰めててね、最初は一言も喋らなくてね、でもね、格闘技の世界ってのは強いヤツは勿論それが一番だから認められるけどね、頑張るヤツにもリスペクトが払われる世界なのよ。彼、頑張るからね・・・彼より強いヤツはこのジムには沢山いるけど、みんな彼には敬意を払ってるよ」
会長が言った。
彼はそうやって、自分の場所を作っていったのか。
男と音楽がない場所を。
必死で。
男は切なくなった。
かれはリングの上で仮想の敵相手にパンチを繰り出す。
美しく流れるような動き、軽やかなステップ。
踊るように美しかった。
「いいボクサーなんだよね、本当はウチみたいなキックボクシングジムより、ボクシング専門のジムに行った方がいいんだけど。ここをとても好いてくれてね・・・」
会長は彼が可愛いらしい。
それはわかると思った。
彼ほど可愛い生き物はいない。
「でも、本当の意味ではボクサーにはなれないね・・・本人もプロを目指してるわけじゃないからいいんだけどね。残念だよ。あんなにいいボクサーなのに」
会長の言葉に男は関心を持つ。
良いボクサーなのにボクサーになれない?
それはどういう意味だ?
「・・・それ、聞かせてくれませんか」
男は聴いたのだった。
何かヒントがあるかもしれない。
彼が帰ってきた。
シャワーを浴びて、朝食を食べるためにテーブルにつく。
「頂きます」
彼は手をあわせる。
こういうちゃんとしたところが男が好きところだ。
「味覚は戻った?」
男の言葉に彼は首を振る。
まだ、色もわからないままだ。
でも少なくとも、次に何かはまだ起こっていない。
自分に何が起こっているのだろう。
彼は思いを巡らす。
「仮説だよ、これはあくまでも、仮説」
病院から帰って来た日男は言った。
ジムに自分も行く宣言の後だ。
男は彼と友人にそう前置きして言った。
「もし、僕が音楽を辞めたらダメになるんだよね」
男の言葉に友人がすぐに突っ込んだ。
「いや、お前もう今でもダメだから。相当なレベルで」
男は友人を睨みつける。
「君の主観は関係ない!とにかく、僕が音楽作れなくなったらね、多分、酒か薬に溺れて野垂れ死ぬ」
男は断言した。
「沢山見てきたよ。作れなくなってダメになっていく人達。薬の力を借りてでも何とか作り出そうとして、でも作れなくてダメに、なっていく人達。君の世界にもいるんじゃないの?」
男は尋ねる。
友人は黙る。
素晴らしい選手が引退してからは落ちぶれる。
それは珍しい話ではない。
「何かをしてなきゃダメな人間てのはいるの。それが無くなったらダメになる。多分、君もそう。僕以上にそうならなきゃいけない。でも、君は一見ダメになってない、音楽が作れないことに苦しんでさえいない」
男は彼を見つめる。
それは恋人を見る目というよりは、同じ種類の人間を見る目だった。
「苦しまないはずがない。外からわかることがないとしたら、苦しんでいないと思っているとしたら」
男は彼の胸を指で押さえた。
「君は内部からゆっくり腐っていってるんだ」
男の言葉はやけに響いた。
「聞いてもいい?」
彼は味噌汁を飲みながら尋ねる。
味はしないが、男が作ってくれたものだ。
感謝を持って全て食べる。
「ん?」
男は優しく微笑む。
「音楽が出来ないと苦しい?」
彼は聞く。
自覚は無いのだ。
歌えなくなったことも、音楽がわからなくなったことも。
とりたてて苦しいともおもっていないのだ。
男はしばらく沈黙していた。
「・・・こういうこと言うべきじゃないんだけど。僕は君の曲を君に黙って使ったよね」
男は言った。
彼の胸が冷える。
辛すぎる思い出だ。
男のために書いた曲。
男への気持ちを綴った個人的なラブレターだった。
それを人前でさらされたていたことを知った時のあの屈辱を彼は忘れていない。
思い出した今でも、ほら、身体が震える。
自分で言い出しといて、男は苦しそうな顔をする。
どちらが傷付けた方なのかわからない。
「・・・僕は僕の作品を完成させるためなら、どんなクズにも成り下がる。二度と上演されることはないけれど、あの舞台は僕の最高傑作だ。それは君の歌があってこそ。・・・僕は音楽のためにならいくらでも最低にもなれる」
男は苦しげに言った。
「それくらい音楽だけが全てだ」
彼はそれについてはもう言わなかった。
あの屈辱も痛みも。
忘れたことはないから。
もう何も聞きたくない。
「オレも同じだと?」
彼は聞く。
自分にそんなモノがあるとは思わなかった。
人を傷付けてまでやりたいことなんて。
「僕とは形は違ってもね。君は作らずにはいられないはずなんだ」
男は知っている。
誰にも聞かせる意図などなく、歌い続けてきた彼こそが、歌わず、音楽を鳴らし続けることを止めることなど出来るはずがなかった。
何かかが彼の音楽をせき止め、そのせき止めたものが彼を壊していっているのだ。
「僕は君を絶対にもう一度歌わせる」
男は言った。
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