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奪還2

 「すごいのがいる」そんな話だった。  色々世話になった人間からの頼みだったから、最後まで断れなかった仕事だった。  テレビ番組の、歌のコンテストの審査員なんて勘弁して欲しい。  すごいのがいる?  どうせ「歌える」だけのヤツだろう。  そんなすごい才能なんて簡単には出てこないのだ。     ある程度リサーチして、出場を勧めた半プロみたいな連中が順当に勝ち上がっている時点で企画としては失敗だ。  でも、本当に埋もれた才能を掘り出すのは難しいから仕方ない。  本当に埋もれた才能は、埋もれたままでいることを望んでいるのだ。  埋もれた、才能。  男は彼を思った。  このままでは長くはない。  そう言われた。  手術をすると助かる可能性があるとは言われた。  でも、脳のそこは音楽に関する部分だと。    そこを切除すれば、もう音楽は出来なくなるかもしれないと。  そんな手術受けることなど出来るわけがなかった。  即答で断った。  誰を傷つけても、どうあってでも、作り続けてきた。  なのに作れなくなるかもだと?  死ぬことと音楽を作れなかくなることを計りにかれれば、答えは簡単だった。  ならば死ぬ。       でも、その前に彼に会いたかった。  最後に一目でも。    願いは叶った。  一目どころか、抱けた。   一緒にまた暮らせた。  彼に殴られることさえ出来たし。  結構、良かった。    殴る彼はあれはあれで良くて、ちょっと思い出しながらオナニーしてしまう。  新しい扉を開けたかもしれない。  楽しかったな。  男は満足していた。  後は終わりが来るのを待つだけだ。  思い出はあるし。    彼がどこかで、歌っていると思うだけで幸せだった。  さて、さっさとこの仕事を終わらせて・・・。  彼の思い出だけを抱いて、その日を待とう。  そして、審査員席に座り、歌を聞き、求められば 無難で楽しいコメントを言った。  どうでも良かった。  「次の子がすごいらしいよ」   隣りの席のタレントが男に囁いた。  「へぇ」  男は笑った。  どうでも良かった。  そして、ステージを見て凍りついた。  なんで、君がここにいる。

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