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奪還4
男は泣いていた。
声を上げながら泣いていた。
泣きながら聞いていた。
赦されることを望まなかったわけではない。
最後の最後。
彼に歌を返す瞬間まで、どこかで願っていた。
でも、彼の憎しみを知った時、それは諦めた。
結局のところ分かっていなかった。
どんなに愛してる、愛してると繰り返したところで、自分がしたことの意味など本当には分かっていなかった。
彼の痛みに触れた。
どれだけ愛されていたかも知った。
憎しみの深さも。
だから、もういいと思った。
彼に歌は返せたからいいと。
せめて、死ぬ前に彼から奪ったものを返せたからと。
なのに今、彼がやってきた。
あれほど人前で歌うことを嫌っていた彼が。
あれほど人前で歌われるのを嫌がった歌を彼が歌った。
これがどういうことか男には分かっている。
彼には公開中セックス並みの屈辱だ、これは。
でも、だ。
彼は僕を取り戻しに来た。
何をしてでも、僕を取り戻しにきた。
そのために、彼が最も嫌うことをやってのけてみせた。
僕が欲しいから。
ああ、そうだ。
僕は君のものだ。
最初から。
歌が終わった時、男は立ち上がっていた。
そして、ステージへと駆け上がっていく。
歓声とすすり泣きと拍手の中、先程までの全てを支配している王者のように歌っていたのが嘘のように、困ったように彼は立ち尽くしていた。
「 !!」
男はステージに上がり、彼の名前叫んだ。
彼は困ったような顔で男を見た。
戸惑い怯える、その顔。
あれだけのことしていて、その顔?
男は笑った。
泣きながら笑った。
「 さん?」
収まらない会場に困る司会者は、勝手に舞台に上がってきた審査員に戸惑った。
男は全く何も気にとめなかった。
彼しか見てなかった。
男は彼の元に駆け寄り、抱きしめた。
司会者は凍りつく。
「ちょっと・・・」
びっくりしたように彼が言った。
構わず、その顎をつかみ、唇を奪う。
会場に悲鳴が上がった。
司会者は、もはやどうすればいいのかわからない。
審査員が出場者にキスし始めたのだ。
舌を入れ、彼の舌に絡めようとした瞬間、殴られた。
結構本気のパンチだった。
唇を切って、ステージに転がった。
彼が震えながら拳を握り締めていた。
そんな姿も綺麗だと思った。
口の端から血を流しながら、思わず微笑んでしまった男に、彼は真っ赤になって怒鳴った。
「全国中継の生放送で、あなたは何をするんだ、このバカ!!」
完全に放送事故だった。
多分あの後、コマーシャルになったのだろう。
会場は大騒ぎになり、興奮した観客は騒いだままだったし、ステージの上も大騒ぎだった。
彼は横で大笑いしている男をもう一度、殴りつけたかった。
男は自動車を運転していた。
何だか、大騒ぎの中を二人で逃げてきてしまったのだ。
会場にいた友人はどう思っただろうか。
おそらく、職場の人達も、ジムの人達も、あの放送を見ているはずだった。
彼は頭を抱えた。
なんでここまでド派手にカミングアウトさせられ
ないといけないんだ。
まあ、確かにあの歌を歌った時点で、彼にとっては男とセックスするのを公開でやっているのと同じだったので、まあ仕方ないと諦めることはできた。
だが、それとこの男の態度は別だ。
男は大笑いしている。
面白かったらしい。
あの騒ぎが。
腹が立ってたまらない。
「・・・脳に異常がある人が運転なんかしていいの」
彼は言った。
「本当は駄目」
男は言った。
「運転代わる!!」
彼の顔色が変わる。
「もうすぐ着くからもういいよ」
男は言った。
男の家に着く。
それが、どういう意味か彼は分かって真っ赤になった。
男が微笑んだ。
「僕は君のモノだよ・・・君の好きにしたらいい」
男は言った。
意地悪く。
「・・・話とか、話とかあるでしょ、ほら、あなた何にも教えてくれなかったから」
彼は焦る。
「話す時間ならこれから、いくらでもあるでしょ」
男はマンションの地下にある駐車場に車をいれていく。
車が駐車された。
車が止まってしまった。
止まってしまった。
男が自分を見ているのがわかった。
身体が熱くなる。
でも、彼は男が見れない。
視線を合わせただけで自分がどうなるのかわからない。
「本当に話が先で、いいの?」
指が喉にふれられた。
それだけで身体が震えてしまう。
「本当にいいの?」
髪を弄れる。
それだけで喘いだ。
「言って・・・お願い」
男はそれ以上は触れずに言った。
彼は震えながら、顔をあげて男を見つめた。
美しい、アーモンド形の目。
その目には紛れもない欲情があった。
「・・・したい」
彼が震えながら言った。
そこは勃ちあがり、穴は疼いているだろう。
「部屋まで我慢してね・・・」
本当はここで押し倒したいのを我慢する。
耐える彼を見たくてたまらなかった。
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