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ハッピーエンド
男の目が開く。
彼は微笑んだ。
「・・・どれくらい寝てた?」
男は言った。
「2日かな、今回は」
彼は答えた。
男の胸に甘えるように縋る。
「そっか」
男は彼の髪を撫でる。
男には自覚症状はほとんどない。
生きているのが奇跡な巨大な腫瘍が脳にあるにも関わらず、普段は元気だ。
ただ、何週間に一度突然眠り、長い間目を覚まさなくなる。
おそらくいつか、そのまま目をさまさなくなる。
それはわかっていることだ。
でも、あれから数ヶ月。
まだ男は生きている。
「生きてるのが奇跡だからいつまで生きるかなんかわかるものか」
主治医に言われている。
意味がわからないと言われているのだ。
だからこそ、もしかしたらもっと長く生きられるのかもしれない。
あのコンテストの後の大騒ぎは、忘れてしまいたい。
その騒ぎを楽しんでいたのは男だけだった。
あれだけの騒ぎを楽しめる神経はおかしい。
脳の腫瘍があろうとなかろうと、この男の脳はいかれているのだ。
「まあ、そんなことだろうなぁと。君のことをあまりにも彼が想いすぎてたから」
会長に電話したらそう言って笑っていた。
おどろかなかった。
「ゲイの世界チャンピオンもいたんだよ。確かにこの世界はちょっと偏見は強いけどね。そのチャンピオンは自分を『ホモ野郎』と罵った対戦相手を試合で殴り殺したけどね、何か言われたら拳で黙らせれる世界だよ、頑張って」
男が死ぬまでは帰らないことを告げた。
「君の帰る場所はあるからね」
会長はそう言ってくれた。
友人は時折訪ねてきて、男が作る食事をたべている。
「僕が死んだ後、君のことを頼んでおいたんだ」
男は打ち明ける。
「お前には絶対に手を出さないで見守れってよ」
友人は笑う。
会社の人達も仕事を辞める時に惜しんでくれた。
15の頃から可愛がってくれた女社長は言った。
「いつでも帰っておいで」
と。
男がこの世から去ったら戻るかもしれない。
男はピアノを弾く。
男は曲を作る。
男の曲はまた世界に流れるだろう。
彼は歌う。
彼も曲を作る。
彼の曲は男しか聞かない。
でも、男が編曲したあの曲、男が舞台で勝手に使ったあの曲はとうとう公開を認めた。
自分で全国放送で歌っておいて、と言われたら何も言えなかった。
男が最高傑作と思っている男の舞台は、違う監督の元で公開されるだろう。
彼はあの女がその歌を歌うことさえ許した。
男が望むように歌えるのは彼女だけだから。
「オレの愛の広さを思い知って」
彼は膨れながら言った。
「思い知らされてる」
男は真剣な顔で言った。
この許しは、愛以外ではありえなかったからだ。
彼は死ぬ男が残せるもののために、自分の痛みを与えたのだ。
そして、二人で水族館やプラネタリウムを見に行く。
そして、夜は身体を重ねあう。
とても幸せだ。
とても幸せだ。
とても幸せだ。
彼はハッピーエンドを歌う。
これはハッピーエンドだ。
ここにあるのは、幸せな今だ。
明日も過去もない今だ。
眠りにつく恋人がいつか目覚めなくなる日が来ても。
今ここに流れるメロディーは、彼から奪われることはないだろう。
それは何度も何度も何度も。
彼の中で繰り返される。
幸せな愛の歌だ。
END
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