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忘れられない記憶

「ブラウニーうまっ」 榊原の自宅は新宿区三田町の住宅街にある。 2LDKの4階建てマンション。 いつも遊びに来ている京極と初めて来たはずの多岐はテンションが比例せず、榊原は困惑していた。 「おい多岐、枕は置けよ」 「やだ。ふかふかしてて気持ちいいもーん」 「チッ……」 「まぁまぁ、許してやれよ一稀。多岐は両親が大変な状況だし寂しいはずだ」 「……え? なんで京ちゃんが知ってんの」 話したことはないはずだ。 唖然としていれば、「あ」とバツの悪そうな顔をする。 「悪い……信濃から聞いて、ちょっとだけど」 「うわ、あの女め。口軽すぎっ」 「違う違う、俺が気になって聞いたんだよ。家にも帰らず毎日神社寄ってるって信濃に聞いて」 「んふふ〜、神社好きなんだよなぁ。めっちゃ癒されるし」 「……親と仲悪いのか? こいつ」 真顔で聞いた榊原には多岐も唖然とする。 事情を知っているのは京極だけで、榊原はなにも聞いていない。 いわゆる置いてけぼりというやつで。 「ぷはっ、サッキーにはまだ早いよ」 「あ?」 「仲悪いわけじゃないよな?」 「うん。まぁ〜、母さんが病気で入院してるってだけ。俺はぁ、サッキーの布団がフカフカだから全然1人でも平気だけどねー!」 「あ、おいコラっ」 京極は眩しすぎるほどの多岐の笑顔に困惑したが、ケーキを切り分けてそっと皿に移した。 他人の事情に簡単に踏み込むものじゃない。 「はははっ、この布団きもちぃ〜」 「この野郎……出禁にすんぞ」 「えー、そこはサッキーの包容力でさ」 「うるせえっ、なにが包容力だ!」 キッチンの方から電話のコール音がして、榊原が渋々と部屋を出ていった。 その途端に多岐はドキッとなり現状を理解する。 榊原の家とはいえ、今は京極と2人きり。 布団に埋めた顔を上げられない。 「多岐」 「! なに」 「フルーツタルトやるよ。おいで」 「え、ほんとに!」 嬉々として立ち上がり、遠慮なくテーブルの前に腰かける。 多岐は生粋の甘党と自分のなかで有名だ。 フルーツタルトでもチョコケーキでも、甘いものならなんでも食べる。 「大変そうなのに凄いな……バイトもやってるんだろう?」 「んー、でも大学もバイトも楽しいし苦労したことないよ」 「……そうか」 そんなふうに褒めないでほしい。 人前で笑うことには慣れている。 どれだけ痛くても笑っていれば気づかれない。 それが多岐にとっては安心できる唯一の逃げ道だった。 褒められるよりも無関心、優しくされるよりも"どうでもいい"と冷たくされる方が自分らしい。 「サッキーって、口悪いのに劇団のまとめ役なんだね」 「ん? そうそう、一稀はああ見えて周りをよく見ているし信頼されやすいんだ。なんていうか一匹狼みたいなとこあるけど、陰でひたすら練習してる努力家だよ」 「ふーん」 多岐の視線は手に巻いた包帯へ向けられる。 自主練習でもしていたのだろう。 目の前で榊原の演技を見て、素人でもなんとなくその凄さが分かった。 だから余計にプロ志望じゃないというのがあり得ない話だ。 「そういや多岐は彼女いるのか?」 「ッへ!?」 「最初は信濃がそうかと思ったんだ。違うんだな」 「違う! しなのんはただの友人だし、彼女も……その」 とっさに嘘をつくべきかで迷った。 彼女を作る気がないというのがバレれば、京極への好意も気づかれてしまうのではないか。 だが、先に口を開いたのは京極だ。 「いないんだな」 「……う、ははー」 「そんなに消沈しなくても俺だって今はいないよ。仲間じゃん」 「っ……うん」 仲間、仲間。 倒れてしまいそうだ。

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