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忘れられない記憶

翌日、稽古場へ呼ばれた多岐は劇団の見学に顔を出した。 入団はしないと心に決めているが、どうやら京極は気に入ってくれたらしい。 嫌われるためにわざと無視してやろうと意気込んだわりに、いざその時間になるとできなかった。 「京ちゃん、おつかれー!」 「多岐、来てくれたのか。ありがとう」 「……」 隣には榊原もいる。 男は多岐の頭をなでる京極を見て眉をゆがめた。 「……お前ら、そういう関係?」 「ッ!?」 「は? バーカ、友人だよ。多岐はなんか素直で可愛いなって」 「ええぇっ」 そ、それって…………期待してもいいの。 なんてのは馬鹿な発想だ。 多岐は首をふって誤魔化すと大げさにアハハと笑った。 「ないない! 男同士とかムリーっ、俺は女の子が好きだしっ」 「キッモ」 「ちょっとひどくないすかぁ? サッキーだって女好きのくせにぃ」 「お前と一緒にすんなよ」 「えへへぇ?」 そう、俺は女の子しか好きにならない。 男なんてあり得ない。 まるで自分に制限をかけるように言い聞かせた。 男が男を好きになれば忌み嫌われる。 それを知っているから。 「サッキー筋肉すごっ」 「触るなよ」 稽古を終え用事がある京極とは別れて榊原と帰ることになった。 2人で帰るのは初めてだ。 京極とは違い、意識しなくていい安心感から自然な笑顔でいられる。 「彼女作んないの? モテそうなのに」 「……別にいらねえ」 「実はほしかったりして」 「彼女作る暇あったら芝居してんだよ。年中発情期の多岐と一緒にすんな」 「は〜? 激おこ。俺だって理性くらいあるっての!」 ……童貞だけど。 彼女を作った経験は数回、セックスをしたのは半1回。 挿入手前まで進められたが寸前で萎えてしまったのだ。 もしかすると自分はゲイじゃないかもしれない。 その淡い期待はたった1回の失敗で崩れていった。 「おい多岐」 「!」 門を出たところで見知らぬ声に呼び止められた。 2人が振り返ると茶毛の短髪男が意味深に笑みを浮かべる。 「……誰?」 「お前、まだ男が好きなの」 「____」 「……は」 自分の耳を疑った。 意識しすぎて全てが悪い方向へ向いているという妄想……ではない。 ニヤニヤと愉しげな男を見て確信する。 榊原は顔をしかめて多岐の一歩前に出ると男を睨みつける。 「誰だ、お前」 「そいつと中学同じなんだよ、おれ。ああ、あんたにも教えといてやるけど多岐は中学んとき男に告られて__」 男が最後まで言う前に、多岐はその場を駆け出した。 あり得ない、嘘だ、嘘だ嘘だ。 榊原の声が聞こえたが止まりはしなかった。 できない。 呼吸が苦しい。どうしてこんなことに。 「はッ、はぁ……ハッ……っ」 気がつけば人のいない路地へと逃げてきたが、心臓が激しく鼓動して足がふらつく。 カバンを持つ手が震え、ゴォゴォとひどい耳鳴りがした。 「っ……んぐッ……ゲホ、ケホ」 不安定な呼吸を繰り返し酸素の吸い方が分からなくなる。 まだ明るい夕方時だというのに多岐の視界は曇りがかり、恐怖心からガクガクと震えた。 「や、やばッ……ハーっ……薬、っ」 持病の発作だった。 命を狙われた当事者のような不安が押し寄せて、カバンを探る手もぎこちない。 怖い。怖い。 目の前が闇に包まれていく瞬間、「多岐!」と呼ばれてハッと我に返る。 掴まれた肩と腕が熱い。 「ッ、は……さ、き……」 「しゃべるな、俺以外いないから安心しろ」 「っ……」 苦しい。でも熱い。 多岐は息苦しさに喉元を押さえ、「薬……」とカバンを指さした。 なにかを察して榊原の手がショルダーのカバンへ伸びる。 入っていたのはSSRIと表記されたものとエチゾラム、プロチゾラムとどれも榊原の知らない名前の薬だった。 多岐の言葉に従い薬を1錠取り出すとそれを口に含ませる。 持っていたスポーツドリンクを飲ませ、ポンポンと背をなでた。 見たことのない姿に榊原はひどく困惑していた。

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