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2人だけの

「さ、ささ……さっきー……? 手離せよ。頼む」 「……」 怖いんだ。人の手が、人の声が、全部怖い。 普段使用されない講義室は閑静としていて圧迫感が生まれた。 夏の暑さによろめきを感じ、榊原が窓を開けてくれた。 「水」 「……あ、ありがとう」 「なにに対して怯えてんの」 「っ、え……? 怯えてないよー、なに言ってるのか分からないなぁ」 「薬飲んだのか」 「飲んで、ない」 舌打ちをした榊原にビクッと震えを感じ、遠慮がちにイスへ腰かける。 さっきから動悸は収まらない。 人前で震えているとバカにされるからと、多岐はいつも隠して生きてきた。 阪口の罵倒罵言が頭から離れず苦しいが榊原には言えなかった。 「薬、飲めよ。発作出てんだろ」 「っ……」 「いちいち隠すな。早くしろ」 「う、うん」 ショルダーバッグから薬を取り出して1錠飲み込む。 榊原は腹立たしさを露わにしていて怖かった。 自分が怒られているようで、だが原因が分からない。 「誰になにをされた」 「……なにもされてないよ」 「嘘つけ。今の怯え方は通りすがりにゲイだっつって言われたときと同じだ。言わないなら縁切るぞ」 「えっ、や……同級生に…………」 「なに?」 「……ッ」 犯された。 裂けても言えない屈辱で涙が溢れた。 それもあの男は多岐を嘲笑するために手を出しただけで、本心から気持ち悪いと言ったのだろう。 悔しくて哀しくて、消えてしまいたい。 「……おい」 「いや、だっ……なんで俺が、こんな目に遭わなきゃいけないんだよ……ッ」 「はぁ?」 「なにもしてないのにっ、好きでこうなったんじゃないのにッ……」 「…………多岐」 次の瞬間、ポンと頭に手が置かれた。 目を見開いて驚く多岐に構わず、榊原は優しい手つきでなでる。 ポロポロと垂れていく涙を拭う指が温かかった。 「泣けよ」 「っひ、ぅ……サッ……ゔぅぅ」 「泣きたいなら泣けばいい」 ひどく甘い声だった。 母や父のように、多岐の心ごと抱きしめてくれる。 我慢の糸は簡単に切られていく。 次から次へと溢れる涙は拭っても間に合わない。 ただひたすら泣き続け、榊原は多岐の隣で何も言わずに見つめた。 どれくらい泣いただろう。 苦しかった発作も治まり涙が止んだ頃、今度は睡魔に襲われる。 コクっと頭が傾いて目を擦る。 「あーやばい、泣いたら眠くなってきた。サッキーのせいだぁ」 「寝れば? どうせまともに講義出てねえし」 「やっぱりサボりか!」 「サボりじゃねえ、いや……サボりか」 「ははっ、へんなの」 榊原の慰めの甲斐あって心が安定してきた。 多岐は投げられた上着に身震いし、数秒ほどで意図を察して抱きしめる。 「……」 「なんだよ」 「……サッキー、ここいる?」 「めんどくせえな……いるからはよ寝ろ」 ロングソファに移動して横になると、また涙が出そうになった。 こっちこっち、と手招きすれば榊原は嫌な顔をしてソファに腰を落ち着ける。 目の先に榊原の背中があって落ち着く。 「で……」 「なに」 「出るときは、教えてほしい」 「はぁ……はいよ」 榊原は乱暴をしてこない。 だから多岐もゆったりと寛ぐことができた。 睡魔に乗せられて目をつぶると、息をつく間もなく意識を飛ばした。 多岐は夢を見た。 小さい頃に体験した覚えのある夢だ。 クラスのなかでグループを作る授業、皆がキャッキャと輪を作っていくのに多岐だけ皆避けていく。 『あいつにさわるとバイ菌うつるぞ』 『男が男を好きってダメなことなんだって、お母さんが言ってた』 口々に聞こえる声で多岐の胸の鼓動がおかしくなっていた。 バクバクと激しく律動する心臓に恐怖を覚えて胸を押さえても、音は消えない。 『キモいやつは仲間はずれでいいんだよ』 『そうそう、罪人はみんな捕まるだろ? あれと一緒』 ____誰か助けて、 多岐の口から吐き出されようとしていた言葉は最後まで出なかった。 誰も助ける気がないのだから叫んでも意味がない。 自分は自分を隠さなければいけない。 この先もずっと。

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