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第4話
暗がりの路地の壁に背中を押し付けられ、耳元に他人の熱を感じる。一歩踏み出せば明るく街の喧騒が溢れていてそれが新たな熱を生んでいるのは明らかだった。
「待っ、て」
多少アルコールが入ったからって、こんな見も知らぬ男とどうこうしようなんざこれまで1度も思ったことがない。
「待てへん」
低く囁かれる穏やかなその声に、腹の奥がきゅう、と締め付けられる。
「ん、や、」
手首を掴まれているその掌を妙に意識してしまっていて。
「耳、弱いんやなあ」
くすぐるわざとらしいその吐息に思考があやふやになっていく。
「ふ、くすぐ、たっ」
「かぁわいい」
唇の横に彼のそれを押し付けられて、音を立てて離れていく。
「ここ、外だから……!」
「せやなあ」
服の上から明らかな手つきで脇から脚へするりと撫でられた。
「ひゃ、あ……む、こう、人、いるからっ」
「せやな」
口ではそう言うものの、僕だって抵抗のひとつもしていない。それほどに暖かで、優しく触れられるその指先にこのまま身を任せてもいいんじゃないのかと。
「さっき捨ててたあの指輪」
「……え?」
「ここ、付けてた?」
僕の左手を掴むそこへ目線を落とすと、薬指をそっと親指で撫でられた。
「ん、まあ……たまに」
「一度は繋がった心だったのになあ」
ざわざわする。
急に何言っているんだコイツ。
「君が一度捨てたそのココロ、俺が拾ってもええ?」
薬指に押し付けられる唇は熱くて目が離せない。
「……は?」
「今の時期、鴨川は水遊びするにはまだ冷たいで」
こちらをチラリと見る瞳から逃げられない。
「君のここ、俺にくれへん?」
触れられる薬指が酷く熱くてグラグラと足元が危うい。
僕はこの男のこと何も知らないのに。
「プロポーズみたいやろ?」
ニコニコ笑って上がる口角に魅せられている。
鴨川から吹く風が頬を撫でて、瞬きをするのも忘れる。女の人の甲高い笑い声に、ハッと息を飲んだ。
「あんまり苛めたないから、今日はもう帰るわ。混乱させてごめんな」
頭を撫でられて街の雑踏に消えていく彼の後ろ姿を眺めながら、次なんてことがあるのだろうかと触れられた左薬指を右の親指で擦る。
(今日はなんだか、僕。らしくなかった)
未練がましく元彼から貰った指輪でウジウジ悩んで、見知らぬ男に誘われて。普段飲まないような酒を飲んだ。
そして今、よく分からないけどなんだか心が軽い。
あの男とは2度と会うことはないかもしれない。そもそも、人間ではなかったかもしれない。
(狐……とか?)
幽霊とか妖怪とか、そんな類のものは信じていないけれど、今夜はそういうものに化かされたのかなあと思うと納得出来るような気もする。
大きく伸びをして、息を吐く。
(狐かあ、化かされたのかなあ、そういうことにしておこうかなあ)
さっきまで、人生終わりかもってぐらいはドン底の気分だったのに。
程よいアルコールに体が暖まって、彼に触れられた指が熱い。
(ああ、明日も頑張れそうだ)
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