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鈴木さんの部屋の掃除を終えた三宅さんがリビングに入ってきた。僕はそこで、立ち上がって退散した。
すごく、重苦しかった。気持ち的にも物理的にも。
部屋に戻って、明日の用意をする。服とか、そういうものは全部まだ向こうに残ってるから、たいした荷物はない。勉強道具だけ、大振りのかばんに詰めた。
しばらくすると、開けっ放しの扉から間宮が入ってきた。僕一人でも、ものさしがあるから扉は空きっぱなしだ。
「お前、もう帰るのか?」
間宮はぼくのかばんを見てそう言った。
「うん、明日だけど。朝から帰るよ。間宮はいるんだよね?」
「盆には帰るけど、すぐ戻ってくんな」
間宮は自分のベッドという定位置に座る。脇においたパソコンを開けて画面を見ながらも、会話をしたくないっていう壁は感じない。間宮は僕に話しかけてくれるようになったし、軽い雑談ならするようになってた。愛想は悪いけど、もう不良よろしく、いちいち怖い顔や不機嫌な表情を作らなくなった。長い時間、同じ部屋で過ごして、気を使わなくてもいいと、感じてくれてるのかもしれない。僕も、もう間宮に話しかけることに何も感じなくなった。友人とはいかなくても、ルームメイトとしては認められたんだろう。
「その間に、久河さんとか葉山さんと仲良くなれればいいね」
「無理だろ」
僕も無理だと思う。言ってみただけだ。やっと、僕と普通に話せるようになった間宮だけど、結局、あれから、リビングに入ることはできてない。でも、玄関で出会って、三宅さんとは話せたようだ。
間宮の恐怖症克服は前途多難だ。本人に直す気もない。今のままでもだいぶ支障が出てるのに、社会に出たらどうするつもりなんだろう。
「兄貴に会いに行くのか?」
間宮はパソコンの画面を見ながら軽くそう聞いた。開いてる場面は通販のトップページだ。検索の窓にはなにも入れられてない。
「うん、行くよ」
みんなそろって夏休みに会いに行くのかと聞いてくるのが、ここまでくるとおもしろい。僕はみんなと同じ返事をして、さらにつけたす。
「兄さんには、毎月会いに行ってるから、別に夏休みにかぎったことじゃないけど」
みんなこぞって夏休みには会いに行くのかときいてくるけど、面会は月に一回、許されてるから、毎月会いにいっている。みんなはおっかなびっくりでこの案件に触れて、僕たち兄弟の邂逅を想像するのかもしれないが、先月にも会った。僕の中では、最初のころと違って、兄に会いに行くことはそんなにも大それたビックイベントではない。
兄はいつも基本的に元気だ。僕の前だけかもしれないけど。兄の裏の顔を恐れてる人がいて、恨んでいる人がいるのはこの数か月間でよくわかった。でも、いつ会いにいっても、たとえ会う場所が、少年院の中でも、僕の前では兄は兄だった。
間宮はそう言うとびっくりした。あからさまなに動揺が顔に浮かぶ。
「先月もか?」
「うん。先月も、先々月も兄さんが入って五か月ほどたったけど、毎月、会いに行ってるよ」
いままで、だれにも言わなかったけど、さらっと言葉が出た。少年院はここから三時間半ほどだ。頑張れば、日帰りで行って帰ってこれる。
「あんなことがあったのに、おまえ兄貴と仲いいいんだな」
「あんなことを僕は知らないし。兄さんにやられた人たちには悪いと思うけど、僕にとっては唯一の家族で、優しい兄だから。兄さん、元気なんだ。あんな場所なのにね。僕のまえではいつもそうだ。無理させてるのかもしれないけど、それが僕に向けられた兄さんの思いなんだってわかってうれしい。ほんとダメな弟だよ。兄さんの方がめいいっぱいつらいのに、そんな甘えたりしてさ」
僕は兄の前では、いつも可愛い守られるべき弟を演じてしまってる。兄がいなければ、もっとしっかりしなくちゃとか考えるのに、兄がいるとうまくいかない。
僕は兄の光になんてなれてるだろうか。
「面会って、家族だけ?」
「うん。三頭身以内」
「お前の親も面会行ってるのか?」
「まったく。勘当されてるから」
兄が鑑別所に入れられた時も両親は引き取りに行かなかった。
「じゃあ、新見の兄貴はいま、お前だけなんだな」
その語尾が冷たい。間宮の低い声は氷より痛むような冷たさで響いた。
間宮は最後の言葉を言うと、パソコンに意識を完全に映した。それは最初の方に見た拒否の姿勢だった。
兄のことが好きだった。でも、兄に会いに行くのを誰かに知られるのはいやだった。こっちに戻ってきて、兄は僕の兄さんじゃなくて、TNGの人間☆新見になってしまった。それが今、僕は兄を独り占めしてる。甘える子供のみにくい独占欲が、探り当てられた。
僕のことを非難している。その事実が胸にいたい、そういえば、僕はこういう風に人から非難されることが今までなかった。ずっとかわいそうな子供だったからだ。
「間宮は……」
そう呟いて、問いかけるのをやめた
間宮は兄の味方だ。
間宮はたぶん兄さんを知ってる。そして僕よりも兄さんの方がずっと好きなのだ。
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