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「ハウスクリーニングさん呼ぼうかな?」  実家は全員の個室とリビングダイニングがある。全然使われてないから、どこの部屋もほこりが浮いちゃってて不衛生だ。でも、僕もほとんど自分の部屋で過ごすことを考えたらもったいない気もする。  結局、自分で移動する範囲だけ掃除をすることにした。  ざーっと、掃除機はノイズ交じりに音を立て、壊れかけだと知りながら、聞かないふりをしてかける。無駄に広いリビングとダイニングが恨めしい。  今日は掃除をして終わりだ。明日からは勉強や資格の日々になる。数日だけ、単発で人生初のバイトも入れてみた。  なんでも自分でできるようにならなければ、兄が帰ってきたときに頼りになる男になりたい。それに、帰ってくるのはこの家じゃだめだ。  ふと部屋を見回す。この家で生まれたはずなのに、ぜんぜんなじまない。小学校の半ばで家をでた僕たちは、そのあと、祖父の家に行くことになる。  僕たちが、祖父の家に追い出されたのは、兄がやんちゃだったからという理由が大きい。  兄は僕にとってはヒーローだったけど、両親にとっては悪ガキだった。すぐにけんかして帰るから、学校の先生からの電話も多かったそうだ。加えて、僕の入院だ。その原因を詳しく知ろうとしない両親は全部、兄に押し付けた。ケガしたのが自分の息子だったからよかったものの、他人をケガさせたら困る。だからいらないって言われた。 「美波、だいじな話があるの。美波はなにも悪くないのよ。でもね、お兄ちゃんは祖父の家に行くから、大好きなお兄ちゃんが行くなら、美波もついていくわよね?」 「うん」  僕は二つ返事でうなづいた。両親は手の関わらない息子の僕には怒ったりしなかったし、ほめることもたまにあった。美波はおにいちゃんと違って、いい子ね、がその定番だ。 「そう、美波はお兄ちゃんが好きね」  「うん。僕は、お母さんと、お父さんより、ひろちゃんの方が好きだよ」  それはせめてもの反抗の言葉だった。お母さんは少しだけ、顔をゆがめて、そうとだけ言った。  そう、の声の高さと、背けられた視線で、僕は両親に縁を切られたと思った。でも、別に大したことじゃない。だって、どうせ、僕は祖父の家に行く。それに僕には兄がいた。  用意をしなさいと、解放されて自分の部屋に戻るとき、リビングの扉がわずかに開いてるのを見た。一連の流れを見ていた兄がそこにいた。  それまで、僕は兄の喜怒哀楽の、喜怒楽しか見たことがなかった。でも、兄は僕が兄の前に立ったとき、涙をこぼした。声を殺してしゃっくりをして、涙をぼろぼろとこぼした。 「ひろちゃん、どうしたの?」 「ごめん、ごめんな、みーちゃん」 兄はそのまま、そこでしばらく涙を流していた。  掃除を軽くし終えた。見えないところが汚いことはわかってるけど、どうせ仮宿だと割り切る。  冷蔵庫を開けるといつのかわからないペットボトルのお茶とバターが入っていた。電気代がもったいない。バターが溶けてなくてまだ賞味期限が来てないことだけが、この冷蔵庫の救いだ。バターのためだけに生きることになった冷蔵庫のことを思うと、切ない。なんだか、泣けてきそうになるのは、このあと、兄に会うために少年院に電話をしないといけないからだろう。兄に会う前はひどく感傷的になる。たぶん、いつも、小さいころから今までの兄との記憶をなぞるからだ。兄との思い出はどれもあたたかいはずなのに、するするとひもがほどけるような切なさをおぼえるのはなんでだろう。  冷蔵庫を閉じた。なにか買い出しにいこう。とりあえず、今日のご飯と明日の朝昼のぶんをかわないと。朝と昼はパンにしよう。バターを使わないといけない。

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