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ghost8
芥川をどうにか保健室に運び、容態を聞く前に保健医から授業後にまたおいでと言われて、 木村だけ追い出された。
当然ながら、授業が手につくはずもなかった。かといって、気になって目が冴えてしまい、一見するといつになく真面目に受けているように見えただろう。
永遠に続くかと思えた倫理の授業で、思想やら宗教やらを教師が念仏のように説明された。比較的好きな授業なのだが、全く頭に入らない。するするとすり抜けていく。
いまは障害物競争の障害のようだ。ゴールには芥川がいるのに、障害物があってたどり着けない。恋は障害があるほど燃えるというが、あれは嘘だと思う。邪魔になり、もどかしくて苛立つばかりだ。
しかしそうすると、芥川がその恋の相手だというのか。自分は芥川が大変な時に、一体何を考えている。いやしかし、芥川は自分にあんなことをした。
そんなことを考えている場合ではないのに、何度も同じことを考えては振り払い、振り切れずに動揺し、困惑する。
それを繰り返しているうちに、教壇に立つ教師はチョークを置き、教材を閉じた。クラス中から次々に椅子が擦れる音が立ち上る。急いでそれに倣い、木村は挨拶もそこそこに、誰よりも早く教室を飛び出した。
保健室の扉を壊さん限りに勢いよく開くと、保健医から呆れた目で見られ、注意される。
「木村君、まだ芥川君は具合が悪いんだから静かにね」
「すみません」
息を整えながら、カーテンが引かれたベッドに向かう。すると保健医はそれを制して、首を振った。
「そんなに悪いんですか、芥川は」
悪い想像を膨らませて不安になっていると、保健医は首を捻った。
「いいえ、ただ、ちょっと様子を見る前に話を聞こうと思って。ふざけて揉み合っていた、ということで間違いないのよね。ケンカにはなっていないと」
「はい」
まさか事実を伝えるわけにはいかなかったので、状況は嘘を多分に含んでいる。あれが体調を崩す原因になるのだとしたら、木村は正直に暴露しなければならないが、致し方なかった。
「芥川君は持病もないし、ストレスに弱い方でもないみたいなのよね。私は専門医ではないからはっきりとは言えないけれど、今のところ原因が分からない」
「分からない?」
「ええ。芥川君にそれとなく聞いてみたんだけど、本人も首を振るばかりで。ただ、このところ発作的に何度かこういうことがあったみたい。何かの病気かもしれないから、早退して病院に行くことを勧めたんだけどね」
「今、芥川は」
「落ち着いているわ。まだ眠っているかもしれないから、静かにね」
「はい」
「私はちょっと用事があるから、職員室に行ってくるわ。気になるだろうけど、あなたも休み時間が終わったら教室に戻ってね」
保健医が立ち去ると、一気に静寂に包まれた。遠くで休み時間を満喫するざわめきが潮騒のように伝わる。
クリーム色のカーテンをゆっくりと引いて、中を覗いた。芥川は眠っているかと思ったが、気配に気が付いたのか目を開いた。どこかぼんやりとしているようだ。
「起こしたか?」
「いや、起きてた。木村が走ってくる音がした」
「やっぱり俺が起こしたんじゃないか」
「そうだな」
「おい」
軽く突っ込みを入れながら、元のように話が出来ていることに安堵した。丸いパイプ椅子を引いて、ベッドの脇に腰掛ける。
「木村」
「何だ」
「悪かった」
「……別に、今さらだ」
「今さら?」
「……」
言おうか言うまいか迷っていると、芥川は軽く吹き出した。
「何で笑うんだよ」
「……いや、いつまでも隠すのは悪いなと」
「はあ?何がだよ」
芥川の企んだような顔つきを見て、いつもの以心伝心が戻ってくるのを感じた。
「お前、いつも無意識に俺に触っていたんじゃないのかよ?確信犯か!」
「そうだ」
「ふざけ……お前な」
途中で言い直して脱力すると、芥川は真顔になって木村を見た。
「怒らないのか」
「芥川は冗談であんなことができるやつじゃない。ということに、今気付いた」
「今か」
「今だ」
二人同時に吹き出して軽く笑う。明らかに以前の関係から変わっていくような意味合いの内容だが、不思議と不安も後悔もなかった。
相手が芥川だから怒るに怒れないというのもあるが、否定するのも筋違いのように思う。
人を好きになるのに性別は関係ないし、他人がとやかく言っていいものでもない。
それは本人のものであり、周りがねじ曲げられるものではない。そして木村の中でも、もともと芥川は特別な存在だった。同情でも何でもなく、何度でも本気で考えて答えを出したい。
「木村、何を考えている」
「お前のこと」
「……」
みるみるうちに、芥川が赤面していく。悪くない反応だった。
ふと思い出して時計を見やると、授業開始まで5分を切っていた。
「やばい、休み時間もうすぐで終わる。そうだ芥川、体調が悪いなら病院で検査してもらえよ」
「……木村、そのことなんだが」
「何?」
芥川の方に視線を戻すと、起き上がって何かを躊躇うように口を閉じた。あまり急かすのは良くないと思い、待っていると、やがて覚悟を決めたように告げられた。
「俺は今、レンタルゴーストを利用しているんだ」
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