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美藤の話
「美藤最近、機嫌悪い?」
美藤は部屋の床に寝転んでいる。手には英語の本を持っていた。ある程度勉強したら読める本だということで、藤原が持ってきていたのを借りて読んでいた。見ているとなるほど、難しい文法や専門的な単語は出てこない。
美藤は、返事するのがめんどくさくて、無視をした。
「それ。おもしろい? それ読めたらおおよそ基礎はできてるとおもから、簡単な論文にも挑戦すればいいよ。専門的な単語もおぼえていかなくちゃだめだし」
藤原は基本的にべらべらと一方的にはなす。あんまり何事も気にしない性格といえる。
「そういう辞書とかもさ、ゼミの人に聞けばいいのあると思うんだけど。そう、それで、さつきの機嫌の話ね。先輩たち美藤のこと恐がってるみたいだよ」
その言葉にに、美藤はいったん顔をあげた。目で続きをうながす。
「最初からまぁ、見た目のせいで怖かったのはあるみたいだけど、とくに最近、怒っているわけでもないし、礼儀も正しいけど、機嫌が悪いみたいだって。実際、美藤が機嫌いいところって、見たことないけど、最近と言うか二年にあがってから、ひどくない? 七組でしんどいのかなって思ったけど、もうなれたでしょ。それに、美藤は七組の方が、楽しいと思うんだけど」
藤原は不思議そうに首をかしげる。
七組はしんどいが、確かに去年よりは楽しかった。授業に出なくていいし、実験はたのしい。それにゼミの人たちは自分の研究に夢中なので、みんな同士ではあるけど、なれあいはなく、個人的でドライな関係でそれもやりやすかった。
美藤は今後も七組をやめるつもりもないし、ゼミも続けたいと思っている。先輩に怖がられるのは、やぶさかではない。
だが、振り返ってみると録に人間関係をつむかず、おおよそ人に恐れられていた美藤は解決策も思い付かないし、できない。
「まあ、いきなり、愛想良くなんて無理だろうけど、せめて、機嫌ぐらいはなおらないの? 話ぐらい聞くよ?」
藤原はごく、気軽にそう言った。
美藤は自分でも気が立っているのはわかっている。認めたくないが、横尾の行きなり一方的に告げられた別れのせいだろう。一時は、じぶんから捨てようと思っていたものなのに、なくなってみると、そばにないことに気がたってしょうがなかった。
だが、そんな、女々しいわがままを言えるわけない。
「なんか、ストレスたまることでもあった? 今度、一緒にプラモであそぶ?」
美藤は起き上がった。水を注いで飲んだ。機嫌が悪いのはどうにかしないといけない。でも、どうしようもないのだ。
「せっかく、髪も黒くして、真面目になったんだし。でも、美藤、黒も似合ってるよね。今の短いけど、おしゃれな感じだし。派手なのも普通にかっこよかったけど。美藤の美容師さん。美藤のよさわかってるよね。地元の美容室だっけ?」
髪を切るのは、去年から横尾がやっていた。高校デビユーだと、金に染められたのが最初だった。それから帰るたびにイメチェンさせられるから、美藤はそのたびに学校でこそこそと話題になった。
「これは、」
友達、なんだろうか。美藤は答えを言いよどんだ。自分たちはどういう関係なんだろう。幼馴染みも友達もどちらかを使うには、泥臭い気がした。
「もしかして、彼女とか?」
「はっ?」
「美藤、いるんでしょ?」
藤原はつづけた。
「有名な噂じゃん。美藤は中学から続いてる彼女に溺愛だから、誰にもなびかないって。その下げてる指輪が、証拠だって。なびかないって、そら、男にはなびかなかないだろって、話だけど。でも、ゲイ判定で有名な草野くんは、美藤は男いけるって言ってたっけ?」
「はっ?」
ゲイ判定ってなんだよ、とか突っ込みどころはいっぱいあったが、どうでもよくなって、美藤はとりあえず、返事ともいえない、返事をした。
「全部、嘘だった?」
藤原は軽くきく。藤原はいつだって軽い。彼は自分以外のことにたいして興味ないのだ。だから、人にとっての禁忌な話でも普通にきく。それで、答えても答えなくても、たいした反応はない。ただ聞いてみた、それだけた。そういう不干渉なところが美藤が彼といわゆる友人を続けられるところなのかもしれない。
「彼女なんていねぇよ。この指輪は俺のだ」
それはどちらも真実だ。彼女はいない。いるのは憎たらしい幼馴染みで、指輪は、自分のが帰ってきたのだ。
横尾がどこにいるかなんて全然わからない。
この指輪もきっとかえせない。
あの男はよくわからない行動をする男だった。自分はもう愛想をつかされたのだ。最後の最後にあの男は、俺が依存にも似ている甘えを持っていることを知って、できない問題を、できるという幻想をちらつかせて、俺に復讐をしているのだ。美藤は舌打ちをした。
「髪を切ってるのは幼馴染みの男で、この指輪はその男から返されたやつだ。そいつは、三月から行方をくらました。おれは男もいける」
藤原は目を大きく輝かした。藤原は察しがいいので、これだけ言えばぜんぶつながるだろう。
「ようするに、その、髪を切ってる幼馴染みの男に振られたってこと? もしくは、片思い? すっげぇ、スクープじゃん!!」
なんだかしらないが藤原は楽しそうに囃し立てた。
「あれ、でも、行方くらましてるって、どういうこと?」
「エスカレーターの高校をけって、家を出た。俺が好きなら、探せって」
「探さないの?」
「地元はさがしたけど、見つからなかった」
何を自分はぺらぺらと話しているんだろうか。でも、自分がほったらかしている心の整理のせいで、自分を上手くうごかせていない。少しでも誰かに聞いてもらった方が少しは解決するのだろうか?
「美藤、携帯もないしね。いい加減、買ってほしいところだけど。相手の親とか、教えてくれないの?」
「一切、教えてもらえなかった」
美藤は横尾の親に嫌われてるので、ツレに聞いてもらおうと頼んだが、誰にも言うなと言われているの一点張りだったそうだ。
あの街からはどこをさがしても情報は出てこないんだろう。
美藤は横尾が本当に離れる気だと知った。こうなるまで、無条件に横尾はいなくならないものと思っていた。それが覆される。そこに残ったのは、どうしようもない怒りと悲しみだった。
「好きなんだ。その男のことが」
好きかときかれると、違う気がした。美藤は横尾と出会った頃のことは、もう覚えてない。いつも何故かしらないが、そばにいた。そして、そばにいるのは、横尾だけだった。
自分はアヒルのこどもみたいだと、美藤は思った。始めてみたものを好きになるような。
でも、横尾は母親でもなんでもない年下の男だ。なんで自分に彼がつくすのか、まったくわからなかった。
いつか、彼のお人よしの容量を、自分は食い尽してしまうときが来ると思っていた。そうなった時どうなるか怖かった。このままでは絶対にいつかは彼は離れていくのだとも思ってもいた。ぜんぶが怖くて、もういっそ、なくなってしまえと思った。
美藤はたっぷりと間違えた。幼い自分が目を背けていたことをいま、ようやく考えはじめようとしている。横尾に依存していて、それがすべてで、自分を客観的に見れてはいなかった。
いまは、ゼミがある。自分ばかりが、わがままをいってられない。自分はどうしたいのか考えて実行してどこが間違っているのかを考えて再び実行する。それが研究の本文だ。
美藤は話し出した。
「大切な存在だったのに、それが、なぜ、自分のそばにあるのかわからなかった。いつかなくなるのが怖くて、壊そう思ったけど、壊れなかった。でも、傷つけたからその報いを受けてるんだ」
「どうすんの?」
「謝る」
自然とそう美藤は声に出していた。
藤原は弾けたように笑った。
「謝るとか、最高ににあわねーよ!」
「死ね」
美藤が低い声でで言うが、藤原はますます笑うだけだった。
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