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光の先へ 2
こんなことになって悪かったなと言いながら、葉月はホテルを探した。病院からそう遠くない、新幹線の駅の近くにいくつかホテルがあると教えてもらったので、泊まるところも無いんじゃないかという不安は消えた。もちろん、もしも軒並み満室だったら、総がハンドルを握って東京に戻るつもりだったけれど。
車寄せで駐車すると、ボーイが近づいてきた。
「部屋はある?」
葉月が訊くと、ボーイはにっこり笑って頷いた。
トランクから二人分の荷物を下ろすと、そのボーイはにこにこ笑いながらカートに乗せてくれた。その様子を確認した葉月は、駐車場に向かって車を進めた。
「このホテルに入っているレストランか料亭で、今からでも夕飯を頂けますか?」
ロビーのソファに向かって歩きながら総が聞いた。
「レストランでしたら十二時まで営業しております」
「そう、ありがとう」
助かったと思う。自分はともかく、葉月にはまともなものを食べさせたかった。
ヤクザも酷な稼業だと総は常々感じていたけれど、他人から人間の命を委ねられる医者という職業は更に過酷だ。自分や関係者の命が懸かっているだけならまだ諦めもつくが、今回のように、初めて顔を見たという相手の命を否応無く握らされてしまう場合も少なくない。いつも飄々としているくせに、本当は山のようにストレスを抱えているのかもしれない。
人が動く気配に気づいて振り向くと、葉月がフロントでチェックインしていた。バッグ片手に総は慌てて駆け寄った。
「僕はシングルで!」
「えー、いいだろ、ダブルで。どうせ寝る時間なんか無いよ」
「貴方はお一人で仕事でもなんでもどうぞ。僕は寝たいですから」
どうあっても譲れないという総の口調に、葉月はぎりぎりこぶしを握り締めて折れた。
「───分かった……ダブルとシングルで」
初老のフロントマンは、長いホテル人生でもほとんど記憶にない珍しい言い合いが決着したらしいことを感じ取って微笑んだ。会話の意味は分からないままだが、揉め事に発展しないならそれで構わない。
「承りました、こちらに記帳をお願い致します」
二人はそれぞれに記帳した。
ダブルとシングルだなんていう中途半端な部屋の取り方をしたせいで、階が別れてしまうことになった。エレベーターに乗り込むと、今からでもダブル二部屋にしてもらおうぜと葉月は言ったけれど、総はもう精神的に疲れ切っていてどうでもよくなっていた。
カートから自分の荷物を取った総は、十二階で先に下りた。シャワーだけ済ませたら貴方の部屋に伺いますから食事に行きましょうと言うと、それには葉月も大賛成だった。
熱いシャワーを頭から浴びながら総は思う。僕ですらこんなにクタクタなのに、あの人は毎日のようにあんな仕事をこなしているのかと。まるで、自分自身の命を削っているみたいだ。
前に、貴方はたくさんの人の希望だと総は葉月に言ったことがある。貴方の手は、死を待つしかない人たちのものだとも。それは確かに本心だったけれど、もしあの一言が葉月の将来の選択を左右させていたらと考えると総は怖くなる。あの時、遠くに行かないで下さいと言っていたら、葉月はやめるつもりだったのかもしれない。
いや───あの人は自分の道は自分で決める人だ。
総はタオルで髪を拭いた。ふと鏡を見ると、長い前髪が顔をほとんど隠していた。
こんな顔のどこがいいんだろう。
美しい顔立ちなら総は見飽きている。巽はもちろんだが、巽の異母弟の冬矢なんかはショーモデルだ。それこそ、見ているだけで吸い込まれそうだと思うほどの本物の美形だ。子供の頃から総は美しい顔の男と当たり前のように過ごしてきた。
ドライヤーを使うと細い髪はすぐに乾いた。服は着替えた。事故現場にいた時に着ていた服は、別に臭いが移っているわけではないけれど、葉月ほど血に馴れていない総には抵抗があった。そもそも、ヤクザが血に馴れていないというのも妙な話だが。
愛用の女物のバッグに財布と携帯電話とカードキーを入れて総は部屋を出た。もう十時を回ってしまった、早く夕食にありつきたかった。
葉月の部屋のドアを叩くと、同じ思いだったのか、すっかり準備はできていた。二人でエレベーターに乗り、上の階にあるレストランに向かった。十二時まで営業していて本当に助かった。今から車で出て食べられるところを探すなんてたまらなく億劫だ。コンビニ馴れしている葉月のことだ、なにか適当に弁当でも買ってきて部屋で食べると言い出しかねない。昼もSAのサンドイッチだったのだ、そういうものが続くのは総は嫌だ。
町の灯りが見える窓際の席に案内された。ここなら人目もあまり気にならない。他の客は離れた席なので、二人の声も届かないだろう。人に聞かれると困る話をするわけではないけれど、人に言えないことをする仲になってしまった相手との会話を聞かれるのはまだ早いと総は思う。聞かれて大丈夫かどうか判断できないせいだ。圧倒的に恋愛経験が足りない総はそんな程度のことでさえ戸惑ってしまう。
「…今回は本当に済まなかったな」
肉のコースと魚のコースを一つずつ頼み、食前酒が注がれた時に葉月がまた謝罪した。
「いいえ……貴方に責任はありませんから」
「でもさぁ、楽しい旅行が台無しだ」
「本当はどこに行きたかったんです?」
すると葉月は小さく笑った。
「京都に」
「……京都……それは…名案だとは思いますけれど…あのまま順調に走ったとして、着いたらもう夕方です。それからどこに行けるというんです」
「いいんだ───きみと行けるならどこだって」
「…もっと実のある行動を取りましょうよ。新幹線の始発に乗れば、昼前には京都に着いていたでしょうし」
すると葉月は小さく笑った。総の方が理詰めには強いらしい。葉月は医者だが決して理系ではない。医学部の試験に合格する程度の数学は必死の努力でマスターしたものの基本的には文系脳だ。
「俺はもうすぐアメリカに行く……きみと行った秋の京都は本当に良かったなぁとか思い出したいわけだ」
「……」
あの女性がどうなったのか総は聞きたくてたまらないけれど、葉月から言い出さない限り知る権利は無い。
「今夜はあまり飲むなよ」
「……はい…」
「じゃあさっさと食べよう」
「…はい」
そんなことを言われて総が平気で食べられるわけがない。泊りがけで旅行に誘われた時点でもちろんある程度の覚悟はしていたけれど、遭遇したハプニングのせいですっかり忘れてしまっていた。
でも、葉月は忘れていなかったのだ。なにがなんでも最初の目的を果たす気に違いない。あと三週間で渡米してしまうせいもあるのだろう。あと三週間とはいっても毎日は会えない。会ったとしても二回がせいぜいで、三回目は見送るだけになる。だから葉月はこの機会をみすみす逃すつもりはない。特に抗うことなく付いて来たということは、総も嫌ではないのだろうと葉月は勝手に思っている。
肉はほとんど葉月が食べた。二切れほど総も食べたけれど、もともと肉は得意ではない。そして魚は、ほぼ半分ずつ食べた。総の食事量は普通だが、比べる相手が悪過ぎる。
デザートはバニラアイスクリームだった。メインの料理はもちろんだが、バニラもたまらなく美味だった。そのクールな顔立ちに似合わず総は甘党だ。
「きみは…本当にいい子だな……」
バニラを一口も食べなかった葉月は、空になった総の器と自分の器を入れ替えた。
「……なにがです?」
「どうして俺たちは十七年も上手くいかなかったんだろう」
すると総は小さく笑った。
「だって同じ人を好きなんですから───普通に考えて敵ですよ。僕は貴方があの人と同じように大人だったから不安で仕方なかった…」
「俺はきみが誰よりも奴の傍にいることに嫉妬したよ」
「……でも…あの人を手に入れたのは……全くの他人です───僕でも貴方でもなく…」
葉月の分のバニラも総は食べた。糖分が脳に回って思考力が活性化していくのが自分で分かった。
時計を確認するともう十一時半になっていた。葉月は膝のナプキンをたたんでテーブルの端に置いた。
「出ようか」
促され、総は立った。いつも通りだ。いつも葉月はこうして総と食事をする。子供の頃から変わらない。ずっと反目していたと思っていたのは、もしかしたら総だけなのかもしれない。葉月はいつだって優しかったのかもしれない。
二人は無言でエレベーターに乗り込んだ。葉月は当然のように自分の部屋がある階のボタンを押した。
「……僕は僕の部屋には戻れないのですか」
無駄な質問だと知っていて総は呟いた。
「ああ」
葉月は短く返した。
一度目は二週間前、二度目は一週間前、そして今夜そういうことになったら、規則正しく週に一度だ。
エレベーターを下りるとまた無言になった。足音がしないようになんて気にしなくても、厚い絨毯が全て吸収してくれた。カードキーでロックを解除する葉月の後ろ姿をぼんやり見ながら、自分の足が震えていることに総は気づいた。
怖い。なにが怖いのか分からない。でも怖い。あの行為が怖いわけではない。あれは……たまらなく恥ずかしくはあるけれど、父親に掴まった時のような恐怖心とは全く異色だ。
もう立っているのもやっとというほど震える足を、総はこぶしでとんとんと叩いた。
「なにをしているの」
くすっと笑われる。それが腹立たしくて、総はわざと素っ気無くべつにと呟いた。
葉月は総の右手をぎゅっと握った。子供のように手を引かれる。
「……葉月さん…」
「うん? なに?」
「……」
「血腥い男は嫌か?」
「だって…あれは…手術…」
ふわりと身体が浮く感覚に、総は足をばたつかせた。
「それは抵抗か?」
葉月は総を抱えるようにして部屋を突っ切り、そのままベッドに倒れ込んだ。
「もう馴れただろ?」
「…馴れませ…馴れませんよ」
「それもそうか。俺も馴れない」
葉月は素直だ。無駄な意地は張らないし、自分のプライドを守るために他人を傷付けることもない。
「……葉月さん……貴方はアメリカに行ってしまうのにどうしてこういうことをするんです」
あっというまに総の胸元は露にされていた。
「分からないのか?」
「ええ」
つるんと桃の皮でも剥くように下半身も裸にされる。
「はづっ…」
わりと全力で抵抗しているのに、人間の服はこんなに簡単に脱がせられるものなのだろうかと総は思う。子供じゃないんだ。女性でもない。総は男で、長身で、体重だって決して軽くはない。葉月よりは軽いだろうけど、それでも七十キロぐらいはある筈だ。もう随分と体重なんか量っていないがたぶんそのぐらいはある。
総の太腿を跨ぐように座った葉月は、眼鏡をはずしてやりながら小さく笑った。
「きみのことだから、俺が何年かアメリカに行ったとしてもたぶん誰とも付き合わないだろう。俺のことを理由にというわけじゃなく、こういうことをしたいと思わないだろうからな。きみは人前で脱ぐことが苦痛で、それもちょっと普通じゃないぐらい嫌なんだ。半袖も嫌なんだからな……そんなんじゃとてもセックスなんかできねぇよな……風俗ならアレだけ出してしゃぶってもらうってのもありだろうけど、そんなことにもどうせきみは興味がない…きみはせいぜい自分の手で慰める程度で、そのまま何年か経って、俺は帰国する。それからでも俺はきみの初体験の相手になれた、断言できる……」
葉月は手を伸ばし、総の前髪を丁寧に何度も何度も掻き上げた。
「…だから本当は渡米前のこの忙しい時に慌ててきみを抱く必要はなかったんだ……」
傷痕が残る額に、身体を倒した葉月はキスした。
「もしかしたらきみを混乱させたか? どうしてこんなことをって悩んだか?」
問いかけに、総はそっと首を振った。
「きみを好きになった」
「……」
「離れてしまう前にどうしても手に入れたかった」
「…葉月さん……」
呼んだつもりだったけれど、声になっていなかった。
「こ…これから…貴方が渡米して、二年も三年も会うことがなくて、それなのに僕にこういうことを教えていくなんて酷過ぎます…」
ついばむように葉月は総の唇に口づけた。
「…なにが…酷い?」
「知らなければ…二年でも三年でも……もしかしたら死ぬまで…」
「……うん?」
「…だから……僕は…どうしたら……」
「放蕩な血が目覚めたって言うのか?」
葉月が見つめると、総の黒い瞳が潤んで光った。
「そんなもの遺伝しない───それに、きみはぜんぜん放蕩なんかじゃない……身持ちが固くて潔癖で……そういうのは長所だろ」
「……僕は…」
「俺はきみが好きだよ」
潤んだ瞳が葉月を見つめた。
「返事はいい……きみはスジだ…もしきみが本気になったら俺なんか簡単に殺せる。こんなことを許してるってことは、きみが俺を嫌いではないってことだろう? だから俺は堂々と自惚れる……きみが俺に惹かれつつあるって信じるよ」
総はそっと腕を伸ばし葉月の首に絡ませた。
「総くん……今夜もきみを抱かせてもらうよ」
まるでそうするのが当然という風に葉月が囁いた。葉月にとっては決定事項らしい。
返事を求められないことに総は安堵する。とても言葉になんかできない。かといって拒絶するのも怖い。変化が怖いのと同じように、逆らうことにも不安がある。それは総が常に従属する立場に居続けたからだ。父親と一緒にいた頃はもちろん、巽に引き取られてからも、いつだって彼らは総の絶対的な主だった。
総の首筋にちゅっちゅっと口づけた葉月は、一度ベッドから離れ、荷物の中からチューブのようなものを取ってきた。もう一方の手にはコンドームを握っている。
「可愛いな……どうしてこんなに可愛いのかな…」
「貴方の目が悪いんでしょうよ」
「俺ぁ視力ニテンレイだぜ」
「…すぐ…老眼になってしまいそうですね…」
「そうなんだ……もう最近は新聞が…って……うつ伏せになりな」
どうせ総はなかなか行動に移せない。だから葉月はそっと左手で総の身体を裏返す。力ずくで従わせるわけではない、少し力を入れて押してやるだけでいい。そうして促すと、まるで協力するように、総は自分でうつ伏せる。積極的に動けない総にとって、従いやすいように少し力を加えてもらえることは重要だ。
その辺りの思考をよく掴んでいる葉月は、今夜もそっと総の身体を押した。のろのろと総はうつ伏せ、柔らかい羽枕に顔を埋めた。
「少し冷たいぜ…」
顔を隠したまま総はこくっと頷いた。
総の尻に、チューブに入ったとろりとした液体を葉月は落とした。尻を左右に割り広げ、人差し指と中指で丹念に塗りこむ。
「…っん」
声はほとんど枕が吸い込んでしまう。
「…先週、痛くなかったか?」
優しく訊ねられる。総は小さく頷いて返す。
それを確認した葉月は服を脱ぎ、総の体内にそっと指をさし入れた。頭がいい総は、まだたった二回しか経験がないというのに上手に力を抜いた。排泄するようにいきむと身体が楽だ。傷つくことも少ない。
「これからどうしようって思ってるのは俺の方だ……もう何年もセックスなんかしてなかったのに───アメリカに行ってきみに会えなくなったら我慢するのは大変そうだ」
中指と人差し指だけの抜き差しに、いつのまにか薬指も加えられる。あんまりにも自然に足されたせいか、総にはそれが分からない。
ずっとうつ伏せているせいで葉月は総の表情を確認できない。苦しそうにしているのか、或いはなにか感じ始めているのか、顔全体を枕に埋めているので全く見えないのだ。強引に顔を上げさせて確認するのも可哀相だ。おそらく総は、そういう顔を誰かに見られることを醜態だと思っているだろうし、まだ理性が残っている状態でそんなことをされたら耐えられないに違いない。それが分かっているから葉月は無理に見る気はない。見たいという思いはあるけれど、それは後回しだ。理性が飛んでしまえば、どうせ総は葉月の言いなりになる。
「…もういいかな……?」
三本の指で丹念に解してやってから、葉月は総の身体を引き上げ、膝をつかせた。まだほとんど理性が残っているので、犬みたいな体勢は嫌だと総は思うけれど、それを言うのも恥ずかし過ぎる。総は葉月になにも言えない。理屈や仕事ならともかく、こうして欲しいとかこれは嫌だとか、感情が根底にあるようなことは口にできない。そんなことを言うぐらいなら、全てを押し殺して相手の意に添う方がいいのだ。
まるで神に捧げられた供物のように突き出された総の尻を、葉月は両手を添えて左右に開いた。
「……っぅ…」
広げないでと思うけれど、それも言えない。
「入れるぜ」
どうせ総は返事はしない。
葉月はコンドームをつけ、総の体内にゆっくり押し入った。
「っん……」
鼻から抜けるような声が葉月の脳を刺激する。
「こんなの…きみだからいいんだな───アメリカで他の奴なんか絶対に誘わないから安心しな」
背後から抱きしめるように腕を回した葉月は、総の首筋を唇でまさぐりながらそう言った。もともと葉月はノーマルだ。こうして総の尻に挿入していること自体、昔の葉月を知る人間にとっては驚きだ。巽を好きになってからはそういう嗜好もあるだろうと葉月は思うようになったし、それが総だったとしてもありだが、性欲の解消のためだけに知らない男なんか欲しくないし、女ですらいらないと感じる。もう葉月は他に誰もいらない。いずれ考え方が変わる日も来るかもしれないけれど、今は本気で一人だけでいい。総を抱けたらそれでいい。
射精した葉月はゴムの端を指で押さえて引き抜き、その残骸をティッシュペーパーにくるんでゴミ箱に投げ捨てた。尻を突き出すようになっていた総の身体は崩れ、完全にベッドに突っ伏してしまっていた。肩が大きく上下している。疲労が酷いらしい。こういう行為で疲れるのは突っ込んでる方なんだがなぁと思うけれど、総みたいなタイプは精神的疲労が肉体的疲労に比例するのかもしれない。もし自分が総の立場だったとしても、俺なら尻の穴が痛いという以外にダメージはあるだろうかと考える。悲しいことに、即座に無いだろうなぁという結論に達してしまう。相容れないのだ。感情を共有して分かり合うことはできないらしい。
「総」
呼ぶと、総は全身をぴくっと硬直させた。
「総くん」
「……ぃ…」
ほとんど聞こえないような小さい声で返事があった。
「仰向けになりなさい」
するとまた肩を震わせた。
「顔を見て正常位でやろうぜ」
「……い…」
どうやら『はい』と言っているらしい。もちろん口だけだ、そんなこと自分からできる男ではない。全裸の身体を、性的な欲に塗れた相手の前に平気で曝け出せるほど厚顔なら、総はとっくに女性と経験していた筈だ。
「総くん、一回で終わるなんて思ってないよな」
「……はい…」
葉月は手を伸ばし、総の身体をくるっと返した。
「───っぁ…」
「今夜は勃ってないな───良くなかったか?」
はっとしたように総は目を見開き、まるで機械仕掛けの人形のように上体を起こした。
「おいで……俺を跨いで…」
葉月は総の手首を掴んで引き寄せた。
「…はい……」
ただはいはいと総は言う。それしか日本語を知らない外国人のように。
「ゴムして欲しいか? おまえが俺につけてくれないならそのまま入れるぞ」
「……はい…」
「どっちなんだ?」
総はのろのろ動き、葉月の身体を跨いだ。もちろんそれは葉月のさりげない介添えに従った結果だ。
「そのまま入れたらおまえの尻の中が精液でびちゃびちゃになるんだが」
わざと下品な言葉を選んで葉月は言う。
「……っひ」
言葉通り想像したのか、悲鳴のような声が総の唇から漏れた。
「冗談だ、もうちゃんとつけてるよ」
生で入れるなら直腸の中を洗ってからだしなと心の中で葉月は付け足したが、そんなことをできるのは何年後だろうとも思う。いやいや、案外、この短期間で三回もセックスできたことを考えると、わりと簡単にステップアップするかもしれない。
葉月は総の身体に両腕を回し、目の前で薄く開いた唇に口づけた。舌で舌を探り、口の奥の方で縮こまっているのを誘い出す。おずおずと外に出てきた総の舌を、葉月はやんわり吸った。最初は軽く吸うだけだ。怯えさせるつもりはない。急激な変化はまだ怖がるけれど、少しずつ馴らしてやるとわりとすんなり受け入れる。柔軟なのだ。いくら総が拒絶することを精神的に苦痛に感じて拒めないのだとしても、普通の男なら、男に抱かれることをこんなにあっさり受け入れられるわけがない。動物はオスとメスが交尾するようにできているのだ。その摂理に逆らうことに抵抗がないらしい総は、こうあるべきという意識が薄いのかもしれない。
「……きみ…甘い匂いがする…」
唇が離れた時に葉月が言うと総はくすっと笑った。
「…バニラでしょう」
「ああ…なる……こんな甘い体臭でおまえをフラフラ歩かせるのは危ないとか考えた俺の頭はイカレてる」
「僕は獣王連の…大幹部『朱雀 』の…側近ですよ……」
「ああ」
「もしも絶世の美少女だったとしても…大丈夫です…決して…誰も……襲ったりしない……貴方ぐらいだ…」
ちゅっとまた口づけた。
「───そのまま腰を下ろしな」
「…はい……」
いきなり続きが始まっていた。
「大丈夫…さっきまで入ってた」
「───はぃ…」
総は葉月の首に両腕を回した。抱きしめるというよりはしがみついているという様子だ。
やれやれと思いながら、葉月は総の尻に勃起した先端を擦り付けた。この辺りだろうか、それとももう少し後ろの方かと、擦り付けながらあたりをつける。
「ん? この辺りだよな……」
何度か試していると、まるで誘われるように、ほとんど抵抗なく先端が総の体内に滑り込んだ。抵抗がないからといって、総がゆるいというわけではない。一度目の挿入の時、無理に捩じ込んだりせず、かなり手間をかけて拡げておいたからだ。人間の肛門は意外と柔軟性のある器官だ。丁寧に拡張してやれば、手首ぐらいなら飲み込むようになる。もちろん葉月はそんなに拡げてしまう気はないけれど。
また挿入されたことが分かったのか、葉月の耳元で総は小さく悲鳴をあげた。先だけでも想像を絶するような異物感があるのかもしれない。
「痛いか?」
そんな筈がないと分かっていて訊ねると、総は葉月にしがみついたまま小さく首を振った。
「平気なら少しずつ腰を落とせ───体重で最後まで入るだろ」
「……はい…」
「ほら───おまえが跨ってるから俺は動けないぞ」
「…はい…」
返事だけはいつもはいはいと従順だ。もともとの性格がS寄りの葉月にとって、征服欲が満たされるだけでも日々の欲求不満が解消されそうだ。
ちょうど口もとにある総の、つんっと尖った胸を葉月は吸った。
「っふ…」
総の鼻から息が漏れる。軽く歯をあててやる。何度か繰り返すと、総の膝ががくっと揺れた。そして、あっというまに腰が沈み、葉月のものを根元まで飲み込んでしまうことになった。
「…ひぁっ……っく…」
あまりのことに自分で驚き、総の上半身は後ろに倒れた。葉月は慌てて腕を伸ばし、ぐっと引き寄せ、胸が合うように抱きしめた。
「なにしてるの」
「───すみませ…きゅ…急にちか…力が…」
「うん」
「…腕も…上がらな…」
「俺が押さえている」
「……はい…」
すっかり力の抜けたくたくたの身体が葉月に寄りかかってきた。
「総くん……来週、もう一回やろうか」
「……やりなが…言わな…で……」
もっともな抗議に葉月は小さく笑った。拒絶されないことは分かっていたけれど、こんなにぐったりしていてもきっちり文句は言うんだと思うと可笑しかった。もともと総はきつい性格だ。巽に対しても、業務上の会話では容赦ない。
葉月は総の首筋に何度も何度も口づけた。
こんな風に触る日がくるなんて考えたこともなかったせいで、葉月は総に夢中になっている。キスと挿入ぐらいしかしていないのに、今までのどんな経験よりも良いのだから、夢中になるなという方が無理な相談だ。
「…どうする? 来週も会ってくれるか?」
口づけるたびに総の身体は震えた。すっかり過敏になっている。
返事はしないだろう総の身体を葉月はゆるゆる突き上げ始めた。小さく眉を寄せた顔を見ているだけで達してしまいそうだった。
朝、いつも通り六時に目を覚ました総は、胸の上の葉月の腕をのけてベッドを抜け出し、足音を忍ばせてバスルームに飛び込んだ。
一度目よりも二度目、二度目よりも三度目の方が、総の羞恥心はダメージを受けている。あっというまに終わってしまった一度目は、相手の強引さに引き摺られただけだと納得できた。二度目は、父親とのことを初めて他人に話したせいで、普通の心理状態ではなかったのだと思うことができた。でも今回は、自分でついてくると決めて来たのだ。ベッドに誘ったのは葉月で、相変わらず強引に抱き寄せられて、初めて朝まで一緒に眠った。今までは、終わった後はすぐに離れて服を着たのに、まるで全てを委ねるように寝てしまった。義務教育が終わったぐらいから巽の前ですら朝まで眠ったことはないというのに。昨夜は、三度目は、おそろしいぐらいだった。なにがおそろしいって、総自身にもよく分からない。とにかく全身がぞくぞくした。背筋が震えて、身体中が震えて、どうしようもなかった。震えが止まらなくて、わけが分からないせいで怖くて、目の前の葉月にしがみついた。すると葉月は震える総をしっかり抱きしめた。
頭からシャワーを浴びながら総はバスタブの中でしゃがみ込んだ。
無意識にもっととか口走ったような気がする。あの人の名前を何度も何度も口にしたような気もする。目の前の男とは別の男の名前だというのに、なんの罪悪感もなく呼んでしまった。そのたびに彼はなにか囁いた。囁かれるたびに総は痺れた。
「総くん、俺もシャワーを使いたいんだが」
ふいに聞こえた声に総はびくっと肩を尖らせた。
「…少し…お待ち下さ…」
「俺も入っていいか?」
「……いいえ、駄目です」
「どうして? 俺たちは今更じゃないか」
確かに今更だ。あんなことまでしておいて一緒にシャワーができないなんて言うのは変だ。でも───でも嫌なのだ。
「すぐ出ますから少しだけ待って下さい」
頼めば葉月は待ってくれるだろう。無理なことはしない。された覚えもない。
「───分かった」
分かってくれたらしいことに安心し、総は慌てて全身を洗った。
あの震えは何ですかと聞いたら彼は答えをくれるだろうか。早鐘を打つような鼓動の理由を教えてくれるだろうか。医学的に納得できるような説明がもらえたら安心できる。こうこうこういう理由で心拍数が通常より上がったせいだと言われたら、総はなるほどと思い心が落ち着く。安心する。
「……葉月さん、シャワーどうぞ」
ベッドに腰掛けて朝のニュースを見ている葉月の背中に総は言った。
「ああ」
葉月はくるりと振り返り、総に向けて手招きした。どうするべきかなと思いながら、それでも総は葉月の隣に座った。バスローブ一枚の総は濡れた髪を覆うようにタオルを被っている。
湯気がたつような総の首筋に顔を近づけた葉月は、すーっと大きく息を吸い込んだ。
「…なんです?」
「首とか肩とか舐め回したくってたまんねぇなぁと思ってさ」
「……バカなんじゃないんですか」
「それがバカだってんならバカでいいけどさ。きみ、ほんとに美味そうなんだぜ」
「美味くはないです」
「そりゃあ自分で自分は食えないからなぁ…」
「あのですね、葉月さん、そういう言い方、やめてもらえますか」
「どうして?」
「どう反応したらいいのか分からなくて困るからです」
「別に反応しなくていいんじゃねぇか?」
特に深く考えずにそう言って、葉月は総の首筋にちゅっと口づけた。
「…ちょ…はづ…」
「きみはさぁ…巽を好きなんだろうけど、奴をどうしたいんだ? 抱きたいの? 抱かれたいの? それとも両方か?」
すると、総はゆっくり後ろに倒れた。それに付き合うように葉月も横になったので、ベッドのスプリングが大きく弾んだ。
「…抱きたかったですよ……全てを手に入れたかった」
「そうか」
「あの人は……凄く我慢強い……潔癖で強情で屈折していて、真面目で慎重で優しくて厳しい……決して人を裏切らない…汚いことが嫌いなくせに、職責を投げ出すことはない───僕には彼が全てです。十才の僕を引き取ってくれたあの人の全てが欲しかった……」
葉月は総の額にも唇を寄せた。
「…貴方は……どうせ僕なんかにそんなことできないって思っているのでしょう? うん…でも、悔しいけど、僕は確かになにもできない……あの人に好きだと言うことすらできない…」
「言えなかったのは俺も同じだ」
「……でも、僕は、言ったところで可能性が無いってことも分かってるんです……だってあの人は…息子と寝るようなアンモラルな人じゃない…」
「ああ」
「貴方ならまだ可能性はあったでしょうに」
「奴は友人と寝るような男でもないぜ」
言われ、総は思わず苦笑した。確かにそうだ、巽はそういう堅物だ。
「……ええ…そうかもしれませんね…」
結局、総も葉月も選ばれなかったのだ。佐伯巽が惹かれたのは速水勝馬と速水数馬だ。
「…難しいですね……相手があることだから」
「ああ」
葉月は総の顔を覗き込んだ。いつも眼鏡で隠してしまっている顔は、普段の強面が嘘のように穏やかだ。
前髪が総の額を覆っているのは、義務教育の頃を最後に葉月は見ていない。長い前髪は後ろに流していて、形のいい額は剥き出しだった。額や顔に残る傷はそんなに目立たない。傷が小さかったせいか、転んだ程度にしか見えない。
「そんなに…見ないで下さい……」
「どうして?」
「…似ているから……父に…」
「そう……美人だったんだな」
「……僕は自分の顔なんか嫌いです」
「俺は好きだよ───俺ぁ面食いなんだな、たぶん。巽も美人だ……十代の頃は…そりゃあはっとするような美人だったぜ」
「でしょうね……冬矢さんを見れば分かります」
「きみも美人だ───眼鏡で隠しちまうのはもったいねぇなぁ…」
言いながら、また頬に口づけた。それがあんまり自然なものだから、抗うことも忘れて総は受け入れてしまっている。
「…さっききみが言ってた巽の性格だけどさぁ……そのまんまきみのことだよな───なんだっけ、我慢強くて強情で屈折していて真面目で優しくて厳しい、仕事は投げ出さず有能……信じた相手を裏切らない……一途で真っ直ぐなきみに全て当てはまる。きみと巽は本当によく似ているな」
「いくら貴方が似てるって思ったとしても、僕では巽さんの代わりはできません、役者不足です」
「なにを言ってるの───俺はもうきみしか駄目だ。なんかいろいろ思い出しちまったからな……セックスがいいもんだってことすら忘れてたのに、きみを抱いたら凄く良くってたまんないよ。この年で毎晩やりたくなるんだぜ。真夜中でもきみを呼び出したくなる」
あんまり凄いことをさらりと言うので、総はどういう顔をすればいいのか分からなかった。
でも、すぐに考え直す。別にいいのだ。この男の前で表情や態度を取り繕う必要はない。思ったまま、妙な顔をしてやればいい。いや、無表情でもいい。無理をする必要はかけらもない。演じる必要も全くない。
「んー…まぁ、きみが巽に似ているのは当然だな。奴はきみを本当の息子みたいに全力で育てたんだ。きみは奴に傾倒していて、ああいう風になりたいって思いながら大きくなった……似ていない方が問題だ。でも、だからって、俺はきみに奴の代わりをして欲しいわけじゃねぇよ。総くん、きみはありのままきみ自身として生きればいい」
言った葉月を総はじっと見つめた。背筋が震える。心も震えた。
思い出す。昔、総がまだ十四、五の頃、葉月は同じようなことを言った。きみは自由にただきみ自身であればいい───確かに葉月はそう言った。あれから十年以上が経つというのに、葉月はなにも変わっていないのだ。
たまらなくなった。総の全身はびりびり震えた。
「……葉月さん……」
無意識に近づけた総の唇に、葉月はゆっくり唇を重ねた。わざとちゅっちゅっと音をさせて舌を吸う。
十年前、総が大学に進学するとかしないとか言っていた頃、無理にでも引き取るべきだったと葉月は思う。もし引き取っていたら、単なる親子みたいになってしまって、こんな時間は過ごせなかっただろうけれど、総に人並みの人生をやれた筈だ。東大を出てヤクザの秘書をしているなんて、勿体無いにも程がある。一流企業にだって勤められただろうに。いや、受験し直して医学部に行かせて、二人で医者をしても良かった。どこか田舎の無医村で、裏社会なんか関係無い土地で、総が内科を担当したらちょうどいい。十年前に決意していたら、そんなバカげた夢物語が現実になって、夢みたいな人生を葉月は生きていたかもしれない。
ゆっくり唇が離れると、総の舌は葉月の舌を追ってきた。挿入やフェラチオより、総はキスが好きらしい。激しいキスではなく、そっと舐め、軽く触れるだけの、優しいキスが好きなのだ。舌を吸うといっても、引き抜かんばかりの強さではなく、軽く吸うだけだ。合間合間に甘噛みしたり、唇を吸ってやったりもするけれど、追い詰めるようなことはしない。幼い頃に、部屋の隅の暗がりで膝を抱えて怯えていたような恐怖心を、葉月は総に追体験させる気はない。優しく丁寧に触れ、一体感を得るために挿入し、安心して全身を委ねられるように抱きしめる。身も心も包み込んでやれば、理性が飛ぶほどの快感に総は没頭できるかもしれない。ほんの子供の頃からぎちぎちに硬い理性で己の行動を律している男を、本当に意味で解放してやりたい。そのための手段としてセックスが有効なら躊躇わない。そして葉月は違うと気づく。セックスは葉月自身のためでもある。他の誰にもできない行為を共有することで総を独占したいし、今までの人生で得たことのない快感に溺れたい。
俺の身体は無駄にデカいなぁと葉月は自分で思っていたけれど、全て総のためだったのだと最近ようやく気づいた。長身の総を抱きしめるための長い腕だ。総をすっぽり隠してやるための巨躯だ。医者にしておくには宝の持ち腐れだとよく言われたけれど、葉月は初めて自分の身体に感謝した。総のために得た身体だったのだ。長身の総が全体重をかけて寄りかかってきても崩れることがない巨体だ。総より小さい巽なんかにそんなことできやしない。
「…総……離れるのが辛い…」
「……」
「十七年、いつだって会えた筈なのに、俺たちは年に四回しか会わなかった……年に四回だ……今は月に四回も会っている……」
葉月は総の額にちゅうっと口づけた。
「会って、キスして、きみを抱いて……もう俺はメロメロだ……」
「…葉月さん……僕なんか…良くないでしょう……」
呟くように総が言うと葉月はくっくっと笑った。
「テクは確かに無いがね───そんなんじゃなくて、きみに触れるだけでむらっとくるんだ」
「……貴方は子供の頃から…僕に触ったりしていたでしょう?」
「そうなんだよ……昔はなぁんにも感じなかったんだよなぁ……この一年ぐらいだよ…きみが傍にいるとむらむらしてさぁ…」
葉月は総の耳の後ろに口づけた。
「じゃあ貴方は一年もなんにも感じてないような顔で僕と会ったりしていたわけですか?」
「ああ」
総のみみたぶをやんわり口に含む。
「…っ…」
総は全身を震わせた。
「……はづ…」
「アメリカから休暇を利用してたまに戻ってきたらきみは俺と会ってくれるか?」
「っぁ…」
「キスもさせてくれ」
「っ…」
「抱かせてくれたらもっといい」
「……ぁぅ…」
たまらず総は射精していた。あんまりストレートに求められて、胸がぎゅっとしめつけられた。
荒い息を吐く総の変化に気づき、葉月は枕元の棚からティッシュペーパーを三枚取った。めくるよと声をかけてからバスローブの前を開き、昨夜あれだけ弄ってやっても勃つことすらなかった性器をティッシュで丁寧に拭いた。過敏になっているのか、指先が触れるだけで総の身体は跳ねた。正直、抱いている最中より余程エロティックで、今すぐにも葉月は突っ込みたくなった。
「───でも我慢する」
呟きながら葉月は総の頬を撫でた。
「…がま…なにを…」
「こっちの話」
すると総は小さく苦笑した。
「……あな、た…が、我慢なんかしたこ、とな、ないくせに」
「ああ…まぁ…しねぇな…」
それでも葉月は我慢する。ずっと傍にいたいという気持ちを抑えて渡米する。連れて行きたいという思いも告げずに。そしてもちろん今だって、朝から淫らな行為に及ぶのは諦めるのだ。
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