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第3章 第9話

ホテルの前でタクシーを呼んだ(さとる)はハンカチを手渡してくれた。 「タクシー代だよ。環生(たまき)に何かあったら家の人が心配するから、ちゃんと家まで乗っていくんだよ」 受け取ったハンカチの中には折り畳まれたお札が包まれている感触がした。 「元気で」 「うん、悟も…。ありがとう」 そっとキスを交わした。 『別れ際に一度だけキスをしてさよならしよう』って約束してたのに、どうしても離れ辛くてもう一度だけきつく抱きしめ合った。 悟の温もりやにおい、鼓動、体感…全部を記憶に刻んだ。 「これで最後だよ」 「うん…」 最後のキスは甘くて優しくて、ちょっぴり切なかった。 「笑って。俺は環生の笑顔が好きだよ」 「俺も…悟の優しい笑顔が好き」 色んな感情が入り混じっていて、お互い普段通りには笑えなかったけど、俺たちは笑顔で別れを告げた。 さよなら…悟…。 走り出したタクシーの窓から小さくなっていく悟を見ていたら、涙が溢れてきた。 悟もずっと俺を見送ってくれていた。 自分の選択は間違ってないと思ったけど、悲しくて仕方なかった。 ギュッと握りしめたままだったハンカチを開くと、1万円札と一緒に2枚のメモが挟んであった。 『幸せに…』 悟の優しい文字だった。 最後に見た悟の笑顔が浮かんで胸が苦しくなった。 『もし、環生が少しでも俺を想ってくれるなら、残りのお金で俺を思い出せる何かを買って欲しい』 2枚めにはそう綴ってあった。 悟は最後まで優しかった。 俺がお釣りをどうやって返そうか心配しなくていいように。 それからずるい人。 ハンカチをくれたのは、俺が悟との夜を忘れないように。 思い出の品を選ぶ瞬間も、買い求めたそれを見る時も彼を思い出す。 そうやって俺の心を離さない。 こんな事して一生俺の心に住み続けるんだ…。 「ずるいよ、悟…」 涙がこぼれて、ハンカチに染みた。 どんどん水玉模様ができていく。 俺は悟のトワレの香りがするハンカチをぎゅっと抱きしめた…。

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