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第4章 第7話

「泣かなくていい。泣かせたい訳じゃないんだ」 誠史(せいじ)さんはそっと髪を撫でてくれた。 「でも…皆の気持ちを考えたら切なくて…」 いきなり愛してる奥さんに別れを告げられた誠史さん。 大切な何もかもを残して家を出て行ってしまうほど追い詰められた奥さん。 違和感に気づきながらも幼い麻斗(あさと)さんや柊吾(しゅうご)のために、何事もなかったかのように振る舞った秀臣(ひでおみ)さん。 家族皆で過ごすのを楽しみにしていたのに、急に母親がいなくなってしまったまだ小さな麻斗さんや柊吾。 その瞬間の皆の気持ちを想像したら胸がギュッとなった。 「…環生(たまき)は優しいなぁ。『どうしてもっと奥さんを大事にしてあげなかったんですか?』って聞かないんだな。この流れだと俺が悪者だろう?」 「…事情を全部知ってる訳じゃないけど…誠史さんは悪くないと思います」 誠史さんがもう少し家族と向き合えてたら。 奥さんがもう少し早く誠史さんに気持ちを伝えられてたら。 秀臣さんが相談相手になれるくらいもう少し大人だったら。 麻斗さんや柊吾がもっと手がかかる甘えん坊な子供だったら…。 もしかしたら状況は変わっていたかも知れない。 でも、それは仮定の話。 きっと、些細な事が上手く噛み合わなかっただけ…。 きっと小さなズレが大きな歪みになってしまっただけ…。 だから誰も悪くない。 誰のせいでもない…俺はそう感じた。 「…奥さんがその後どうなったのか聞いてもいいですか?」 1人きりで家を出て行ってしまった奥さんが心配になった。 ここまで首を突っ込んだなら、ちゃんと最後まで聞いて受け止めようと思った。 「妻の実家に事情を話しながらお詫びに行って、貯金を丸ごと預けてきたよ。妻が一生懸命貯めたお金だ。妻の両親は驚かなかったから、一連の事情や妻の居場所を知っていたんだと思う。妻が出入りする可能性がある実家に、別れの直接原因になった俺が出入りしたら迷惑だろう?だから妻の実家ともそれっきりだ」 その言葉を聞いて安心する自分がいた。 思い詰めた奥さんが最悪のパターンを選択してしまう想像をしてしまったから。 「秀臣は俺の選択に何も口を出さなかった。何かしら思うところはあっただろう。でも、受験勉強をしながら黙って弟たちの面倒を見た。麻斗は空気を読んで淋しいのをグッと堪えて笑っていた。何かが起きた事を察した柊吾も、ずいぶん我慢していたようだが、夜になると『ママがいない』と泣き続けた」 母親だけでなく、祖父母とも会えなくなってしまった幼い頃の優しい3人に思いを寄せた。 きっと母親がいなくなって淋しかっただろうし、どうしてあの時止めなかったんだろうと、自分達を責めただろう。 自分たちは愛されてなかった、捨てられたと思って傷ついたかも知れない。 もし俺が当時のその場にいられたら3人を抱きしめてあげたい。 大丈夫だよ、今でもちゃんと愛されてるよ…って、言葉をかけて皆でくっついて一緒に眠ってあげたい…。 「妻が出て行ったのは俺のせいだ。淋しそうにしている息子たちの様子を見るのも、成長した彼らにこの件を責められるのも怖くなった俺は、息子たちを自分の両親に託してまた仕事に逃げた。仕事を理由に家族と向き合うのを避けた。結局俺は何も変わらない。だから今でも息子たちと会って拒絶されるのが怖いんだよ」 俺は親になった事がないから、誠史さんの気持ちはわからない。 でも、皆が誠史さんを憎んでない事はわかる。 きっと皆も誠史さんと同じ。 どうやって接したらいいかわからないだけなのかも…。 そんな不器用な4人を愛おしく思った。

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