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第4章 第29話side.柊吾
〜side.柊吾 〜
「今日の環生 、いいにおいするな」
ふわりと香る花のような優しい甘さ。
普段は素のままの髪だけど、出かける時は少しだけスタイリング剤をつける環生。
耳元で囁くと、小さくうなずく。
ちょっと嬉しそうだ。
「なぁ、教えてくれよ。なんで急に機嫌悪くなったんだよ」
『話を聞く』
『優しい言葉をかける』
『抱きしめる』
これが環生のご機嫌を取る秘技だ。
他の奴だったら面倒くさくてそこまで付き合い切れないけど、環生は別だ。
俺はホットケーキみたいにあったかくて甘い環生の笑顔が見たい。
「…ごめん…。周りの人が柊吾 を見て好き勝手言ってるのにモヤモヤしただけ」
環生は少し涙ぐんでいるように見えた。
やっぱり周りをよく見てる環生は気にしてたんだな…。
「言いたい奴には言わせておけよ。別に俺たちが悪い事してる訳じゃない。周りの連中に感情振り回されると疲れるだろ」
「うん…。でも、こんな事初めてだからまだ上手く割り切れないよ…」
環生は悲しそうな表情を隠すように俺の胸に顔を埋めた。
「柊吾は見せ物じゃないし、カッコイイ中身も含めて柊吾なのに…。柊吾にも感情があるのに…」
俺の背中に回した手に力がこもって、ズズッと鼻水をすする音がする。
周りが好き勝手に騒ぐ事も、勝手に好意を寄せてくるのも日常茶飯事。
いちいち反応するのも面倒くさい。
愛想よくすると長引くから、淡々と対応して誤解される事も多かった。
最初は怒っていたはずなのに、だんだん泣き始めた環生。
何だよ、俺のために泣かなくてもいいだろ…。
「環生が俺の事わかっててくれるからそれでいい。ありがとな…」
慰めるように抱きしめて頭をポンポンした。
駅のホームだから通行人がジロジロ見ていくけど、そんな事はどうでもよかった。
俺は何とかして環生の涙を止めたかった。
「ごめんね…、せっかくのデートなのに不機嫌になったりして」
しばらくして、気持ちに整理がついたらしい環生が顔を上げた。
真っ赤になった目元や鼻の頭。
胸が締めつけられる思いがした。
10代の頃、少しだけ付き合っていた恋人もデート中に不機嫌になる事があった。
ヤキモチやきの恋人は、俺が周りから好意を持たれたり、騒がれたりするのを嫌がった。
『柊吾は僕の恋人。僕だけの柊吾』
そう言って、人前で見せつけるようなキスや、『愛してる』の言葉をせがまれる事もあった。
浮気してないか携帯を見せるように言われた事もあったし、マメに連絡しないとすぐに泣いた。
耐え切れなくて別れてしまったけど、今思い返せばそれは恋人が『自分主体』で一方的に感情をぶつけ続けてきたのが苦痛だったからだ。
でも、環生の涙は違う。
自分ではなく『俺主体』で状況を判断して、怒って泣いた。
俺の存在や気持ちを尊重してくれたのが嬉しかった。
だから同じご機嫌取りでも全く苦ではなかったし、そんな健気な環生に寄り添えるのが心地いいとすら思った。
ずっと家の中にいて、家族以外の第三者と接する機会がなかったら、一生気づかなかった喜びだろう。
映画よりも環生を見ていたくなった。
誰も見ていないところで包み込むように抱きしめて、キスをして、めちゃくちゃに甘やかしたくなった。
でも、映画を止めて2人きりになれる所へ行こうなんて言えるはずもない。
環生が俺のために予約してくれた映画だ。
父さんが環生を独り占めしていて禁欲生活が続いた後の可愛いナマ環生。
もう環生を抱く事しか頭になくて、映画の内容なんてさっぱり入ってこなかった。
さり気なさを装いながら手を握ったら、ますますエロい気持ちになった。
初デートの映画館で手を繋いでムラムラするとか、高校生かよ…///
環生はそんな俺の様子に気づいたのか、俺の手に爪を立てて膨れっ面をした。
俺ばかり欲情するのが癪だから、環生の指と指の間を愛撫するように撫でた。
手首の内側や手のひらも指先でなぞるように触れると、ピクン…と反応を示す。
スクリーンを見つめたまま環生の様子を探ると、恥ずかしそうに少しうつむいていた。
映画のヒロインより絶対可愛いだろ…///
もっと可愛い環生を見たくて触り続けていたら真剣に手のひらをつねられた。
これ以上したらもう触らせてくれないだろう。
それだけは避けたくて、環生の手を温めるように包み込んでマッサージするように優しく触れた。
指先を握ったり爪を撫でたり。
横目で様子を探ると、さっきより穏やかな顔をしていた。
時々、きゅっと手を握り返す柔らかくて小さな手が愛おしかった。
しばらく続けると映画の中盤になる頃には俺の肩にもたれかかって昼寝を始めた。
揺らしても突っついても起きる気配がない。
半開きの口で本気で寝入っているようだ。
そんな寝方したら、ヨダレ垂れるだろ…。
泣き疲れたのか、それとも父さんと毎晩ヤッてたから寝不足なのか…。
腕枕はしてやれないから、そっと肩を抱く。
俺に全てを預けて眠る無防備な環生の寝顔から目が離せなくなった。
くすぐったいような甘いような、幸せな気持ちに満たされる。
まつ毛にかかる柔らかな前髪をよけたり、垂れそうなヨダレを拭ったり。
環生が眠っているからやりたい放題だ。
念願の環生の独り占め。
俺はエンドロールが流れるまで、環生の寝顔を見つめ続けた。
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