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第5章 第1話
あっという間に季節は進んで9月になった。
お店でも栗やお芋を使ったお菓子や食品を見かけるようになったし、ディスプレイもハロウィン仕様。
夜風は秋らしくなってきたけど、昼間はまだまだ暑い。
本格的な秋の到来はもう少し先のお楽しみ。
朝ご飯の前に何気なく新聞の折り込み広告を見ていたら、目に飛び込んできた百貨店の催事のチラシ。
いつか食べてみたいなぁって思ってたメロンパンのお店が出店するらしい。
お店は気軽に行けない距離だし、通販も半年待ち。
開店前に並んで整理券をもらえば買えるかも知れない。
朝ご飯の時、皆に行きたいアピールをしたら、柊吾 が家事を替わってくれる事になった。
帰ってきたらほっぺにチュー50回と引き換えに。
俺は大急ぎで準備をして、早めに家を出た。
気合いを入れて出てきたから、ちょうど通勤&通学のラッシュと重なってしまった。
会社勤めをしていた頃は毎日嫌々乗っていた満員電車。
もみくちゃにされてしまうから、なるべく扉の隣にある少しの壁スペースに陣取った。
相変わらず混んでいて息苦しかったけど久しぶりな分ちょっと新鮮だった。
催事の中吊り広告を見ながら、気になるお店を探していると、ふとお尻に誰かの手が当たった気がした。
混んでるし偶然かな…と思って広告に視線を戻すと、今度はお尻に触れる気配。
あれ…?
ちょっとおかしいかも…と思っているとその手がお尻のあたりを行ったりきたり。
痴漢だ…。
俺、痴漢されてる…!
そんな事されるの初めてだし、されるとも思ってなかったから、どうしたらいいかわからない。
心臓はバクバクだし、冷や汗も出てくるし、体も震える。
『止めてください』
『この人、痴漢です』
『助けて…』
どうにかして助けを求めたいけど、怖くて声が出ない。
辺りを見回したけど、皆スマホやおしゃべりに夢中で誰も気づいてなさそう。
どうしよう…。
「嫌なの?」
急に耳元で囁かれてゾッとする。
鼓膜にねっとりと絡みつくような男の人の声。
姿は見えないけど、ちょっとかすれた声だから、おじさんかも。
ウンウンと必死にうなずいて、少しでも離れようとすると、声の主はふふっと笑った。
「残念。君が嫌がるなら他の子にしようかな。あの扉のあたりにいる子…。あの子ウブそうだから、痴漢なんてされたら電車に乗るのトラウマになってしまいそうだね」
視界に入ったのは、学生服の小柄でおとなしそうな雰囲気の男の子。
電車の揺れで転ばないよう、手すりにつかまって立っていて、狙われている事にも全然気づいてないみたい。
あんな子が電車で怖い思いをして学校に行けなくなってしまったら大変だ…。
制服姿だからその気になれば身元も特定されてしまう。
通学電車っていう『日常』に痴漢が出るのも恐怖だろう。
俺は普段、電車には乗らない。
二度とコイツに会う事もない。
今だけ…今だけ乗り切れば…。
俺は我慢をする事に決めた。
「いい子だね。もっとにおいを嗅がせてよ。君はいいにおいがするね」
痴漢は抵抗をやめた俺のうなじへ鼻先を寄せると、クンクンとにおいを嗅いだ。
「誰かに助けを求めても無駄だよ。誰かに気づかれたら、あの子の学校までついて行くからね」
卑怯な脅しで俺の反応を面白がってる様子。
でも、ここで逆らったらあの子が被害に遭ってしまう…。
正面には電車の壁、後ろには痴漢。
ぴったりと体を寄せられた。
痴漢は俺のお尻に勃起したそれをグリグリと擦りつけてきた。
いつものデニムをはいてこればよかった。
街に行くからと薄手の生地のオシャレなズボンをはいてきたから、形も硬さも熱もダイレクトに伝わってくる。
その感触と、耳元の荒い息づかいに吐き気がする。
柊吾、助けて…。
バッグについているキーホルダーをぎゅっと握りしめた。
この前デートした時に柊吾がプレゼントしてくれた思い出のキーホルダー。
好き放題されないよう体に力を入れて、なるべく呼吸しないようにした。
痴漢の吐いた二酸化炭素や、そいつの臭い成分が体に入ってくるのが嫌だった。
早く…早く次の駅に…。
あとどのくらいで着くのか確認したくて窓の外を見る。
「いいの?あの子が降りるまで俺を見張っていた方がいいんじゃない?」
俺は絶望的な気持ちになった。
あの子の学校の最寄駅がどこかわからないし、このままされたらもっとあちこち触れられてしまう。
誰も助けてくれない。
自力でも逃げられない。
無力な俺はこのまま言いなりになるしかないんだ…。
俺は必死に涙を堪えた。
「お前…何してるかわかってるんだろうな…」
突然降ってきた男の人の低くて冷たい声。
思わず顔を上げると、そこに立っていたのは背が高くて、体格がよくて、ちょっと日焼けをしていて髪に金のメッシュが入ったいかにも強そうで怖い顔の男の人。
その人は俺から痴漢を引き剥がすと、ちょうど到着した駅のホームにつまみ出してくれた。
どこにでもいるような普通のおじさんだった。
痴漢は何か叫んでいたけど、途中で扉が閉まったからよく聞こえない。
そのまま電車は動き出す。
皆も気づいたらしく、車内がざわつき始めた。
た、助かった…。
安心したら脚から力が抜けてよろめいてしまう。
「おっと、大丈夫か」
彼は太くて力強い腕で、正面から俺の体ごと抱き止めてくれた。
勢いで彼の胸に顔を埋めてしまう。
柊吾たちとは全然違う鍛え上げられた筋肉の感触。
もう痴漢もいない。
もし現れても、この人に守ってもらえる…。
そう思ったら堪えきれなくなった涙がどんどん溢れてきて、人前なのにワンワンと大声で泣いてしまった。
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