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第5章 第2話
「怖かったな、もう大丈夫だ」
「はい…ありがとうございます」
俺が泣いたせいで、さらに注目を集めてしまった俺たち。
さらに車内がざわつき始めたから、彼は次の駅で俺と一緒に電車を降りてくれた。
彼はホームの隅にある人目につかなそうなベンチに俺を座らせると、少しだけ離れて座った。
俺が落ち着くまで、黙って側にいてくれたんだ…。
「あの…迷惑かけてしまってすみませんでした」
助けてくれたお礼と側にいてくれて心強かった事も伝えた。
「腹が立って咄嗟につまみ出したけど、あのまま捕まえて警察に突き出せばよかったな」
悔しそうに言った彼は、俺に謝ってくれた。
「警察に行くなら付き合おうか。えっと…」
「環生 です。相川 環生」
「環生か。俺は渡瀬豪 だ。豪でいい」
そう名乗った彼は爽やかに微笑んだ。
嫌な思いもしたし、電車に乗るのも怖い。
またアイツに遭遇したら嫌だ。
それに疲れてしまってすぐにでも家に帰りたいと思ったから、今は警察に行かない事を告げた。
「誰かに迎えに来てもらえそうか?俺が送っていってもいいけど、知らない男に家を知られるのは嫌だよな…」
豪さんになら家の場所を知られてもいいと思ったけど、さすがにそれは申し訳ない。
秀臣 さんは仕事だし、柊吾 は車を持ってないから麻斗 さんに電話をした。
思い出すのが怖くて上手く話せない俺の代わりに、豪さんが事情を話して待ち合わせ場所を決めてくれた。
『環生、すぐ迎えに行くからもう少しだけ頑張れる?』
麻斗さんの優しい声に俺は何度もうなずいた。
豪さんは待ち合わせ場所の駅の出口へ俺を連れていくと、麻斗さんのお迎えを一緒に待ってくれた。
待ち時間に色々な話をした。
豪さんは毎日筋トレをしている事や、仕事に行く途中だった事、痴漢現場に遭遇したのは初めてだったから慌てた事を教えてくれた。
お酒が好きな事も、熱帯魚を飼っている事も話してくれた。
ちょっとヤンチャで怖そうな印象だったけど、優しい人。
俺は百貨店の催事のメロンパンを買いに行くつもりだった事や、普段は家政夫の仕事をしている事を話した。
大きな体で俺の姿が人目につかないように隠してくれたし、通行人のおじさんに怯えていると、大丈夫だと声をかけてくれた。
見ず知らずの俺にこんなに優しくしてくれる豪さんは、俺にとってのヒーローだった。
「環生!」
声がした方を見ると、麻斗さんの車から飛び降りた柊吾が全力で走ってきた。
そのまま背骨が軋むくらい抱きしめられて頭や背中を撫で回された。
「環生、お待たせ」
コインパーキングに車を停めた麻斗さんも小走りで駆けつけて、すぐに頭を撫でてくれた。
「保科 です。お電話ありがとうございました。環生がお世話になりました」
俺のお世話を柊吾に一任した麻斗さんは豪さんと話を始めた。
「柊吾…怖かったよ…」
「あぁ、もう大丈夫だ。泣かなくていい」
俺からも柊吾に抱きついた。
柊吾にくっついて少しでも痴漢にされた嫌な記憶を吹き飛ばしてしまいたかった。
「やはりそうでしたか…。こんな偶然あるんですね」
「俺も今聞いて驚きました」
やたら親しげに話す2人。
もしかして知り合いなのかな…。
「環生、渡瀬さんは俺たちの家のお隣りさんだよ。さっき電話で名前を聞いた時、もしかして…と思って」
麻斗さんの口から飛び出した驚きの真実。
マンションの人とはあまり接点がないから皆も顔と名前がほとんど一致してない状態。
麻斗さんもマンション役員名簿で名前を見かけた事があるだけだと教えてくれた。
「隣りだと知っていたなら俺が環生を送ればよかったな」
「そんな事…。豪さんこれから仕事なのに…。本当にありがとうございました」
深々とお辞儀をすると、豪さんは『迎えが来てよかったな』と俺の頭をポンポンしてくれた。
「ではまた…」
豪さんはまた電車に乗るため、駅に向かう。
人助けをして、颯爽と立ち去る姿は本物のヒーローみたいだった。
俺の周りにはヒーローがたくさん。
痴漢を追い払って守ってくれた豪さん。
すぐに迎えに来てくれた麻斗さん。
真っ先に俺を抱きしめて安心させてくれた柊吾。
秀臣さんも今ここにいたらきっと俺を助けてくれる。
「何だよ、何でアイツ環生の事を呼び捨てしてるんだよ」
柊吾がブツブツ言ってるのに反応したら面倒くさそうだから聞こえないふりをする。
俺は豪さんが歩いて行った方をずっと見つめ続けた…。
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