178 / 420

第7章 第17話

柊吾(しゅうご)が大学に復学したいって気持ちを聞かせてくれた日から数日たった。 誠史(せいじ)さんに電話をして許可をとった柊吾は張り切って勉強を始めた。 秀臣(ひでおみ)さんと麻斗(あさと)さんは相変わらず仕事で忙しい毎日を送ってる。 そんなある日の23時半すぎの事。 『食事を兼ねた打ち合わせだ。遅くならないように帰る』と言って、夕方過ぎに出かけた秀臣さんが帰ってこない。 遅くなる時はいつも連絡をくれるのに。 何かあったのか心配で電話をしてみようとも思ったけど、大事な話をしてる時だったら申し訳ないし…。 時計と電話を気にしつつ、交代でお風呂を済ませて、勉強する柊吾と一緒にリビングで過ごしている時だった。 玄関のチャイム音。 秀臣さんだ! 玄関を開けると、そこにいたのは秀臣さんを抱えた知らない男の人。 「秀臣さん…!大丈夫?」 急いで自力で立っていられない秀臣さんを支える。 お酒のにおい。 飲み過ぎて立てなくなっちゃったの…? 柊吾とその人に手伝ってもらって秀臣さんを部屋へ運んだ。 俺は水の準備をしたり、着替えを出したり。 一通りのお世話をして、秀臣さんが眠ったのを確認した俺たちはリビングへ。 「ありがとうございました。今、温かいお茶をいれますね」 俺がキッチンへ向かうと、柊吾がどうぞ…と、男性をソファーへ促した。 「どうぞ」 「ありがとうございます。すみません、夜遅くにお暇もせず…」 「いえ、こちらこそすみません。兄がお世話になりました」 酔っ払った秀臣さんを連れ帰ってくれたのは秀臣さんより10歳くらい年上に見える俺より少し背の高い男性。 着ていたロングコートも、サラサラストレートボブもまとっているオーラも何だかオシャレだし、一般人からはしないようないいにおいがするから、仕事の関係者かも。 「秀臣の仕事の広報や事務を担当してます藤枝(ふじえだ)です」 男性はそう名乗ってスタイリッシュな名刺をくれた。 藤枝…賢哉(けんや)さん。 「弟の柊吾です」 「家政夫の相川環生(あいかわたまき)です」 「君が環生か」 俺を見た藤枝さんは、優しく微笑んだ。 「秀臣からよく聞いてる。可愛くて心の優しい働き者の子がいるって。心のケアも体の世話も仕事の手伝いもしてくれる健気な子だってね。今日も酔っ払ってほとんど意識がないくせに、『環生が心配するから帰る』の一点張りで」 秀臣さんってば…。 外でも俺の事、外でそんな風に誉めてくれてたんだ。 嬉しいけどちょっと照れくさい。 「兄に何かあったんですか?」 聞き慣れない柊吾の丁寧な言葉づかい。 柊吾の新たな一面を見た気がして、ちょっとときめいた。 いつもはカジュアルな話し方ばかりしてるから。 「あ、いえ…。こんな酔い方して帰ってきたのは初めてなので、もしかして…と思って」 「秀臣の仕事の話はどこまで?」 「えっと…。今、力を入れているプロジェクトがあるって…」 俺が答えると、藤枝さんがうなずいた。 「長く秀臣を贔屓にしてくれていたクライアントがいてね…。でも、急にその話が白紙になった。秀臣は自分の力不足だって言ってたけど、実は裏があってね。クライアントが愛人の若いデザイナーに仕事を回したんだ」 ドラマみたいな展開に言葉を失った俺たちは顔を見合わせた。 そんな…そんな事って…。 それが本当の事なのか俺には判断がつかなかったし、クライアントさんの事情もわからないけど、秀臣さんの気持ちを考えたら胸がギュッとなった。 秀臣さんが夜遅くまで一生懸命仕事をしていたのを知ってたから。 「クライアントのスタッフが話しているのを偶然耳にしてしまってね。それを知った秀臣は荒れて…深酒してこの始末だ」 「そうだったんですね…。秀臣さん、このプロジェクトを成功させて喜ばせたい相手がいるって言ってたんです。だからいつもより頑張ってて…」 藤枝さんは少し驚いた顔をした後、柔らかで幸せそうな笑顔を浮かべた。 俺はピンときた。 秀臣さんが喜ばせたかったのは藤枝さん。 秀臣さんの大切な人は藤枝さんだって。 さっきは気づかなかったけど、藤枝さんのいいにおいは温泉旅行から帰ってきた日に秀臣さんから香ったトワレのにおい。 いくらショックな事があっても、落ち着いてる秀臣さんが立てなくなるくらい酔うとは思えない。 藤枝さんがいてくれるなら…って、存在を頼りにして甘えた結果、飲み過ぎてしまったのかも。 色々なパズルのピースが一気に繋がった事が嬉しくなった俺は、ついそれを表情に出してしまった。 藤枝さんが見ていた事に気づいて動揺していると、彼は穏やかに微笑んだ。 「秀臣が喜ばせたい相手が誰かはわからないけど、少なくとも僕はそれが自分であったらいいと思うよ」 藤枝さんの言葉や表情には秀臣さんへの想いで溢れているように感じた。 2人はお互いを想い合ってる…。 「藤枝さんは、秀臣さんの恋人…なんですか?」 「恋人…と言えば恋人だろうね。長い間仕事のパートナーとして過ごしてきたから、自分でもまだ違和感があるけれど」 秀臣さん、恋人がいたんだ…。 知らないうちに恋人ができていた事にも驚いたし、教えてくれればよかったのに…って淋しさも感じたけど、喜びが一番だった。 秀臣さんが幸せを見つけていた事が嬉しかった。 でも、どうしよう…。 いつから2人が恋人関係なのかわからないけど、俺ってば、秀臣さんとキスしたり、セックスしたり…。 いくらこれが秀臣さんと俺の日常で、お互いが同意の上の事だったとしても、藤枝さんを傷つける事をしてしまった。 恋人が自分以外の誰かを抱いてるなんて、嫌な気持ちになるに決まってる。 謝るのもおかしいし、知らんぷりをするのも心苦しい。 どうしよう、どうしよう…。 自分でもサーっと血の気が引いていくのがわかる。 「大丈夫だよ、環生。落ち着いて」 藤枝さんが俺を安心させるように、優しく微笑んだ。

ともだちにシェアしよう!