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第7章 第20話side.秀臣

〜side.秀臣(ひでおみ)〜 仕事としてのパートナー期間が長かった俺たちが恋人関係になったのはつい先日、仕事の関係者と出かけた温泉旅行の時だ。 若いスタッフが多く、派手に盛り上がる宴会の空気に馴染みきれなかった俺たちは2人で抜け出して旅館のバーに入った。 客は俺たちの他にカップルが一組。 静かで薄暗いバーはジャズが流れていた。 隣り合う席でたわいもない会話をしていた時にふと視界に入った賢哉(けんや)の髪。 艶のあるストレートの髪には白髪が混じっていた。 よく見たら目尻にシワも刻まれている。 生き物のしての老いを感じた。 終わりへと向かっていく生命の儚さ。 賢哉が俺の側にいるのは有限だという事実。 それに気づいた俺は、急に賢哉がいなくなる事が怖くなった。 当たり前のように側にいる賢哉の存在が愛おしくて尊くてたまらなくなった。 自分の鈍感さに呆れたが、これから先も賢哉がずっと側にいたらいい…そう思った。 「賢哉…いくつになった」 「どうした、急に」 「いや…特に」 「40だよ。あっという間だ」 苦笑しながらウィスキーの水割りを飲む横顔が、どこか憂いを含んでいるように見えて、急に守らなくてはならない存在に思えた。 大切に抱きしめて、自分のものにしてしまいたい衝動に駆られた。 今まで賢哉に庇護欲や独占欲を感じた事など、ただの一度もなかったのに。 「なぁ、賢哉。大切な人はいないのか。その…一緒に年越しを祝うような相手は」 「僕にそんな人がいたら、ここにいると思うか?」 「そうか…。それもそうだな」 賢哉に特定の相手がいない事に安堵する自分がいた。 それと同時に、賢哉は人生も生命も全てを俺に託して隣にいるのだと悟った。 その覚悟と思いに胸が熱くなった。 「僕は秀臣の作品をすぐ側で見る事ができればそれでいい」 そう言いながら、賢哉は着ているニットの袖をを愛おしそうに撫でる。 何年か前に俺が試作品としてデザインした黒いニットだ。 結局商品化はせず、気まぐれに賢哉に渡したそれを、賢哉は今でも大切そうに着ている。 思わずその手に自分の手を重ねると、賢哉が驚いた顔で俺を見た。 無理もない。 今までそれらしい触れ合いなどした事がなかったから。 勢いで触れてしまったがこの先どうしていいかわからない。 気の利いた言葉もかけられないまま、時間だけが過ぎていく。 賢哉もじっと俺を見つめたまま真意を伺っているようだ。 しばらくの沈黙。 拒まれない事に少し安堵した俺は、添えた手に少し力を込める。 察したらしい賢哉は少しうなずいてそっと瞳を閉じた。 戸惑いの中、初めて感じた賢哉の唇の感触、温もり、ふわりと香るウィスキー。 触れたのは俺からだったのに、いつの間にか両頬を包み込まれて唇を奪われていた。 「…っ、賢哉…」 「…僕は、秀臣の家の環生(たまき)みたいに可愛らしく甘える事も従順な受け身になりきる事もできないよ」 それでもいいのか?…と、確認するような眼差し。 「あぁ、もちろんかまわない」 賢哉は賢哉だ。 環生とは違う。 まさか賢哉から仕掛けられるとも思っていなかったし、いつも俺からのキスを待っている甘えん坊の環生との触れ合いに慣れすぎて驚いただけだ。 「賢哉…。俺は賢哉が好きだと、ようやく気づいた」 俺の告白を聞いた賢哉は穏やかに微笑んだ。 「俺も好きだよ、秀臣」 待った甲斐があった…と、少し瞳を潤ませる。 賢哉が俺を想っていた事実。 賢哉は何の見返りも求めず、黙って俺の側にいて支え続けた。 10年間ずっとだ。 滑らかな賢哉の髪をすくってそっと口づける。 この柔らかさも、これから増えていくだろう白髪も愛おしい。 賢哉が俺と生きた証だ。 「…聞いてもいいか」 「何だ」 「賢哉はいつから…」 「…さぁな。長く一緒にいすぎて忘れたよ」 賢哉はそう言って幸せそうに笑った。

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