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第7章 第36話side.誠史
〜side.誠史 〜
俺の熱はバレンタインデー当日にようやく引いた。
俺を心配するあまり、環生 が頻繁に様子を見にくるから休んだ気はしないが、普段一人暮らしをしている俺にとって、誰かの気配がする生活も悪くなかった。
結局、俺の世話をしていてチョコレートを作りそびれた環生。
バレンタインデー当日の夜、申し訳なさそうな顔をしながら、リボンをかけたハート型の空箱を差し出した。
「チョコは入ってないけど…中は入ってるから俺のいないところで見てね」
いつもありがとう…と、恥ずかしそうに俺たち1人ずつに箱を手渡して触れるだけのキスをした環生は、逃げるように風呂へ行ってしまった。
リビングには残された俺たち4人。
「環生は何をしても可愛いなぁ」
そうつぶやきながら、息子たちを見ると三者三様の喜び方をしていた。
自分の息子たちがバレンタインデーのプレゼントを受け取った反応を見られるのはなかなか貴重だ。
秀臣 はちょっとニヤニヤしながら手元の箱を見つめている。
『無理しなくてよかったのに…』と言いながらも、嬉しそうな麻斗 。
『軽いぞ。本当に何か入ってるのか?』と、柊吾 は疑わしげな顔をしながらハート型の箱を揺する。
本当は環生からのプレゼントが嬉しくてたまらないはずなのに、俺たちの前だから照れているんだろう。
「せっかくだ、開けてみないか」
皆それぞれ自分の中身とお互いの中身が気になっているんだろう。
一斉に開けると、中には『お願い事何でも一つ叶える券』と書かれた一枚の手書きカードが入っていた。
お願い事何でも一つ叶える券。
恥ずかしそうに空箱を差し出すだけでも可愛いのに、こんな仕掛けをしていたとは。
「最高だな。このカードがあれば環生があんな事やこんな事もしてくれるって事だよな…」
早速今日…と浮き足立つ柊吾を秀臣が制した。
「待て、柊吾。軽々しく使うな。最高にヤラシイ環生のシチュエーションが『何か』を見極めてから使うんだ」
秀臣と柊吾の頭の中はすでにピンク色の妄想まみれだ。
よくもまぁ即座にそんな卑猥なシチュエーションを思いつくものだ…と、感心してしまうような内容で盛り上がる長男と三男。
明らかに鼻の下がのびて顔が緩み切っている。
柊吾は性欲の塊みたいな年頃だし、環生が大好きだからわかる気もするが、秀臣は涼しい顔をして予想以上にむっつりスケベだ。
麻斗はどうだろうか。
さり気なく様子を伺うと、呆れた顔で2人を見つめていた。
環生に手を出して熱を出した俺を見た時のようなあの顔だ。
「秀臣も柊吾も、好意でこの券をくれた環生に向かって、どうやってそんな卑猥な願い事するつもり…」
麻斗の言いぶんはもっともだった。
「麻斗は何を願うんだい?」
「…俺の願いはただ一つ。環生が笑顔でいてくれる事だよ」
模範的で満点の麻斗らしい回答だと感じた。
こだわりが強い秀臣に対して、麻斗は幼い頃から心優しく、周りに合わせてばかりの子供だった。
もう少し子供らしく振る舞えばいいと思う場面も多々あった。
「父さんは何をお願いするの?」
「…そうだな、俺はこの券を使って環生をロンドンへ呼ぼう。そうすれば誰に邪魔をされる事もなく朝から晩まで環生を独り占めだ」
俺は今回の帰国で、環生をロンドンへ連れ帰りたいと思う気持ちが強くなった。
仕事から帰った時に、明るい部屋で環生が待っていてくれたらどんなにいいだろうか。
俺の隣で嬉しそうに微笑んだり、腕の中で甘えるように眠ったり…そんな環生のいる毎日は、彩り豊かで素晴らしいものになるだろう。
俺の名案に3人の顔色が変わった。
「それは困る。俺はこの券を使って環生にこの家に残ってもらおう」
真っ先に口を開いたのは秀臣。
秀臣は気持ちいいほど意見がハッキリしている。
「俺の券も環生にこの家に残ってもらうために使おうかな。多数決なら環生も心を決めやすいだろうし」
…と、誰もが納得し、さらに残る環生を思いやるような発言をしたのは麻斗。
「俺は取っておく。もし環生が『出て行く』って言い出したらこの券を使って全力で引き止める」
将来のリスクを考えて、保険をかけるような方法を選ぶしっかり者の柊吾。
環生のくれた券一枚で、こうも個性が出るとは思わなかった。
3人の人となりを知る事ができて面白いと感じていると、廊下の方から物音と何かをすする音が聞こえた。
風呂へ行ったはずの環生に何かあったんだろうか。
廊下へ出て様子を伺うと、環生がしゃがみ込んで泣いている。
「どうした、環生。こんなところで…」
「…パンツ…忘れちゃって…」
事情はわからないが涙を拭いてやってとりあえずリビングへ連れていく。
ソファーへ座らせると、息子たちも心配そうに寄ってきた。
「ごめんなさい。盗み聞きなんてするつもりはなかったんだけど、エッチな話で盛り上がり始めたから出るに出られなくて…」
そこまで話した環生はまた泣き始めた。
「悪かった、環生。調子に乗りすぎた」
柊吾が慌てた様子で謝った。
「すまない、環生。泣かせるつもりはなかったんだ」
秀臣もそれに便乗したが、どうしたらいいかわからない様子だ。
「ごめんね、環生…。自分のいない所であんな話をされたら嫌だね」
麻斗が環生の肩に手を添えてそっとフォローする。
「違うの、麻斗さん…。俺、皆にここにいて欲しいって思ってもらえてるのが嬉しくてそれで…」
どうやら嬉し涙のようだ。
それを聞いた麻斗は愛おしそうに環生を抱きしめる。
「環生は俺たちにとってかけがえのない存在だから、ずっとこの家にいて欲しいよ」
麻斗は優しい言葉と態度で環生に囁きかける。
「俺も環生にいて欲しいと思っている」
もっと何かしら思っているだろうが、俺に似て不器用な秀臣は言葉少なめだ。
「環生の居場所はここだ。どこにも行かせない」
来いよ…と手を差し伸べると、嬉しそうな環生が柊吾に抱きついた。
柊吾も抱え込むようにして環生を抱きしめる。
「俺もこの家にいたい。皆と暮らしたい。誠史さん、いい?」
「あぁ、もちろんだ。環生のしたいようにすればいい」
あっさりフラれてしまったが、きっと環生は息子たちと住んだ方がいい。
ロンドンでは言葉も通じない、知り合いもいない、おまけに土地勘もない。
昼間は仕事だし、俺1人では息子3人に甘やかされ慣れている環生をかまい尽くしてやる事もできないだろう。
そんな『ない』事ばかりの生活を淋しがりやで甘えん坊の環生に強いるのは酷だ。
それに、こんなに柔らかな表情で幸せそうな空気をまとう4人を俺の都合で引き離す訳にはいかない。
俺はこの4人の様子を見られた事が幸せだと思った。
「こんな幸せなバレンタインデー初めて。俺、今日の事ずっと忘れないよ」
今度は秀臣の腕の中で輝くような笑顔を見せる環生。
それは俺たち親子にとっても同じだった。
環生は俺たち4人それぞれに、心のこもった最高のバレンタインデーの思い出を贈ってくれたんだ。
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