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第9章 第9話
〜side.秀臣 〜
昼間のプロポーズ騒ぎの後、ご機嫌な環生 が『賢哉 さんも一緒にご飯食べていって』…と、張り切って晩ご飯を作り始めた。
今のうちに賢哉に話を…と思ってタイミングを伺っていると、家具屋から大きなダイニングテーブルとベンチ型のイスが届いた。
父さんが帰国前に注文しておいたそうだ。
『これで人数が増えても広々だろう』と満足そうだった。
その間に麻斗 が仕事に出かけて、柊吾 が大学から帰ってきた。
環生も小麦粉が切れたと言って、少しの間留守にした。
人の出入りが激しくて何人いるのかよくわからない。
環生がこの家に来るまでの静かな3人暮らしからは想像もできないほどの賑やかさだった。
今のダイニングテーブルと新しい物を入れ替えて、食事を済ませたら夜の8時を回っていた。
楽しそうに父さんと晩酌をする賢哉の姿を見て安堵する自分がいた。
旅行の前にきちんと賢哉に話をしておきたい。
俺の気持ちを察した環生が『皆、明日の準備をしてきて』と声をかけて何となくその場はお開きになった。
俺は環生に感謝しながら、賢哉の部屋へやってきた。
「すまない、賢哉。驚いただろう」
「…まったくだよ。そんな気配これっぽっちもなかったじゃないか」
賢哉がお気に入りのウィスキーを持ってきたから、一緒にソファーに座った。
いつものように乾杯をして一口飲んだ。
「秀臣はいつからこの事を?」
「心を決めたのは割と最近だ。隣で眠る賢哉の顔を見ていた時にそう思った」
先日、ふとしたきっかけで賢哉の部屋へ泊まった日の事だ。
俺の隣で熟睡する賢哉。
いつも完璧で余裕のある賢哉の完全に油断した寝顔。
その寝顔を誰にも見せたくないと思った。
そんな単純な理由だった。
「僕はもう、秀臣に人生を捧げたつもりでいたよ」
「それはわかっている。ただ、俺たちの気持ち以外で、客観的に俺たちの関係を証明するものが欲しくなったんだ。どこの誰が見ても賢哉は俺の大切な人だとわかるような何かが」
酔っているせいか、それだけ必死なのか…いつもより多くを語っている気がした。
伝えたい事はたくさんあるが、上手く賢哉に伝わっている自信はなかった。
「そうか…。もう一つ尋ねても?」
「あぁ、何でも聞いてくれ」
「…いつもは常識やこの世の流れにとらわれる事なく自由にやっているくせに、どうしてわざわざ『プロポーズの日』を選んだのか気になってね」
賢哉は優しい瞳で俺を見つめながら、俺の答えを待っているようだった。
仕事の時もいつもそうだ。
足りない俺の言葉を理解しようと、じっと待っている。
「…賢哉はもう気づいているだろうが、俺は一般的な感覚と何かがズレている。だから、いつプロポーズをしたら賢哉が喜ぶのか…わからなかったんだ」
本心だった。
プロポーズはいつするものなのか、正解を知らなかった。
調べてもみたが、誕生日や付き合い始めた日に特別な演出をして伝えるべきなのか、それとも何でもない日の何でもないタイミングでさり気なく伝えるべきなのか…情報が溢れすぎて考えても答えは出なかった。
賢哉はいつも俺の考えや気持ちを最優先するから、賢哉が何を望んでいるのかがわからなかった。
「…秀臣がしてくれるならいつだってかまわないよ。それにプロポーズしてもらえるとも思っていなかったから、本当に驚いた」
穏やかな賢哉の表情から、このプロポーズを喜んでいる事が汲み取れた。
「だがすまない。計画と違う形になってしまった」
「形なんてかまわない。僕はただ秀臣の側にいられればそれでいい」
「賢哉…」
賢哉の献身的な想いが嬉しいと思った。
気持ちを伝えようと賢哉の頬に手を伸ばすと、そっと押し返される。
「秀臣の気持ちは嬉しい。だが、本当によく考えたのか。その『客観的に僕たちの関係を証明するもの』が秀臣の自由を奪う枷になるかも知れない。僕は自由な感性で物作りをする秀臣が好きだ。僕自身が秀臣を縛りつける存在にはなりたくないんだ」
賢哉の真剣な表情、落ち着いた声音。
それから、どこか切なげな瞳。
予想外の反応に、今度は俺が驚く番だった。
「…賢哉は俺と家族になるのが嫌なのか」
「嫌な訳がないだろう。嫌ならわざわざ隣に引っ越しもしないし、家族旅行にお邪魔もしないよ」
「それならもっとシンプルに答えてくれないか。俺は自分の気持ちを伝えるのも、賢哉の考えを推し量るのもあまり上手くないんだ。それに…賢哉がいるから俺は俺でいられる。賢哉が枷になる存在ならこんなにも愛せる訳がない。俺の人生には賢哉が必要なんだ」
とにかく必死だった。
一週間分くらい言葉を発したかも知れない。
どうにかして賢哉への気持ちや将来の覚悟を伝えたかった。
祈るような気持ちで恐る恐る頬に手を伸ばすと、今度は優しく微笑んで俺を受け入れた。
「…秀臣の気持ちを試すような言い方をしてすまない。僕は愛している秀臣の人生の邪魔だけはしたくないと思って生きてきた。だから、嬉しいのにすぐ喜ぶ事ができなかった」
賢哉の瞳が少し潤んでいるように見えた。
気持ちを受け入れた賢哉が愛おしくてそっと手を握る。
「賢哉…俺の家族になってくれるか」
「…あぁ、もちろんだよ。秀臣。僕からもお願いしたい」
「もちろんだ。俺はどんな時も賢哉と共にありたい」
「僕もだよ。何があっても秀臣と共に…」
賢哉も俺の手を握り返した。
俺はこの日の幸せそうな賢哉の表情や繋いだ手の温もりを一生忘れないだろう。
俺は想いが通じた喜びと配偶者を得る事の責任を感じていた。
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