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第10章 第2話
日差しがだんだん夏に近づいてきたある日の事。
俺はお気に入りの洋服に身を包んで、麻斗 さんのお店の前にいた。
来月発売の雑誌にお店の記事が載る事になったらしく、撮影を見においでって声をかけてもらえたから。
雑誌の関係者の人はきっとオシャレだろうから、洋服選びにも気合いが入る。
何を着ようか迷ったけど、ベランダの紫陽花の色に似てると思って買った淡いブルーのゆるっとしたシャツとネイビーの細身のパンツを合わせてみた。
麻斗さんのお店はご飯も美味しいし雰囲気も素敵だから、雑誌に載ったらきっと大人気になると思う。
そうだ、今度湊世 さんと食べに来ようかな…。
そんな事を考えながらお店のドアを開けた俺は、今年一番のビックリ体験をした。
キッチンの奥には、俺の憧れで推しフードコーディネーターさんの香川 恭一 さんがいたから。
「環生 」
「あ、麻斗さん…!どうして…!?」
「雑誌の企画で、香川さんとコラボレーションメニューを出す事になってね」
そんな素敵な企画があるなんて、またビックリ。
「そうなの?全然知らなかった…」
「ごめんね、環生を驚かせようと思って内緒にしてたんだ」
麻斗さんはウィンクをすると、ここで待ってて…と言ってキッチンへ行ってしまった。
うわぁ、どうしよう…。
生の香川さんの姿を拝めるなんて夢みたい。
嬉しい…!
一瞬たりとも見逃したくなくて、じっと香川さんを見つめていると、麻斗さんと何か話している様子。
いいなぁ、麻斗さん…。
そう思っていると、香川さんが俺の方を向いて会釈をしてくれた。
お、俺に…!?
慌てて頭を下げると、麻斗さんが香川さんを連れてキッチンから出てきてくれた。
「こんにちは、香川恭一です」
「こ、こんにちは…。あ、相川 環生です…」
俺に向けられる優しくて柔らかな笑顔。
でも何となく浮世離れしたオーラがあるし、後光がさしてる気がして直視できない。
緊張して、名乗るだけで精いっぱい。
「環生は香川さんの大ファンで、いつもレシピ本やSNSを嬉しそうに見て、よくそのメニューを作ってくれるんですよ」
「あ、麻斗さん。だめ、恥ずかしい…!」
目の前で本人に大ファンだって暴露されてしまった事も、香川さんの視界に自分が入ってしまった事も恥ずかしい。
「そうですか、嬉しいな。どのメニューがお気に入りですか?」
「え、えっと…。SNSに載っていた洋風そうめんが…」
本当は和風ハンバーグなのに、気が動転してしまって上手く話せなかった。
メニューもだけど、料理と食器がマッチした全体の優しい雰囲気が好きだとか、料理をする事が楽しくなったとか、伝えたい事は山ほどあるのに…。
「ありがとうございます、環生さん」
うひゃあ、名前を呼ばれちゃった…!
今の録音したい…。
アラームに設定して、毎朝香川さんの声で目覚めたい。
「香川さん、ちょっといいですか」
「あ、はい。環生さん、また後で話しましょう」
香川さんは俺にそう告げると、呼びにきた人と打ち合わせを始めた。
俺は、お仕事の邪魔にならない場所へ移動した。
打ち合わせをする香川さんの真剣な眼差しも素敵。
時々見せる笑顔はもっと素敵。
こんな機会もう二度とないと思うから、しっかり記憶に焼き付けよう。
瞬きするのも惜しいくらい。
俺は香川さんの姿を必死に見つめ続けた。
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