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第10章 第10話

推しの香川(かがわ)さんとアフタヌーンティーを楽しんだ帰り道。 もう少しで家についてしまう。 香川さんとの夢の時間もこれでおしまい。 もっと家が遠ければいいのに。 もう少しだけ、あと5分でいいから香川さんと一緒にいたい。 俺だけが知っている香川さんを記憶に焼き付けて一生の思い出にしたい。 もう、2度と会う事はできない人だから…。 そんな俺の願いも虚しく、信号も順調であっという間に家に着いてしまった。 でも…これでいいんだ。 俺はたくさんいる香川さんのファンの1人。 これ以上を望んだら忙しい香川さんの迷惑になるし、欲が出てしまいそう。 「環生(たまき)さん、楽しかったです。今日はありがとうございました」 「俺の方こそ楽しかったです、ありがとうございました。それから…ごちそうさまでした」 何か会話が続くような事を言えばよかったのに、上手く言葉にできなかった。 柊吾(しゅうご)たちが相手ならいくらでもおしゃべりできるのにな…。 「お部屋まで送りましょうか」 「だ、大丈夫です。エレベーターに乗ったらすぐですから」 あぁ、俺のバカ…。 遠慮する気持ちが強くて、せっかくの善意を拒んでしまった。 遠慮するならするで、もっと柔らかな言葉を選べばいいのに。 「では、エントランスまで送ります」 お家に帰るまでがお出かけですから…と、優しい笑顔。 俺の言葉選びなんか全然気にしてない様子。 香川さんは大人だ。 「あ、ありがとうございます…」 香川さんは邪魔にならない所に車を停めると、助手席のドアを開けて俺をエスコートしてくれた。 『また香川さんに会いたいです』 本当はそう言いたかったけど、香川さんは住む世界が違う人。 自分の立場をわきまえる事、プライベートまで深入りしない事もファンのお作法。 「俺…これからもSNSの更新や活躍を応援しています」 「ありがとうございます」 「お家まで安全運転で…」 「はい、ありがとうございます。気をつけます」 「で、では…失礼します」 ネタ切れでこれ以上会話を続けられなくなった俺は、深々とお辞儀をする事しかできなかった。

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