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第10章 第20話

「き、緊張した…」 まだ心臓がバクバクしてる。 ここまで走ったからじゃない。 咄嗟の事だったとは言え、あんなに香川(かがわ)さんに近づいたから…。 手を洗うついでにザブザブと顔も洗った。 真っ赤な顔をしてると思うから、何とか普通の顔色に戻さなくちゃ。 …あれ?タオルがない。 ちゃんと持ってきたはずなのに、途中で落としたのかな…。 どうしよう、自然乾燥…?と思っていた矢先に差し出された見慣れた柄のタオル。 「しゅ、柊吾(しゅうご)…?どうして!?」 そこにいたのは、大学の友達とBBQをするって言ってた柊吾だった。 「連れて来られたのがこの川原だったんだ。トイレに行こうと思ったら、環生(たまき)が落としたタオルにも気づかずに全速力で走っていくから…何かあったのかと思って追いかけてきた」 柊吾の示す方を見ると、川原には楽しそうにBBQをする家族連れや学生グループがいた。 煙やお肉の焼けるいいにおいがする。 「も、もしかして…俺の事見張りに来たの…?」 「そんな訳ないだろ。たまたま場所が同じで…」 「……」 「何だよ、その目。疑うのかよ」 「そういう訳じゃないけど…」 世の中にはBBQ施設も川原もたくさんある。 お互い毎週のようにアウトドアに出かけてる訳でもないから、遭遇率なんて低いはず。 そこでバッタリ会うなんて、そんな偶然ある!? 「とりあえず顔拭けよ」 世話好きの柊吾が顔を拭いてくれる。 いつもの柔軟剤のにおいがしてホッと気持ちが和らいだ。 「ありがとう…」 「…で、どうなんだよ、デートは。恥ずかしくなって逃げ出してきたのか?」 からかうように言いながら柊吾はニヤニヤ笑う。 やっぱりどこかから見てたんじゃ…。 「……」 「…大丈夫だ、いつもの環生でいればいい」 そう言って微笑んだ柊吾は、濡れておでこにくっついた前髪を整えてくれた。 意地悪なのに優しい柊吾。 きっと俺を元気づけようとしてくれてるんだと思う。 「環生さん?」 「あ、香川さん…」 「帰りが遅いので思わず来てしまいました。…そちらの方はお知り合いですか?」 「えっと、あの…」 「麻斗(あさと)の弟で、環生の同居人の柊吾です」 「あぁ、あなたが…。香川恭一(きょういち)です。お兄さんにも環生さんにもお世話になっています」 心配そうにしていた香川さんの表情が穏やかになった。 俺…心配かけちゃったんだ…。 「環生、今日のぶどう狩りを楽しみにしていたんです。浮かれて迷惑をかけていませんか?」 「そんな事はありませんよ。環生さんは優しくて心配りのできる素敵な方です」 柊吾が『ほら、大丈夫だろ?』と言いたそうに俺を見る。 俺の不安を解消してくれた柊吾に、『ありがとう』の視線を送る。 少しだけ当たり障りのない会話をした柊吾は、『環生をよろしくお願いします』と告げてトイレの方へ歩いていった。

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