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第10章 第25話

香川(かがわ)さんの名前が聞こえた方を見ると、ボートに乗った女性2人組がこっちを見ていた。 そうだ…、香川さんは有名人。 俺が気安く触れていい人じゃなかった。 それを再確認して緊張が走る。 思わず香川さんを見ると、『大丈夫です。心配はいりませんよ』と微笑んでくれた。 ドキン、ドキン…と心臓の音がやたら大きく聞こえるし、背中を冷や汗が伝う。 どうしよう…ボートの上じゃ他人のフリもできない。 香川さんと俺が一緒だった事がSNSで拡散されたら、香川さんに迷惑をかけてしまうかも知れない。 お願い、そっとしておいて…! 「えー、よく見えないけど違うでしょ。本物はもっとシュッとしてて爽やかだよ」 「でも横顔とかそれっぽくない?」 「似てるだけの雰囲気イケメンでしょ。本物がこんなところで足漕ぎボート乗ってる訳ないじゃん」 「そっかぁ…そうだよね。さすがにないか」 女性たちは、『降りたらアイスクリーム食べない?』と楽しそうに笑いながら通り過ぎて行った。 よかった、バレずに済んだみたい。 俺はホッと胸を撫で下ろした。 「…どうやらプライベートの私は爽やかではない雰囲気イケメンのようですね」 自虐気味に言って苦笑する香川さんの表情が切ない。 「お、俺は…プライベートの香川さんもシュッとしてて爽やかで、イケメンで…素敵だと…思います」 本心だけど、タイミング的にわざとらしい感じになっちゃったかも…。 「気をつかってくれてありがとうございます。それより環生(たまき)さんを巻き込んでしまってすみません。私は慣れていますが、環生さんはジロジロ見られて嫌な気持ちになったでしょう」 「お、俺は大丈夫です…。香川さんの迷惑にならないかが心配だっただけで…」 「…環生さんは本当に私の事ばかり…。お気持ちは嬉しいけれど、もっと環生さん主体で物事をとらえてくださればいいんですよ」 困ったような香川さんの表情。 主体性がないって思われちゃったかな…。 それとも、煩わしいって思われちゃったかな…。 「環生さん、ボートから降りたら話したい事があります。聞いてくれますか?」 どうしよう…何を言われるんだろう。 恋人だと勘違いされたくないから、もう会うのはやめようとか、これ以上まとわりつかないで欲しいとか、そんな感じかな…。 「はい…」 今度は俺がずっとボートの上にいたいって思う番だった。

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