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第10章 第26話

「どうぞ、環生(たまき)さん」 「ありがとうございます…」 ボートを降りた俺たちは、冷たいレモネードをテイクアウトして木陰のベンチに座った。 受け取る時に指先が触れて、息が止まるかと思った。 香川(かがわ)さんの言葉が怖くて、さっきからずっとドキドキしっ放しの俺の胸。 今日だけで絶対寿命が縮んでると思う。 このレモネード、失恋の味になっちゃうのかな…。 うつむきながら一口飲んだ。 甘くて酸っぱくて…切ない味。 いつもなら保科(ほしな)家の皆が可愛がってくれるから、割と自信満々な俺。 平気でワガママだって言うし、ネガティブな事なんてほとんど思わない。 普段から大事にされてるんだな…と思うと、皆に会いたくなる。 皆に励ましてもらって、自己評価の高い状態で香川さんの話を聞きたい。 でも…今は1人。 甘えてちゃいけない。 しっかりしなくちゃ。 「環生さん、私の方を見てくれますか?」 「はい…」 本当は見たくなんてない。 大好きな香川さんが拒絶の言葉を紡ぐのを直視したくない。 深呼吸してから顔を上げると、香川さんが真剣な眼差しで俺を見ていた。 「環生さん、私は環生さんが好きです」 「えっ…?」 一瞬、自分の身に何が起きたのかわからなかった。 俺…今、香川さんに告白された…? 「…環生さんには、将来を約束した人がいますか?」 「…そんな人…いません」 ふるふると首を横に振ると、香川さんは少しだけホッとした表情を浮かべた。 「それなら私に立候補させてください。もちろん今すぐ恋人になって欲しいとは言いません。いいところも、悪いところも私の事を知って、その上で決めてくださってかまいません。あぁ、でもいけませんね。私と一緒にいると先程のような事もありますから…」 最初は勢いがあったけど、だんだん声が小さくなって遠慮がちになっていく。 このままだと、『やっぱり聞かなかった事にしてください』って言い出してしまいそう。 「待ってください、香川さん。俺…今すぐがいいです。今ここで香川さんの…恋人になりたいです」 思わず身を乗り出すと、俺の勢いにちょっと驚いた様子の香川さん。 信じられない…と言った表情で俺を見ていた。 「俺…香川さんが好きです。有名人の香川さんとお付き合いしたら何が起きるのかわからないけど、香川さんの側にいたいです」 「環生さんが私を好き…?」 「好きです。でも、俺は香川さんのファンだから…」 「…ファンだから、言わずにいてくれたんですか?」 黙ってうなずくと、涙がこぼれてきた。 嫌われてなかった事に安心したし、好きって言ってもらえて嬉しかった。 自分の想いを伝えられて気が抜けたら色んな感情がごちゃ混ぜになって、訳がわからなくなった。 「涙を…拭ってもいいですか?」 香川さんはポケットからハンカチを取り出した。 勝手に触れる事なく、俺の返事を待ってくれてる。 「お願い…します」 そう言ってうなずくと、香川さんはハンカチでそっと涙を拭ってくれた。 ハンカチから漂う香川さんのにおい。 胸がキュッとなって、また涙がこぼれた。 「環生さんの涙を見ると、どうしていいかわからなくなります…」 震えた声の香川さんに気づいて顔を上げると、香川さんも泣いていた。 俺を想って流してくれる純粋で美しい涙。 「俺も…香川さんの涙を拭ってもいいですか?」 「はい、お願いします…」 持っていたタオルはぶどうの果汁や汗がついて汚れてしまったし、ハンカチは持ってない。 迷った俺は、指先でそっと涙を拭った。 「環生さんの温もりは…心地いいです。これからもずっと…私の側にいてください」 香川さんは、潤んだ瞳で優しく微笑んだ。

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