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第12章 第1話

「楽しみですね、環生(たまき)さん」 「そうですね、香川(かがわ)さん」 今日は1泊2日の泊まりがけで香川さんと俺の実家へ。 香川さんと初めての電車旅。 電車で帰りたいって言ったのは俺。 電車なら車よりも近くに座れるし、おしゃべりもできるし、疲れてる香川さんにゆっくりしてもらえるから。 恋人同士になって以来、毎日連絡は取ってるけど、香川さんは忙しいから、なかなか会えないし話せない。 仕方ないってわかってるけど…本音は淋しい。 本当はもっと付き合い始めのふわふわした楽しい気分を共有したい。 たくさん『好き』って伝え合って幸せ気分に浸りたい。 でも、よく考えたら、有名人の香川さんは俺と2人でいるところを見られない方がいいのかも。 そう思って最初は言い出せずにいた。 そんな俺に香川さんは『我慢しなくても、言いたい事は言っていいんですよ』って言ってくれた。 人目を気にする俺に『悪い事をしている訳じゃありません。だから心配しなくて大丈夫ですよ』って微笑んでくれた。 そんなやり取りがあっての電車移動。 俺はご機嫌で母さんに『電車に乗ったよ』とメッセージを送る。 すぐに『待ってるから気をつけて帰ってきてね』と返信があった。 香川さんから『環生さんのご両親にご挨拶をさせてください。きちんと私の気持ちを伝えて、ご両親の考えも聞かせていただいた上で、環生さんと結婚を前提に交際をさせてもらいたいんです。離れて暮らすご両親に少しでも安心してもらいたいんです』と言われた時、俺はハッとした。 両親に何も伝えてなかったから。 新しい住所や連絡先、保科(ほしな)家の皆の名前、自分の仕事内容程度の最低限の事は伝えたけど、ただそれだけ。 皆の写真を見せた訳でもない。 それ以来、俺がどんな生活をしてるかを話した事もない。 俺はこの歳になっても何一つ両親を安心させてない事に気づいた。 スマホで暇つぶしの動画を見る時間があるなら、『元気だよ』って一言でも電話できたはず。 限定スイーツの写真を撮ってフォルダにためておくくらいなら、その画像と一緒に『美味しいケーキ食べたよ』ってメールする事だってできた。 時々でも俺の生活が見えたら、両親も少しは安心できたのかも知れない。 好きな人ができた事も伝えてないのに、いきなり恋人と泊まりに行ってもいい?なんて言ったから、きっと驚かせたはず。 もっと周りの人を大切にできる大人になろう。 香川さんにふさわしい恋人になれるように。 そう思いながら、香川さんと一緒に食べようと思って持ってきたお気に入りのクッキーの袋を開けた。

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