307 / 420

第12章 第5話

「色々ありがとう、母さん」 楽しい食事を済ませた後、香川(かがわ)さんをお風呂へ案内した俺は洗い物をする母さんに声をかけた。 「どういたしまして。環生(たまき)に素敵な恋人ができて安心したわ」 母さんが洗った食器を受け取って布巾で拭いていく。 「よかった、安心してもらえて」 「ほら、環生はひとりっ子でしょう?特に深い親戚付き合いもしていないから、私たちの身に何かあったら環生はひとりぼっちになってしまうって、ずっと気がかりだったの」 そうなんだ…。 そんな風に思ってくれてたんだ…。 「香川さんね、さっき一緒に料理をした時に約束してくれたのよ。『一生環生さんを大切にします』って。あんなに素敵な彼、環生じゃなくて私が側にいて欲しいくらいよ」 ビックリして思わず拭いていたお皿を落としそうになってしまう。 「だ、だめだよ。母さんには父さんがいるし、香川さんは俺の大切な人だよ…」 「わかってるわよ、そんな事。冗談よ」 「やめてよ、もう…」 ムキになってしまった事が恥ずかしくて、母さんに背を向けて食器棚にお皿を片付ける。 それを見た母さんがクスクス笑う。 「冗談も通じないほど、環生も香川さんが大好きなのね」 「…大好きだけど…改めて言われると恥ずかしいよ…」 その間にもどんどん洗い上がったお皿がたまっていくから、仕方なく母さんの隣に戻ってお皿を拭いていく。 「香川さんね、『お母さんの大切な環生さんに触れてもいいですか?』って聞いてくれたの。『お母さんがお腹を痛めて産んでくださった大切な環生さんだから…』って。もう深い関係になっているとばかり思っていたから驚いたわ」 知らなかった…。 キッチンで母さんと香川さんがそんな話をしてたなんて…。 「前に帰ってきた時、環生は首筋にキスマークをつけていたでしょう?その時は環生にも心や体を許した相手がいる事が嬉しいって思ったのよ。環生も大人になったのね…って。でも、こうして環生だけでなく、私たちの気持ちまで大切にしてくれる香川さんが環生の恋人になってくれてもっと嬉しくなったの」 母さんはその場では何も言わないけど、いつもこうやって俺の事を考えていてくれる。 昔からずっと…。 「私たちの望みは環生の幸せよ。でも、環生が選んだ香川さんは、私たちまで丸ごと幸せにしてくれるのね」 大きくて温かい人ね…って言う母さんは少しだけ涙ぐんでいた。 「本当に…俺にはもったいないくらいの素敵な人だよ」 「あら、そんな素敵な香川さんに選ばれたんだから自信を持ってもいいんじゃない?私ね、毎日仏壇に手を合わせておじいちゃん達にお願いしてたのよ。『環生がふさわしい相手と巡り逢って幸せになれますように』って」 それで巡り逢えたのが香川さん…? ご先祖様の引き…強すぎでしょ…。 俺…あんなに立派な香川さんにふさわしいのかな…。 「環生は私の自慢の息子よ。香川さんが惚れてしまうのも無理ないわ」 「そんな…。いくら何でも身内補正かかりすぎだよ…」 自分の息子だからって欲目で見過ぎだと思う。 保科(ほしな)家の皆も割と誉めてくれるけど、俺はどこにでもいる平凡な市民その1だから。 「香川さんはそのままの環生を好きになったんだから、自分を卑下する事なんてないの。堂々としていたらいいのよ」 「そうだね…ありがとう」 まだ胸を張って香川さんにふさわしい恋人ですって宣言する自信はないけど、努力しよう。 素敵な香川さんの素敵なパートナーになれるように。 「でも、これだけは忘れないで、環生。常に自分が幸せかどうかを考えて。もし、香川さんといて辛いと感じる時があったら、自分だけで解決しようとせずに香川さんに相談するのよ。どうするかを一緒に考えるの。家出をするのはそれからよ」 「い、家出…!?」 いきなり何を言い出すんだろう。 俺が自ら香川さんから離れるなんて、そんなもったいない事できる訳がない。 俺の幸せは香川さんの側にいる事。 もしケンカして香川さんを失ったら、絶対後悔する。 あの時、あんな事言わなければよかった。 もっと我慢すればよかったって…。 「いつだって環生の人生の主役は環生よ。香川さんじゃないの。環生は優しすぎるから、嫌な事があっても『香川さんが好きだから』って、受け入れようとするでしょう?そんな事ばかりしていたら疲れてしまうから『どうしても気に入らない事があったら家出する』くらいの逃げ道を作っておくのよ」 「う、うん…」 「…香川さんは人前に出る華やかなお仕事の方だから、きっと何かしらの形で環生の生活にも影響があると思うの。仕方ない部分はあるかも知れないけど、どうにも我慢できない事は我慢しなくてもいいのよ」 母さんは香川さんの仕事の事や、俺の生活の事まで心配してくれる。 俺が悲しい思いや、辛い思いをしなくて済むように。 大好きな香川さんとずっと一緒にいられるように。 「色々心配してくれてありがとう、母さん」 「ごめんね、環生。私…あれこれ言い過ぎたわね。環生ももう将来を約束する人がいるくらい大人なのにね」 身体に気をつけて香川さんと幸せになってね…母さんはそう言って微笑んだ。

ともだちにシェアしよう!