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第14章 第8話
「環生 です。アサリと一緒にお邪魔します。お仕事頑張ってくださいね」
恭一 さんの留守番電話にメッセージを残してから、玄関のドアを開けた。
家へ入らせてもらうのは、この前のお泊まりの時以来。
たたみ切れていない洗濯物、テーブルに残されたままのマグカップ。
きっと忙しくて、手が回ってないんだろうな…。
恭一さんの家だから当たり前なんだけど、家のあちこちに恭一さんが過ごしていた気配が残ってる。
片付けてあげたいけど、勝手に触っていいかわからなくて、とりあえずそのままで。
寝室をのぞいたら、恭一さんのにおいがして胸がキュンとした。
ベッドに潜り込みたい衝動を抑えながらキッチンへ。
ボウルを借りて砂抜きをする。
美味しいボンゴレを作って、恭一さんに食べてもらいたい。
でも、俺が作るより恭一さんが作った方が美味しいんだけどな…。
そんな事を思いながらソファーに座って、クッションを抱えた。
このクッションが恭一さんだったらいいのにな…。
たくさん抱きついて頬ずりをして、永遠ににおいを嗅ぎ続けられるのに…。
早く会いたいな…。
スマホで簡単で美味しいボンゴレのレシピを探す。
きっとアサリの味がいいはずだから、なるべくシンプルなレシピ。
部屋は静かだし、大きな窓からは日差しが降り注いでいていい気持ち。
体も使ったし、お風呂にも入ったからだんだん眠くなってきた。
まだ恭一さんの帰りまで時間があるから、ちょっとだけ…。
俺はクッションを抱きしめたまま目を閉じた…。
「…ん…」
微かに物音がした気がして目を覚ます。
まだ頭がぼんやりする。
そうだ、俺…恭一さんの家に遊びに来て寝ちゃったんだ…。
体にかけられた柔らかなタオルケット。
恭一さん、帰ってるの…?
飛び起きて姿を探すと、洗面所で洗濯をしているところだった。
「恭一さん、俺…」
「あぁ、環生さん。目が覚めましたか」
久しぶりの生恭一さん。
相変わらず爽やかでカッコよくて惚れ惚れしちゃう。
生きてる恭一さんに会えただけで嬉しくて、ぎゅっと抱きついた。
「おかえりなさい、恭一さん」
「ただいま帰りました、環生さん」
あったかい腕の中。
キスをねだると、すぐに与えられる優しい温もり。
洗面所の窓から外を見たらもう真っ暗だった。
どれだけ熟睡してたんだろう。
「潮干狩りは楽しかったですか?」
「はい。大きなアサリがたくさんとれたんです。ボンゴレにしようかと思うんですけど…」
「いいですね。ちょうど白ワインもありますよ」
そう言って戸棚から白ワインを出してくれたけど、どこか上の空。
どことなく時間を気にしてる感じがあるし、まだ部屋着に着替えてもいない。
まだ…お仕事が残ってるのかな…。
そう思っていると、スマホのアラームが鳴った。
そうだ…。
今日は21時から月に一度開催される恭一さんの生配信の日。
恭一さんがおしゃべりをしながら料理を作ったり、視聴者からのリクエストに応えたりするファンにとっては嬉しい日。
俺も毎月楽しみで、忘れないようアラームをかけていたんだった。
そんな日に俺がいていい訳ない。
もし何かの形で俺の気配が伝わったら、恭一さんの仕事や人気に影響してしまいそう。
「やっぱり俺…帰ります…」
「気をつかわないでください、環生さん。せっかく来てくださったんですから」
「…俺、生配信は毎月お取り寄せをしてるおやつを食べながら見るって決めてるんです」
お取り寄せおやつの話は本当だけど、そこまでこだわりがある訳じゃない。
ただ、この家に存在したくなかった。
だって、物音一つ立てずに遠くからファンに向けて微笑む恭一さんを見つめるなんて辛すぎる。
同じ家の中にいるのに、別室で配信を見るのも淋しい。
また来ます…と伝えて、逃げるように部屋を後にした。
はぁ…とため息を一つ。
どうしてこんなにすれ違っちゃうんだろう…。
ただ好きな人に会いたいだけなのに…。
勇気を出してお邪魔したけど、本当のお邪魔虫になっちゃった…。
今帰ったら皆が心配するに決まってる。
でも、他に行くところもないし、夜に1人でフラフラするのも怖い。
帰ろう…。
俺は思い切って麻斗 さんに電話をかけた。
『迎えに来て』って…。
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