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第16章 第6話side.麻斗
〜side.麻斗 〜
仕事を終えて店を出ると、春風のにおいがした。
日差しも柔らかくなった。
もう春だ…。
季節の変わり目になると、環生 は衣替えと寝具の入れ替えで忙しそうにする。
春の気候は変わりやすくて、急に冷え込む夜もある。
早めに冬物を片付けてしまった環生は『寒い寒い』と言って、俺たちにくっついて暖を取る。
甘えたくてわざとしているのかも知れない。
それもすっかり我が家の風物詩。
今年の環生は予定を合わせて香川 さんとお花見デートをするらしい。
家に着いて時計を見ると、朝の7時半。
昨夜は香川さんが泊まりに来ているはずだから、まだ家にいるはず。
堂々と帰宅すればいいんだろうけど、2人の時間の邪魔はしたくない。
こっそり帰ってきたのに、物音を聞きつけた環生は玄関までやってきた。
「あっ、やっぱり麻斗さんだ」
おかえりなさい…と、いつもように抱きついて出迎えのキスをする環生。
「ただいま、環生」
抱きしめ返してただいまのキスをすると、嬉しそうに微笑む。
今ね、お花見弁当を作ってるんだよ…と、可愛いおしゃべりをする環生と一緒にリビングへ。
キッチンに立つ香川さんに挨拶をして自分の部屋に向かう。
香川さんは、月に1回ほどのペースで我が家に泊まりにくるようになった。
それぞれの都合で全員は揃わないながらも、家にいるメンバーで一緒にご飯を食べたり、お酒を飲んだり。
最初反対していた柊吾 も最終的には受け入れて、それなりに過ごしている。
緊張していた様子の香川さんも、少しずつ雰囲気になじみ始めた。
俺たちの前であからさまにイチャイチャする事はないけれど、お互いを見つめる眼差しから深く想い合っているのがわかる。
環生は本当に幸せそうだ。
一つ不思議なのは、2人がなかなか自分たちの部屋へ行こうとしない事。
せっかく2人きりになれるのに、ずっと俺たちの輪の中にいる。
気をつかっているのか、本当に賑やかな雰囲気を楽しんでいるのかわからない。
よかったら部屋へ行ってもいいよ…と、声をかけても、リビングにいる。
環生の部屋には父さんが買った2人専用の大きなベッドが置いてある。
さすがに香川さんをその部屋に泊める訳にはいかないから、2人だけの部屋も整えた。
4Pを楽しんでいた部屋のベッドを処分して、客間を兼ねた環生と香川さんの部屋にした。
皆と仲良くなれた思い出のベッドなのに…と、申し訳なさそうな淋しそうな顔をするから、俺たち用には4人で寝ても狭くないファミリー用の敷布団セットを買った。
なかなかの面積だから、使う時は協力してリビングのソファーやテーブルを部屋の隅に寄せる。
正直手間だとは思うけれど、『皆で一緒に準備すると修学旅行みたいで楽しいね…』と、嬉しそうに枕やタオルを持ってくる環生も可愛くて。
最初に環生が思い描いた通り、俺たちは俺たちで変わらず仲良くやっている。
着替えをしていると、キッチンから聞こえる環生の楽しそうな声。
この声が聞けるのも、おかえりのキスも、優しい笑顔も、いつか環生が結婚してこの家を出ていくまでの期間限定。
環生の幸せを願う気持ちに嘘はないけれど、もう少しこのままでいさせて欲しい。
もう少しだけ環生の笑顔を見ていたい。
そんな事を思いながら部屋を出た。
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