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終わりへと進む夜の過ごし方5
必死で走ったオレの前にいたのは大嫌いな男だった。
すかした面の、貧乏学者。
提灯片手にのんびり歩いていた。
何故、コイツがここにいる?
コイツはアイツといなきゃいけないはずなのに。
アイツはどうなった?
心中するなら神社だろうと検討をつけて、走ってきた。
まだ間に合うかだけを考えて。
でも、何故この男は神社からのんびり出てくる?
「こんばんは」
男はオレを見て笑った。
まるで何事もなかったかのように。
おれのなくなった右手を見ても、大した反応はない。
「痛くないの?それ」
のんびり聞かれる。
「痛いに決まってるだろう!」
おれは思わず怒鳴る。
手、千切れてんだぞ。痛い。めちゃくちゃ痛い。いつでも気絶できるっての。
おれは男が腰に指している大小の刀に目をやった。
珍しく武士らしい格好だ。
で、その刀を誰に使った。
「オメェ、アイツに何をした!!」
おれは怒鳴った。
「殺した」
簡単に男は答えた。
まるで挨拶でもしたかのような気軽さで。
「死ぬことになっていたのには変わりないから、殺したと言うのはどうなんだろう」
男は言った。
「私は一緒に死ぬのを止めたけれど、一人で死ぬのも二人で死ぬのも、死ぬことには変わりはないだろう」
男はまるで天気の話でもしているかのよう。
いや、違う。
この男にはそれくらいのことでしかないんだ。
あのバカ。
あのバカ。
この男には欲望を感じなかったから恋に落ちただと?
汚い欲望なんかない人だからだと?
コイツには、欲望どころか何もねぇ。
コイツはただの虚無。
ただの空っぽだ。
「アイツを殺したのか」
意外にも普通の声でおれは言った。
「ああ。苦しめはしなかった。私は私なりに彼が好きだったからね」
男は微笑んだ。
空っぽの、とてもきれいな微笑だった。
「何故。一緒に死のうと言ったんだろ?」
おれは冷静に尋ねていた。
「彼には感謝しているよ。彼が教えてくれたんだ。沢山死ねば世界が変わると。面白いと思ったよ。彼は本当に面白い。100人の人間が死ぬ毒をこの色町にばらまくと。それも面白いと思ったよ。そして、哀れな死こそが毒の呼び水になると。彼は素晴らしい。遊女なんかに生まれなければ何かになれただろうに」
男は淡々と語った。
「でも、後で思ったんだ。でも、足りない。足りないと。たかたが100人位の死では足りない」
男の微笑を恐ろしいと思った。
コイツは何を言っている?
「辻斬りで毎日一人人間を斬ったところで、せ いぜい毒で100人程度が死んだところで」
このつまらない世界が変わものか。
男の目から虚無が見える。
どうやったらこんな目に人間はなれるのか。
「でも、面白いと思った。彼は言った。哀れであればあるほど、その死は他の死への誘い水になると。ならば、心中相手に殺されてしまい、一人死ぬ遊女の方が哀れだとは思わないか?」
男は楽しそうですらあった。
「それで、あんたはどうするんだ?心中の生き残りの罪は重いぜ」
おれは尋ねた。
おれもコイツが何を言うのか最後まで聞きたくなっていた。
それと同時にアイツがしていたことをやっと理解した。
沢山の人を道連れに死ぬつもりだったのか、バカなヤツ。
「逃げるよ」
あっさり男は言った。
「もうすぐ戦が始まる。幕府はもうすぐダメになる 。幕府を倒すために動く奴らが現れる。君だって気づいているだろ。色町に増え始めたヤツらの声を。私はそれに参加する。戦さえ始まれば、沢山沢山死ぬ。私はそこに行く。そこなら何かが変わるだろう」
確かに勤皇とやら志士とやらの言葉が色町でも囁かれ始めているのは、おれも知っていた。
「やっと面白い時代が始まるのに、死ぬわけには行かないじゃないか。でも、彼はもう死ぬつもりだったから、殺してあげたんだ」
男は無邪気に微笑んだ。
アイツを殺すのに、この男にはこれ以上の意味を必要としなかったんだろう。
おれは理解した。
空っぽの男に空っぽの理由でアイツは殺されたのだと。
「そうか、言いたいことはわかったぜ」
おれのすることは決まっていた。
もう出来ることなんてそれしかなかった。
「だからあんたも、おれがあいつを殺された恨みであんたを殺すのもわかってくれるよな」
おれは抱えていた傘に入れていた刀を、口で刀の柄を加えて引き出した。
仕込み刀の傘 は地面に投げておく。
口で柄を咥え、左手で鞘を抜く。
それから、左手で刀を構えた。
男の目に初めて生き生きとした光が灯った。
「面白い、片手で私とやりあうつもりか」
男も刀を構えた。
中段の構え。
こちらは上段に構える。
噂が流れ着くのが色町だ。
男が名のある道場の塾頭までつとめていたことも 、名家の出の兄弟子を稽古で半死半生にして、道場を追放されたことも知っている。
おれごときが片手で勝てるかどうか。
いや、気力で押されたら負ける。
アイツを思う。
コイツを殺せば、アイツの気がすむかどうかはわからねぇ。
でも、コイツがこれから先も生きていると思うよりは、おれの気が済むんだよ。
おれはじりじりと間合いを探る。
さすがに隙がない。
剣術家相手にするなら、不意打ちしかないんだが、こういう風に始めてしまった場合どうする?
おれは必死で考えた。
おれは履いた下駄を男に向かって蹴蹴るようにして、放った。
顔面へ飛んでいく下駄に意識を奪わせてから、襲う。
と思ったのだが。
難なく、足裁きだけでかわされてしまった。
ほんの少し足を動かすだけで避けられた。
身体は何時でも斬れる状態を保ったままだ。
「そう、うまく行くとは思っていなかったけどよ、まぁ、さすがに強いわ」
おれはつぶやく。
まあ、あんなひっかけにのるとは思っていなかったけどな。
おれは残った下駄も脱いだ。
正攻法はダメだ。
片手では、相手の剣は受けきれない。
大体、実力が違う。
どうする?どうする?
「それでは彼の仇は討てないぞ」
男は楽しそうだった。
何にも興味ないって面が、今生き生きと笑っている。
じゃあ、こういうのはどうだ?
おれは刀の持ち方を変えた。
剣を持つ手を前にして、半身を切って腰を落とす。
見慣れぬ構えに男が眉をよせた。
おれに剣術を教えてくれる道場なんかねぇ。
でもな、色町ってのは、本当にいろんな人間が集まる場所なんだよ。
おれは刀を突き出した。
払われる、その流れに逆らわず、身体を回転させる。
それの回転を利用し、男の横腹を蹴り上げた。
「なっ」
男は驚いたようだった。
そこへ刀で突く、また流されば蹴る。
今度は真っ直ぐな前蹴りだ。
下腹に決まる。
男の顔が初めて苦痛に歪む。
「蹴りってのは知らないだろ?」
おれは笑う。
異国の技だ。
琉球だか、清だかわからんないがな。
そんなモノを使えるヤツも色町にはやってくる。
それんなものを教えてもらうために色町を使っているのはおれだけだろうけども。
片手だからこその、速さで刀を繰り出し、蹴りを混ぜ男をおれは翻弄していく。
ただ、おれは急ぐ必要があった。
こんなのはただの、コケおどした。
単なる付け焼き刃でしかない。
すぐに見慣れる。
そうすればすぐに見切られる。
次第に、速い攻撃も、蹴りにも、男は慣れてきてしまった。
避けられていく。
間合いで対応されている。
足裁きだけで避け始めた。
蹴りが宙を空しく切る。
せめて腕一本、せめて、何かを奪っておかなかればならなかったのに。
おれは焦る。
男の股間の急所へと蹴りを放つ。
せめてここ位潰しておかないと。
その蹴りを掴まれた。
男が完全に蹴りを見切り、片手を刀からはずし、おれの蹴りを掴んだのだ。
ヤバい。
おれは足を引っ張られ、地面に転がされた。
弾みで、おれの手から刀が飛んでいった。
男は刀で、倒れたおれを刺し貫こうとした。
おれは転がり避ける。
もう武器さえ持たず、地面に倒れたおれに、今度は男が追撃し始めた。
転がって避けるしかない。
二撃、三撃はやっとのことでよけた。
しかし、腹を踏まれ押さえつけられた。
「君は本当に面白い 。面白いよ」
おれを見下ろす男の顔はまるで少年みたいだった。
空っぽだった顔が、楽しそうに笑っていた。
まるで、競争で友人に勝利する少年のように男は笑った。
「終わってしまうのが残念だ」
男は刀を振り下ろした。
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