男の死体にはもう、顔があった。 　若い、ただの男の死体。 　兄さんの剣は男の身体に何の傷もつけてはいなかった。 　おれが斬りおとした手足はそのままだった。 　男は死んでいた。 　とりあえず、もうどこにも旦那の気配はなくなっていた。 　身体の持ち主の魂もない。 　あるのは死体だけだ。 　どこへ？ 　兄さんの剣は魂をどうしてしまうんだ？ 　 　おれは疑問に思ったが、おれにはやることがあった。 　このために百数十年を超えてきた。 　おれは恋人を抱きしめている学者先生の元へ言った。 　「先生、その人をこちらへ。そいつもおくってやらなければなりませんので」 　おれは両手を伸ばした。 　抱き締めるために。 　「嫌だ」 　学者先生が叫んだが、綺麗な兄さんが言った。 　「教授、言う通りに」 　それは有無を言わさぬ声で、学者先生はおれに恋人の身体を渡した。 　オレは頭を下げて、その身体を受け取った。 　「迎えにきたぜ。今度は一人で死なせたりしない」 　おれは呼びかけた。 　おれの腕の中で目を開けたのは、アイツだった。 　おれのアイツ。 　「お前は誰も殺しちゃいない。お前の手紙はおれが全部集めて捨てたし、お前は一人で勝手に死んだだけだ。殺したのはおれだ。旦那も先生もおれが斬った」 　だから。 　だから。 　「お前は何にも悪くない。安心して行っていいんだ」 　おれは囁いた。 　「ごめんねぇ、ごめんねぇ」 　アイツが泣いた。 　泣くのもいつものこと。　 　慰めんのもいつものこと。 　「いつも 、いてくれたのはあんただったのに」　 　アイツが泣く。 　何を今更。 　おれは笑う。 　「遅くなっちまったけどな、お前は行かなきゃいけない。この身体はこの兄さんに返してやんな、お前は一人で行かなきゃいけない」 　おれはコイツに言いきかす。 　ああ、コレでやっとコイツ送ってやれる。　　　 　「あんたは？」 　聞かれてオレは微笑んだ。 　「おれはな、たくさん殺しちまった。旦那や先生以外にも。何人も。だから行くところが違うんだ」 　おれにもこの先のことがわかってる訳じゃない。 　でも、お前はおれと同じところに来ちゃいけない。　　 　「嫌だ。一人では行かない」 　コイツが言い張る。 　「あのなぁ、先生は来ねぇよ」 　おれは困る。 　 　 「お父さんなんか怖がらずに、最初からあんたと逃げれば良かったんだ」 　その言葉におれの心が震えた。 　「おれと行くってのか、先生じゃなく？」 　おれなのか。 　おれでいいのか。 　おれだと言うのか。 　 「あんたと行く。あんたがいい」 　可愛げなく言われる言葉に涙がこぼれた。 　おれは、一度だってお前がおれをのぞんでくれるなんて思いもしなかったんだ。 　「そんなこと言ったら、旦那みたいにおれはお前をずっと追い求めるぞ」 　「追い求めてここまで来たくせに」 　ふん、アイツが言った。 　顔や姿は変わっても、その言い方も言い草も、何も変わらなくて。 　おれはアイツを抱きしめた。 　借り物の身体じゃなければ、ここでお前を抱いてたな。 　おっと、学者先生がすごい顔している。 　ここらへんが去り時か。 　「行こうか」 　おれはアイツに言った。 　「うん」 　アイツは頷いた。 　おれ達は身体を抜け、手を繋ぎそこへと向かい始めた。