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翌日の朝。
いつもより少し早めに出勤してきた倫平は、『BSC』星ノ空支店の従業員専用の駐車場に車を停車させた。
鞄を開けると、退職届を入れ忘れていないことを確認した。
倫平が車から降りて、ショップに向かうと、その途中に、少し頭の禿げあがった中年男性が倫平に声を掛けてきた。
「すみません」
「はい」
「こちらの従業員の方ですか?」
「はい」
「あの、ナツナギマオさんという方はまだ出勤されてませんか?」
「えーっと、ナツナギ・・・マヒロじゃなくてですか?」
「ああ、マヒロさんってお呼びするんですか。
失礼しました。
それで、夏凪さんは?」
「えっと、今日は間もなく出勤してくると思うですけど、どうかされましたか?」
「・・・はい、この度はウチの女房が大変ご迷惑をおかけしまして・・・本当に申し訳ありませんでしたっ!」と、中年男性は突然、倫平に深く頭を下げた。
「あ、いや、その・・・」と、突然のことに何が何だか分からずに困惑してしまう倫平。
と、「どうかしたのか?」と、倫平に朝早く呼び出された眞央が丁度運よく姿を現し、声を掛けてきた。
「店長っ。
こちらの方が何やら、店長にご用があるみたいです・・・」と、眞央に向かって言うと、次に中年男性に向かって、「こちらがウチの夏凪店長です」と、紹介した。
「あなたが夏凪さんっ!
この度は本当に本当にウチの女房が大変失礼なことをいたしまして・・・」
眞央も状況がよく理解できず戸惑う。
「・・・あの、失礼ですが、何のことでしょうか?」と、問いかける眞央。
中年男性は申し訳なさそうな顔を浮かべると、
「ウチの女房がこちらのお店に怒鳴り込みに来ませんでしたか?
その・・・自分の亭主、つまりは私があなたと不倫してるって」と、言い辛そうにしながら口にした。
「!」
「ウチの女房、なにをどう勘違いしたのか・・・。
最近、私ですね、新しく始めた事業がトントン拍子でうまくいったものですから、ずっと念願だった高級車を女房に内緒で三台ほど立て続けに購入してしまいまして。
それで、仕事場の近くに駐車場をこっそり借りてましてね・・・そうしますと、休日にドライブしたくなるじゃないですか?
で、休日に隠れてこそこそしてたのが、どうも浮気してると勘違いしてしまったようで」
「・・・・・」
「で、車の購入がついに妻にバレてしまいまして、『私に黙って三台も車を購入したのは、絶対、女の影があるからでしょっ!』って聞かなくて。
実際、私を担当してくださった自動車販売店の営業職の方は女性の方でして。
お名前が、ナツナギマオさんっていう、偶然にも漢字で書くとあなたと全く同じ漢字なんです」
「・・・・・」
「で、その営業職のナツナギさんとは、女房の手前、なかなかお会いすることが出来なくなりまして、それが、この前偶然バッタリお会いして、嫁の非礼をお詫びしたら、何のことかさっぱり分からないって言われまして」
「・・・・・」
「で、すぐさま女房に確認したら、相手は男でしょって言うですよっ!
そんなバカなことがあるわけないのにねえ・・・」
「・・・・・」
「詳しく聞いたら、車の書類か名刺か何かで夏凪眞央て名前だけを見て覚えていて、ネットで自動車の販売店と名前を検索してみたら、こちらのお店のホームページがヒットしたって」
「・・・・・」
「それで、あなたが私の不倫相手だと勘違いしたようで・・・本当にすみませんでした!」と、中年男性は再び深く頭を下げた。
「あ、いえ・・・」
「その後、なにか、ご迷惑なことにはなりませんでしたか?」
中年男性の問いかけに眞央は倫平の様子をチラっと見た。
倫平が明らかにもの言いたげそうな不服な顔で眞央をジトーーーっと睨んでいる。
「これからの方が大変になるかもしれません・・・」と、倫平の顔を確認して、思わずそう洩らす眞央。
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