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第6話

 その日から、玲はますます陰鬱な表情を示すようになった。以前とは異なる数種の薬湯が用意され、珪や女官の前でそれを干さねばならなかった。閨月の障りを和らげる薬湯と、子が出来ぬよう身体の働きを留める薬湯とを飲み干して、玲は身を清め、身仕舞いを整え、閨に続く部屋に座る。 ―今宵も、僑は来るのだろうか......―  深い溜め息が口を吐く。襟元で、しゃらん...と飾りが小さな音をたてる。繊細な細工を施された金の首輪には、橘の花と枝に遊ぶ駒鳥が描かれていた。決して番になることの許されぬ僑が思い余って玲の項を噛むことの無いよう、急ぎ誂えられたものだった。  茱妃は、僑が玲と関係を持ったことを知ると当然の如く怒り狂った。しかも、玲から誘ったわけではなく、僑が密かに玲に媚薬を用いて関係を迫ったと自ら断言したため、事態はますます混乱した。 ―実の弟と関係を持つとは、なんとふしだらな...―と息巻く茱妃を宥め、薬湯と首輪とを急ぎ手配させたのは、意外にも寧王だった。 ―故事によれば、母の違う歳かさの姉が太子の閨事の手解きをしたという例もある。玲太主は『姚月』ゆえ、懐妊にだけ気をつければ、公主(姫)違って、嫁ぐにも傷物にはならない。むしろいずれ嫁がれる玲太主なら僑王太子にとっても後腐れにもなるまい―  苦り切った苞宰相は、それでも自ら擁立した寧王に楯突くわけにもいかず、寧王の命に従い、僑太子が妃を娶るまでの床の相手......ということで黙認することにした。  幸いにも初夜の折りには、玲は『閨月』の盛りには至っておらず、兆しを見たのみで鎮まったので、子を孕むことは無かった。 「実の弟に組み敷かれたは、不本意な事であろうとは思うが.....」  寧王は、自ら首輪と処方された薬を持って、打ち沈む玲の籠る朔宮を訪れた。 「僑太子はそなたを慕っている。兄王から漏れ聞いたことによれば、玲どのは、何者かに謀られて『姚月』に貶められた.....という。ならば、いずれ『嘉陽』に戻す手立てが無いとも言えない」  寧王の言葉に、玲は眼を見張った。 「私は、男に...『嘉陽』に戻れるのですか?」 「可能性としての話だ。......」  寧王には見識はあったが、強さは無い。我れと我が身を責め苛む玲よりも顔色は冴えない。 「どうか、ご無理はしてくださいますな.....」 玲は慇懃に頭を下げた。寧は苞宰相の専横を憂い、無理を承知で王位を受けたのだ。学問にひたすらに勤しんでいたい寧にとって、それがどれ程の負担か痛いほどわかる。 「そのお心だけでも私は救われます」  神の怒りによって『姚月』に変異してしまったのではない。人の謀によって陥れられた.....ならば、その原因は己れの迂闊さでもある。同時に『嘉陽』に戻れる術があるかもしれない、という言葉は大きな希望だった。戻れずとも一矢報いることは出来るかもしれない、と玲は思った。だが、おそらくは可能性は低い。 「この者をお側に...『姚月』について熟知しておるものです。薬の処方もできますから.....」  寧王の傍らに控えていた老人が丁重に頭を下げた。 「白恣と申します...寧さまのお側で方士を努めておりました」 「廣伯玲です.....今は太主と称されております」 「存じております、美しいお方。伝え聞く『姚月』のうちでも、一際にお美しい」  顔を上げ、玲の顔をまじまじと見て、老人は言った。 「何なりと申しつけるが良い」    それからも、寧王は度々、朔宮に玲を見舞った。白恣が薬湯を処方するようになってから、玲の体調は少しずつ上向いてきた。 ―やはり、毒であったか.....―  朔宮の扉の外、寧王の問う言葉に白恣が頷いた。 ―以前、玲様が服用していた薬湯の処方を探したのですが、『姚月』の兆しが出る前に用いていた薬の処方が見当たりませぬ。最近に用いた薬湯の処方の中に、微量ですが、玲さまの質には毒となる薬草が含まれておりました― ―やはりそうか。.....以前の薬湯を処方していた薬師は如何した― ―死にましてございます。酔って崖から落ちたとか...ですが、玲さまに『姚月』の兆しが出るまでは、茱妃さまの薬師であったとか― ―消されたか― ―おそらくは.....―  茱妃の差しがねであろうことは、薄々とは気づいていた。となれば、黒幕は沙伊国かもしれない。 ―ただ...―  白恣が言い辛そうに口ごもった。 ―玲さまの変容は、薬のせいだけとも思えないのです.....― ―どういうことだ?― ―お美し過ぎるのです。.....薬物で無理に質を変えると、身体に負荷がかかり、生命を落とすか障害が発することもある。玲さまには、そのような障りが一切無い― ―では、玲は生来の『姚月』であったというのか?― 眉をひそめる寧王に白恣は一噌声をひそめた。 ―そうは申しませぬ。が、内にその質を持っていらした...ということはあります― ―白恣.....― ―王はご存じでございましょう...『姚月』は国が危うい時に世に降りる。傾城となって国を滅ぼすか、救国の英雄となるか....選ぶのは玲さまにございます―  寧王は重い溜め息を洩らした。廊下にふたりの影が長く伸びていた。

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