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第2話

一日の授業が終わると、真っ直ぐ家に帰った。 時々は同級生と遊ぶ事もあったが、ふわふわとした癖毛の髪と少女の様な容姿のせいで、同学年の男子達の輪には滅多に入れて貰えない事が多かった。 「ただいま!たけちゃんち行ってくるな!」 自宅の玄関に入るなりランドセルを投げ入れると、待ち構えていた母が顔を出した。 「待ちや、汐月!あんた、毎日はあかんてゆーてるやろ!」 「たけちゃんが来てもええてゆーてたんやもん!」 母に捕まる前に自宅を飛び出し、数歩で辿り着く隣家の扉を開けた。 「おばちゃん、汐月やで!」 勝手知ったる他人の家。物心ついた時には隣家とは家族同様のつきあいがあった。 「汐月ちゃん、おかえり。丈晃まだ帰ってへんから、おばちゃんとおやつ食べとく?テレビでアニメやっとるよ」 大好きな幼馴染の母は、汐月の母とは違いおっとりとした優しい話し方でリビングへ来いと言ってくれた。 「おやつはたけちゃんが帰ってから一緒に食べてもええ?」 「かまへんよ。ほんなら丈晃の部屋で待っとく?」 「うん!おっじゃましまーす!」 やり取りが終わらないうちに靴を脱いで二階へとあがり、一番奥にある薄茶色のドアを開いた。 ベッドの横にある窓から入り込んだ風がレースのカーテンを大きく揺らし、部屋の持ち主の香りが汐月を包んだ。 僅かに高鳴る胸を無意識に撫で、静かに部屋の中に足を踏み入れた汐月は、そっとドアを閉めた。 いつ来ても綺麗に片付けられたその部屋は、幼馴染で六歳歳上の丈晃の個室だ。 小学二年生である汐月を、幼い頃から弟のように可愛がってくれる幼馴染。 (...たけちゃんの匂い、めっちゃする...) 開け放たれていた窓からは初夏の爽やかな風が吹き込んでるのに、室内には彼の優しい香りが充満していた。 珍しく、ベッドのシーツが乱れたままだった。 そこには彼が脱いだ青いパジャマが放置されていた。 汐月は階下に響かないようにベッドの上に乗り上がり、パジャマを手にした。 パジャマの胸元には、月の刺繍が施されたポケットがあった。 (...ええ匂い...) 手にしたそれを顔に寄せた直後、玄関の扉が開く音と共に丈晃の声が聞こえてきた。 「ただいまぁ」 「丈晃、汐月ちゃん来てるで」 「靴あるから見たらわかる。母ちゃん、あとでジュース持ってきてや」 はいはい。と返事をする丈晃の母の声がする。 丈晃は手洗いをしてから上がってくるはずだ。 手にしていたパジャマを元の場所に戻した汐月は、熱い頬を何度か擦ったあと、床に座って棚に並べられた漫画の一冊を引き抜いた。 「ただいま、汐月」 「...おかえり、たけちゃん!」 「下で母ちゃんとテレビ見てたら良かったのに」 「...え〜、せやて、おばちゃんて幼稚園の子が見るやつ見ようて言うねんもん」 「あんまり変わらへんやん。汐月まだ小二やんか」 「ちゃうわ!幼稚園の子と一緒にせんといて!」 「そこで怒ったら認めてるんと一緒やと思うけどなぁ」 濃紺のブレザーを脱いでハンガーにかける姿は、汐月の胸に僅かな違和感を与えた。 「たけちゃんかて、中学二年生やのにボクと遊んでるやん」 「え?...まぁ、そうやけど。オレの場合は、遊んでやってるんやん?」 中学生というものは試験というものがあって、本来なら汐月のようなおチビさんと遊んでるような時間はないらしい。丈晃が中学に上がる前に、汐月は母からそう聞かされていた。 だから、今までのようには遊んで貰えないし、勉強の邪魔をしないようにと。 母から聞かされたその話は、汐月を酷く悲しませた。兄弟のように毎日一緒にいる事が当たり前だった。 ある日突然それをやめろと言われても、はいそうですか、とはいかない。 「.....そう、やけど...」 優しい丈晃は、幼馴染との時間が減るのは嫌だと泣きじゃくる汐月を大丈夫だと受け入れてくれた。 毎日は無理でも、テストがない時はこれまで通り遊びに来てもいいと。 「なんや、そのへんは分かってるんか。どうしたん、珍しいなぁ」 けれど、もうすぐそれは何一つ叶わなくなる。 手にしていた漫画を床に置いた汐月は、両手で両足の靴下の先を握り締めた。 涙が出そうなのを堪えるために。 「...汐月、泣きそうなん?」 汐月の髪をくしゃくしゃと撫でた丈晃の手に反応して、じわじわと涙が滲んできた。 「ほんま泣き虫やなぁ、汐月は」 丈晃の手が汐月の脇の下に入ると、猫の子の様に抱き上げられてしまった。 彼は胡座をかいた足の上に汐月を乗せると、優しく抱き締めてくれた。 中学生になってから、汐月とは比べ物にならない程逞しくなったその体と大きな手で、泣き止むまで待ってくれた。 「汐月、淋しいんはお前だけちゃうで?オレも淋しいんや...。ほら、前に約束したやろ?泣いてる時間勿体ないから、そんな暇あるんやったらゲームしようて決めたやん」 涙と鼻水で濡れた汐月の顔を、何度もティッシュで拭いてくれた。 (...たけちゃん...) 背が高くて、カッコイイたけちゃん。 そんな遠いところに引越ししてしもたら、きっとボクの事なんか忘れてまう。 ボクみたいなチビッ子やない、同い年の友達いっぱい出来るやろな。 だって、たけちゃんは優しいもん。 ボクのクラスの女の子とか、クラスメイトのお姉ちゃんとか。みんなたけちゃんの事カッコええなぁってゆーてるもん。 でもな、ボク知ってるで。 ほんまはボクとゲームしてるより、難しい本読んでる方が好きやんな。 ボクがおるん忘れて、本読んでばっかりの時、結構あるもん。 それでもいいねん。ずっとボクの事見てへんくてもええから。 それでもええから、離れたくなかってん。 「顔が崩れてるけど...大丈夫?」 声をかけられて初めて、自分が額をカウンターに密着させていることに気がついた。 仕事が終わってからお気に入りのバーへと来たが、少し飲みすぎたかもしれない。 ぼんやりと隣に座る男に焦点を合わせると、心配そうに眉を寄せる友人がいた。 「...なんや、由人くんか」 「どうしたの、飲み過ぎてる?仕事のし過ぎで疲れてるとか」 由人は出されたビールのグラスに口をつけて、横目で汐月を見た。 「仕事.....は、別に...」 勤務中の事が原因ではあるが、大したことでは無い。 前回、紙切れに好きですと書いてきた常連客が、夕方また汐月のレジに来ただけだ。 (今度は電番書かれてあったけどなぁ...) とは言え、そんなものは無視していればいいだけの話で。 「そう言えば、汐月くんってなんの仕事してるのか聞いたこと無かったよね」 「.....なんでそんなん言わんとあかんのですか〜」 「え?教えるの嫌なの?」 「うん、嫌。嫌な事忘れる為に飲みに来てるのに、なんでそんな話せなあかんねん」 昨夜夢に出てきた過去の記憶が、現在の汐月を揺らしている。 「何でだよ、仕事聞いただけなのにっ」 「由人くんはあれか、あの束縛リーマンと待ち合わせなん?」 「...束縛リーマンって...静樹のこと?」 「他に誰がおるねん」 「なにそれ、束縛って?」 ピンと来ないらしい。由人は本当に分からないといった表情でこちらに詰め寄ってきたが、彼の後ろにゆらりと揺れた影が見えたので口を閉じた。 「おい、クルクル。お前由人に余計なこと話すな」 響いた低い声は由人の恋人のものだ。彼はやたらと嫉妬の炎をあちこちに投げつけてくる。 「由人くんさ〜。こんなにヤキモチ焼きのリーマンでええのん?たまにはオレみたいなんと遊んで息抜きしたならへん?」 見せつけるように由人にしなだれかかると、乱暴な腕に引き離された。 「いい加減にしろ!」 「なんやの、冗談やのに。心狭いなぁ〜静樹くんは」 「お前に名前呼ばれるとゾッとするからやめろ」 本気で嫌悪する顔を向けられ面白くなって笑っていた汐月の肩が、後方から伸びた腕に抱かれた。 「ふぇ?」 「俺の可愛い人に向かって、お前って言われるのは不快だなぁ」 振り向いて確認しようとしたが、少し飲みすぎてしまったようで体が言う事を聞かない。 少し離れないと顔が見えない。と、立ち上がろうとしたが足に力が入らずよろけてしまい抱きとめられた。 「は?...なんだあんた。クルクルの恋人か?」 「そう。今からホテルなんだ。邪魔しないでくれるかな」 腰に回された手は逞しく、触れただけで大きな手だとわかる。 (...カッコイイ手やな...) 「しねぇよ。ほら、由人。帰るぞ」 「え、うん。...あの、本当に汐月くんの...?」 酔いが回ってもう目を開けていられなかったが、由人の心配そうな声は耳に届いていた。 「大丈夫。彼の職場を知ってる仲だから」 「そ、そうですか。じゃあ、あの。汐月くんの事よろしくお願いします」 由人の声の後、汐月は完全に意識を手放してしまった。 突き上げられる度に漏れる声に意識が浮上した。 女のように響くその声は、喘いでいても少し違う。 (え、オレの声?) 驚いて頭をあげようとしたが、衝撃に揺れて顔を枕に伏せた。 「えっ、あ、なん、なん、や?」 揺さぶられている感覚で体勢だけは把握出来た。 ベットにうつ伏せにされて挿入されているらしい。容赦なく叩きつけられているが、深く挿り込まれている場所からは快感しかなかった。 「あれ、酔いが冷めてきた?」 上から聞こえた声には聞き覚えがあった。 反射的に首を捻ったが、後頭部を掴まれて枕に押し付けられてしまった。 「今更だからね。奥まで飲み込んでるし、...汐月も気持ちいいでしょ?」 行きつけのバーで飲んでいたはずだ。 友人の由人と静樹と会って何か話した辺りまでは記憶にある。 (なんやねんな...。おったんかい、あのバーに...) 酔い潰れるまで飲んだ自分が悪い。 返事を待っているのか、揺さぶりが和らいでいた。 汐月は頭を押さえる仲の手を掴んで口元に引き寄せると、人差し指に歯を立てて甘噛みしてやった。 「もっと強くヤりぃや。どうせやったら気持ちよくしてくれな許さへんで」 「...さすが」 「でもな。名前だけはあかん。呼ばんといて」 特に何かこだわりがある訳でもないが、仲のようなタイプにははっきりと線引きをしておいた方がいい。 「...わかった。じゃあ...」 ずるりと尻から抜かれると、腕を引かれて仰向けにされた。 そこには職場で見る彼とは別人のように興奮した男の顔があった。 「...元宮さん、キスはしていい?」 「.....キスはせなあかんやろ。はよして。ほんで、気持ちよくしてや」 見た目の印象とは違い、存外乱暴なセックスだった。 だが、そのくらいが丁度いい。 汐月は再び意識を手放したくて、快感に翻弄され続けた。

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