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第6話

勤務中は業務に集中したいものだ。散漫な注意力で仕事をしてミスを連発してしまえば、残業なんて事態に陥ってしまうのだから。 常連客のストーカーのことを頭から追い出して、すぐに帰れるようにしていた汐月の邪魔をしてくれたのは仲だった。 彼は何度言えば職場でプライベートな話を持ち込むなという汐月の意向を受け入れるのだろう。 隙があれば寄り付いて、次の約束を取り付けようと必死だ。 容姿も人当たりもいい仲は友達も多く、セックスを親しい友達との行為として楽しめる相手が大勢いる。 なのに、何故あえて自分なのか。 「あ!元宮さんっ、俺もあがるから待っててよ!」 まだ制服である黒いTシャツを着たままの仲を無視した汐月は、既に鞄を持っていたのでさっさと職場を後にした。 店を出て肩の力を抜きかけたと同時に、店の前のガードレールに並ぶ人影を見つけてしまった。 「汐月、お疲れ様」 ひらひらと手を振る丈晃と、隣には常連客の男がいる。 「.....オツカレサマデシタ」 何とかそれだけを口にして早足で通り過ぎたのだが、後ろから駆け寄った丈晃に肩を抱かれてギョッとした。 「ちょっ、」 「有坂と三人でこの間のお好み焼き行こうぜ。腹減ったろ?」 「い、行かへんわ」 「飯だけ付き合えよ」 丈晃はそう言うと汐月の耳元に顔を寄せた。 「清水の舞台から飛び降りる覚悟して来てやがるんだよ。頼むよ、汐月。少しだけ付き合ってくれ」 甘い低音が汐月の肌をざわつかせた。 肘で丈晃を押して離そうとしたが、逞しい体はビクともしない。 「なんでオレがっ」 「あ、あの、元宮さん。すみません...無理は言わないです。も、もし...予定がなければ...お、ねがいします...」 振り向くと、常連客の男は頭を下げていた。 力の入ったその肩が震えているのがわかる。 「.....わかった。ご飯だけやで」 「あ、ありがとうございますっ」 「誘ったんそっちやねんから、ご馳走してや」 「はいっ、勿論です!」 その時、初めて彼は笑顔を見せた。 「.....なんや、笑ったら可愛い顔してるんやん。いつもこの世の終わりみたいな顔してるからアレがデフォかと思ったわ」 仕事から離れた安心感からか、軽口をきいていい相手じゃないのに言ってしまった。 だが、常連客の彼は驚いた様に目を丸くしていて、客しての彼とは他人のように印象が違う。 「有坂は仕事も真面目で良い奴だよ。文句も言わねぇし、素直だからな」 「ふぅん。仕事を真面目にする人間は好きやで。どんな仕事でも働いてる姿っちゅーんはカッコええもんな」 お好み焼き屋を目指して歩きながら話したが、丈晃の手は肩から離れない。 「ほんまこれ、離してくれへん?」 「まぁ、照れんなよ」 「てっ、照れてへんわ!暑苦しいゆーとんねんやろっ。それに、えーっと、有坂?くん?おるやろが!」 いなきゃいいのか。と言った丈晃の手を強く抓って距離を取り、早まったかとため息をついた。 予想通り、三人で食事をしても話していたのはほぼ丈晃だった。 四人掛けの席で汐月の向かいに丈晃が座り、その隣に有坂が座っていた。 彼は注文した焼きそばをちまちまと食べていた。 丈晃は有坂の人となりを話していたが、それを聞かされるのも複雑だ。 「...有坂くんはなんで焼きそばなん?」 丈晃がビールを飲む間にできた無言の空間にそう質問すると、はっとしたように箸を皿に置いた。 「あ、あの、お好み焼き...というか、キャベツが苦手で...」 「へぇ。オレと同じやん」 「え、...でも、」 口を開けて放り込んだのはお好み焼きだ。不思議そうな顔をする有坂に、口を動かせつつ笑顔を向けた。 「野菜苦手なんやけどさ。お好み焼きだけは食べられるねん」 「骨の髄まで関西人って感じだよな」 「その言い方、なんかムカつくわ」 睨んでやったのに、丈晃は嬉しそうに笑っている。 「それに、ここのん美味しいで。一口食べてみぃや」 自分のお好み焼きを小さめに切って箸で摘むと、有坂の前に差し出した。 「...あ」 有坂の顔がみるみる赤く変化していくのを見るまで、すっかり忘れていた。 「ごめん」 軽率だった行為に謝り自分で食べようとしたが、手首を掴まれた。 箸の先にあったお好み焼きは大きく開いた丈晃の口の中に収まった。 「チーズいりも美味いな」 「勝手に食べなや!」 「新婚みたいな事するからだろ。さすがに妬けるからな」 思ってもいなかった発言を向けられ、驚かされてしまった。 今夜は烏龍茶だけを飲んでるのに、体内から滲むように体温が上がっていくのを感じる。 目を逸らせないでいた汐月に、彼は舌で唇についたソースを舐めて見せた。 今のは卑怯だ。 心の中で叫んだその言葉すら、自分で制御出来ない。 「.....汐月。あんまり照れられるとこっちも恥ずかしいんだけどな」 何故いちいち言わなくていい事を言葉にするのだろう。 腹が立った汐月は思わずテーブルにあったおしぼりを丈晃の顔目掛けて投げつけた。 悔しい事にあっさり避けられてしまったが、たまたまテーブルの横を通った店員に体が当たってしまい、申し訳ないと謝っていた。 ざまぁみろ。と烏龍茶を飲んで残りのお好み焼きを食べたが、頬の熱さはなかなか静まってくれなかった。 「ご馳走様。オレはもう帰るし」 あとはごゆっくり。と腰を浮かせかけると、丈晃に引き止められた。 「汐月、俺と有坂と連絡先交換してくれよ」 「絶対嫌や」 「してくんねぇと明日も待ち伏せするけど」 「.........脅迫やん」 ふざけた要求に睨んでいたが、有坂が間に入ってきた。 「あの、いいんです。気にしないでくださいっ」 行きつけのゲイバーでこちらが興味を持った相手にすら、おいそれと連絡先は教えていない。 汐月は黙って立ち上がると、そのままお好み焼き屋を出た。 宣言通り、翌日の仕事終わりにも店の前に丈晃はいた。 いたのだが、店を出る前に気がついたお陰で、裏口から店を出ることが出来た。 明日はオフだ。圭介の言いつけ通り夜遊びを控えていた汐月は、そろそろ良いだろうと、今夜はバーへ行くことを決めていたのだ。 ここ暫くは人に振り回されることが多かったせいで、疲れが蓄積されている。 最後にしたセックスも職場の仲とだ。いい加減自分好みの相手と休日前夜を楽しみたい。 控えめにジャズが流れる店のカウンターに座ると、老齢のマスターが声をかけてくれた。 「お疲れ様です」 「ほんま疲れた〜。もう蒸し暑いから余計にしんどいわ。ビールで」 「かしこまりました」 優しい微笑みを向けられるだけで癒される気がする。やはりかなり疲れていたのだろう。 出されたグラスのビールを半分程飲んだところで、また空きっ腹だと気がついた。 「そんな飲み方してたらまたお持ち帰りされちゃうんじゃない?」 「.....な、仲くん」 たった今思い出していた顔が横から顔を出した。 大声を出しそうになった所で口を閉じたのは、お気に入りの場所だったからだ。 「マスター。何かお腹にたまる物食べたいんやけど」 「オムライスになさいますか?」 「やったぁ。お願いしまーす」 隣に座る仲を無視してマスターに笑顔で告げたが、肩を掴まれて嫌悪感を隠さずに目を向けた。 「...なんやねんな」 「ねぇ、元宮さん。...しつこくしてごめん。でも、俺...」 「ごめんやけど、聞きたくないねん。聞いたところでオレは仲君を好きにはならんで。自分、カッコええしモテるんやから、はよ他の子見つけた方がええよ」 嫌な断り方をしていると自覚はしている。 だが、恨まれるくらいが丁度いいと汐月は思っていた。 彼は元々女性が好きなタイプだ。そして、汐月はこちら側に堕としたいと思う程の感情を、彼には抱いていない。 無駄な時間は必要ない。嫌ってくれて構わない。 積み重ねた経験から導き出した答えだが、どうも若い相手には理解して貰えない。 「...仲くん。手ぇ痛いから離してや」 ビールのグラスを取りかけた手首を掴まれた。 店内の照明を受けて綺麗に輝く仲の瞳が、甘えたいと訴えている。 素直に感情をぶつけられるのは嫌いじゃない。 遠回しにアピールして察してくれなんて、冗談じゃない。キスを乞う唇や瞳に感情を突き動かされれば、汐月は拒否はしない。 「...ごめんな」 それでも、どうしても彼には心を揺さぶられない。 真剣に呟いた言葉に、仲ははっきりと傷付いて動揺した。 「.....もしかしてこの俺が失恋?」 「そういう事やな。大丈夫やで、内緒にしといたるから」 「.....はは、助かる」 力なく笑う彼の手はまだ汐月から離されなかったが、後ろから別の手が伸びてきた。 「は、離してくださいっ」 仲の手を弾いた男の背中が、汐月の視界を塞いだ。 「...あんた、元宮さんのストーカー!」 仲の声が店内に響き、離れていたマスターが慌てて汐月の元へ向かってきた。 それを手で大丈夫だと示すと、汐月は有坂の肩を叩いた。 「有坂くん、大丈夫やから静かに。店に迷惑かけてまう。ほんで、仲くん。彼はオレの知り合いやからストーカー.....やったけど、平気やから」 うまく説明出来ずに半端な言い方をしたせいで、仲は敵意を剥き出しで有坂を睨んでいる。 自分より背も高い仲を前にしても怯まずに、有坂は背中で汐月を庇っていた。 「.....は〜、はいはい。もうええから、二人とも。ええか、仲くんは今はっきりオレにフラれたんやで。自覚してや。ほんで、有坂くんも。ごめんやけど好みから相当離れてるから、今ここで自覚して」 汐月は自分を真ん中にして右側に仲、左側に有坂を座らせた。 こうなれば、もう白黒はっきりさせておきたい。 でないと、汐月のお楽しみはいつまで経っても訪れないのだ。 「お待たせ致しました。...元宮様、よろしいのですか?」 出来たてのオムライスを届けてくれたマスターに、平気だから、と二人の飲み物を頼んだ。 「んん、美味しい〜。さすがマスターやな。ベーコンだけ入れてくれてる」 汐月が野菜を苦手なことを知っているのは圭介だが、オーナーである彼から聞いたのかもしれない。 「...元宮さん、知り合いってどういう事?」 「そのまんまの意味やで。昨日夕飯奢ってもろてん」 「え?俺の誘いは断ったのに?」 「声がでかいゆーとるやろ。喧しい」 勢いよく額を叩いてやると、ムスッとした顔で仲は黙った。 「それも一回だけって約束やし。...それにしても、連絡先も交換してへんのに、有坂くんは何でここにおるん?」 彼はオレンジジュースを注文したらしく、細長いグラスに入った鮮やかな色の液体を見つめたまま返事をしない。 「やっぱりストーカーじゃん」 「仲くんに聞いてへんやろ」 有坂に向いたままそう言うと、有坂は俯いて小声で謝罪した。 「...オレのあとつけたん?」 「.....は、はい...。ごめんなさい...」 素直な謝罪は好感が持てる。体を丸くして謝る彼の姿に嘘はない気がした。 「ん、わかった。ほんならまぁ、それはもうええよ」 「許しちゃうの?そいつの事!」 「ソイツやない。有坂くんやて。あ、有坂くんて仲くんと歳近いんちゃうん?」 話題を変えたかったのだが、仲はふんと顔を逸らしてしまい、有坂は俯いて固まっている。 (え、どないしたらええん。コレ。夜遊びしたくて来てんのになんも出来ひんとか嫌やねんけど!) 休日前の夜は、本能のままに楽しむと決めている。好みの男と淫らなセックスをして溜まった鬱憤を解消する事で、また仕事も頑張れるのに。 オムライスを食べ終わった汐月は、ため息をついて残りのビールを飲み干した。 「思ったより面白い状況だね」 耳にするりと流れてきた声音に、汐月は反射的に立ち上がった。 振り向いた先に立っていたのは、やはり圭介だった。 「圭介さん!」 嬉しさから飛びついてしまったが、圭介はしっかりと抱き止めてくれた。 「きちんと約束を守ってたんだね」 いい子だ、と癖毛の髪を撫でられたが、彼のスーツの胸元に顔を擦り付けてやった。 「ご褒美。それだけやったら割に合わへんで」 「ふふ、汐月くんはいつもはっきりしてていいね。そういう所、好きだよ」 長い指が髪から耳元へ滑り落ち、頬を撫でて引き寄せてくれた。 甘いキスは唇が重なると同時に深く変化し、短い粘膜の触れ合いにうっとりとしてしまった。 「元宮さんっ」 「あぁ。君は汐月くんの店のバイト君か。そっちの彼は少し前から店の周囲をうろついてた子だね」 圭介のつけているフレグランスはなんだろう。こうして密着しないと分からないくらいの香りは、吸い込むと脳が痺れるような感覚に陥る。 「ここで楽しむのは構わないんだけど、汐月くんは大切な子だから。彼を困らせる様なら繁華街一帯、出入りさせないから。覚えておいてね」 頭に響く甘い声音に浸っている間に、二人とも店から姿を消していた。 「あれ?仲くんと有坂くんは?」 「お二人で帰られましたよ」 「良かった〜。やれやれやわ!ほんまにありがとう、圭介さん」 マスターの返事に一安心してそう言うと、にっこりと笑った圭介は、汐月の額にキスをしてくれた。 「大事にならなくて良かったよ」 「もしかして、マスター連絡したん?」 カウンター席に並んで腰掛けると、マスターは新しいグラスを置いて微笑んでくれた。 「元宮様は大切なお客様なので」 「え、うわ...偶然来たんやと思ったのに...。ごめん、圭介さん。マスターも迷惑かけてごめんね」 店側に面倒を押し付けてしまった事実に申し訳なくなったが、圭介は頭を撫でてくれた。 「気にしなくていいよ。こっちが勝手にした事だからね」 目を伏せて笑う彼は綺麗な指で煙草を取り出して火をつけた。 その所作を眺めているだけで、汐月はここに来た甲斐があると感じた。 まるでここ数日のイライラを吹き飛ばすようないい気分でいたが、圭介はすぐに店を出て行ってしまった。 彼はいつも何かと忙しそうだ。今夜こそはと身体が期待してしまっただけに、落胆は隠せない。 何人かの男に声はかけられたが、結局いまいちその気になれなかった。 中にはかなり好みの男もいたのに、断ってしまった。いつもはポーカーフェイスで見守っているマスターが、明らかに目を丸くしていたくらいだ。 もしかしたら店に迷惑をかけてしまったせいかもしれない。 どちらにしろ、今夜はもう諦めた方が良さそうだった。 汐月は日付が変わる前に帰ろうと、店を出る前にもう一度マスターに謝罪と礼を伝えた。 店内での揉め事は珍しい訳では無いが、二人が自分を心配して動いてくれたことがとても嬉しかった。 「...あっつ...」 店から外に出たが、飲んでばかりいたせいかアルコールで身体が熱い。 ゆっくりと飲んでいたお陰で酔いは酷くなかったが、梅雨の湿気が酷くて不快指数が高かった。 店にいる間に降ったらしく、アスファルトは黒く色を変えて光っている。 額にかかる髪をかきあげると、湿気のせいで膨らんでいる気がした。 「あ〜、鬱陶しいなぁ」 この季節が来るといつも思う。坊主頭にしたい。だが、それを口にしても賛成してくれる人はいなかった。 してもいいけど、誰も抱いてくれなくなるんじゃない? 誰に言われたのかは記憶していないが、その言葉を聞かされてしまえばもう出来ない。 姉が昔、癖毛は一度丸坊主にしたら毛質が変わってストレートになると話していたのだが、子供の頃に挑戦しておくべきだったといつも考えてしまう。 自宅に着いたらエアコンのスイッチを入れて、風呂に入ろう。 相手も見つからなかったのだから、久し振りに玩具を使って遊ぶのもいいかもしれない。 「風呂場で遊んだらええんか...。いや、でも風呂場って暑いもんなぁ〜。無理か〜」 ぶつぶつと一人言を呟きながら、鞄に手を入れて鍵を探した。 もうマンションの前まで着いていた。 三階まであがると額に汗が浮く。 暑さに体力を奪われたせいで、もう汗を流したら寝てしまうおうと考えていた汐月は、自分の部屋の前に誰かが立っていることに気がついた。 「...遅かったな」 マンションの廊下に、低い声が反響した。 丈晃は廊下の壁に凭れ腕を組んでいたが、酷く不機嫌そうだ。 「.....なんでおるん」 「遅いし、入れてくんねぇか。中で話す」 「そ、そんなん、無理っ」 手の中にあった鍵が取り上げられ、勝手に鍵穴へと差し込まれた。 「な、勝手にやめてやっ」 「しー。近所迷惑だって」 開けられてしまった玄関に背中を押されて入れられると、その場で強く抱きしめられた。 体格差があるせいで、完全に腕の中に閉じ込められてしまっている。 丈晃の濃い匂いに、自分の汗の匂いが気になってしまった。 「は、離してや、暑いっ」 「暑いよな。蒸し暑いから、俺も汗すげぇんだよ」 同意したくせに腕はゆるめられない。 逃げ出したいのに、足が動かなかった。 「...汐月」 「ほ、ほんま無理やし、か、えってや、」 言葉すらスムーズに出てこない。暑さのせいだ。暑さと、アルコールのせいで目眩がする。 何故身体が動かないんだろう。困惑していた汐月の顎が、大きな手に掴まれた。 「や、っ」 抵抗を装った声は丈晃の唇に吸い込まれてしまった。 腕の中で身動きすら取れない状態で、文字通り彼の舌に犯された。 蠢く舌は荒々しく、汐月の柔らかい粘膜を乱暴に吸い上げていく。 激しいキスに呼吸が出来ない。息苦しい。 「ん、ん!んん!」 訴える為に四肢に力を入れたが、浮遊感に身体を強ばらせた。 「お邪魔します」 キスは解かれたが、丈晃は汐月を抱き上げて勝手に室内へと入ってしまった。 「ふ、不法侵入っ、ん!」 今度は音を立てた可愛らしいキスに言葉を止められた。 小さなリビングを通り、続き間になったベッドがあるだけの寝室に入ると、丈晃は汐月を静かに下ろした。 ベッドに座った汐月の足からスニーカーを脱がせると、靴を置きに玄関に向かったようだ。 彼の姿が見えない間に、大きく音を立てて揺れる心臓に手を当ててみた。 どうしよう。どうすればいいだろう。 ついさっきまでは、好みの男に誘われても断るくらいに冷静でいたのに。 荒々しいキスを受けて、身体も心も溶け始めている。 (でもこんなん。あかんのちゃう?あかんやろ!雰囲気に流されたらあかんわ、あかん!) 手のひらで顔を挟むように叩いていると、丈晃が戻ってきた。 「なぁ、潤滑剤ってやつはあるのか?」 暗かったリビングの明かりがつけられ、丈晃が目の前でTシャツを脱いだ。 「じゅ、ろ、ローション...のこと?」 見惚れてしまった。 背も高く男らしい体つきをしているとは思っていたが、露になった彼の上半身はしっかりと引き締まっていた。 (お腹...割れてるやん...) 丈晃の様な男が好みではなかったせいで、ここまではっきりと筋肉のついている裸をあまり見た事がない。 「...どこに?」 「こ、っち」 視覚的な眩しさに夢中になっていたせいで、ローションの置き場所はベッドの下だと素直に告げてしまった。 ベッドに座る汐月の前まで来た丈晃は、見つめられていると分かっていてその場でパンツを脱ぎ捨てた。 下着一枚になった彼の姿に、触れられてもいない汐月の肌がじわりと濡れていく。 体育会系は好みじゃない。そう言っていた自分の言葉の根底には何があったのだろう。 寝室側の明かりはつけられていなかった。そのせいで、丈晃の背中からリビングの照明が当たり、逆光で彼の表情がよく見えない。 肩に乗せられた手が、汐月を簡単にベッドに押し倒した。 逞しい彼の身体がベッドに乗り上がり、汐月の身体を跨いで上から見下ろしてくる。 心臓は汐月の耳を支配したかのようにうるさく音を立てていて、何故か指先が震えていた。 (ど、どないしよ...) もう逃げられない。それだけは分かる。 何も反応しない汐月に、丈晃がゆっくりと体を重ねてきた。 「...汐月。抱くぞ」 告げられた時の声は優しかった。だが、衣服を剥ぎ取られた後は、優しさの欠片も感じなかった。 嬲るように舌を吸われ、尻を拡げる指の動きは容赦なく、汐月は強い快感に涙を滲ませて喘ぐしか出来なかった。 丈晃の太くて長い指は、挿入する為に慣らすだけの工程で何度も射精させたのだ。 敏感な場所を察するのが上手かった彼に、汐月はされるがままに抱き潰された。 執拗に柔らかく準備された場所へ彼が入り込んで来る時には、喘ぎ過ぎて喉が悲鳴をあげていた。 身体を繋げてからは、どう抱かれたのかも分からなくなった。 ただ、経験したことの無い熱い塊に気を失う程何度も絶頂へ押し上げられていた。

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