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第11話

今日は朝からとても忙しい。 開店前の書店の中ではスタッフ以外の人間も入り混じって走り回っている。 「すみません、フラワーショップです。お花のお届けに参りました」 「あぁ、ご苦労様。元宮くーん!花屋さんご案内してくれるかい」 会場の設置をして忙しい所に声をかけられ、大きな声で返事をした。 「ごめん、仲くん。花屋さんこっち連れてきてくれへん!」 「分かりました!」 パイプ椅子をふたつずつ運ぶのが面倒になって、腕に四つ引っ掛けたが情けない事によろけてしまった。 「無理しない!」 後ろからパイプ椅子を取り上げた仲は、花屋を置いてさっさと作業に戻っていった。 「あ、スタンドはこちらに。籠の分は向こうのテーブルの真ん中に設置して貰えますか?」 つくづく自分は男に向いていない気がしまう。 そんなコンプレックスを持ち続けていた汐月だったが、今はあまり気にならなくなっていた。 昼過ぎに行われるサイン会の準備をしながら、ふと手を止めた。 今日は何時に終わるだろうか。 イベントが入ると帰宅時間の予測はできなくなるから、今夜は真っ直ぐに家に帰れと丈晃には話しておいたのだが、彼は適当な返事しかしなかった。 恋人が出来ても雑な扱いしかしなさそうに見えるのに、汐月は毎日これでもかと言うくらいに甘やかされている。 何の連絡もなくても仕事が終わる頃には店の前で待っているし、休日は丈晃が食事を作ってくれる。 (狭いから嫌やてゆーてんのに、風呂も勝手に入ってきて...髪洗ってくれたりとか...) 思い出すだけで喉の奥が焼けそうなほど甘い恋人生活が始まり、そろそろ二週間だ。 (は!あかんあかん、今仕事中やで!何思い出してるねんな!) サイン会の主役に必要な物を長机に並べていた汐月は、癖毛が宙に浮くほど勢いよく頭を振った。 「ちょっと、元宮さん。またエロいこと思い出してるんでしょ」 「し、してへんわ!」 仲の挑発に簡単に乗ってしまい、汐月の声が売り場の一角である会場に響いてしまった。 まずいと口を塞いで振り向いたが、皆作業に集中している。 「...仲くん...」 「思い出して可愛い顔してるからでしょ。なんだよ、もうホントにさ〜。あんな顎髭オッサンなんか興味無いって言ってたくせに、どうしてそこでデキるんだよ〜」 ボソボソと小声で文句を言う仲には、有坂同様全て知られている。 体調を崩した時に世話になった有坂には、メールで礼は伝えていたがまだ直接は会えていない。 夕飯でもご馳走しようと思うと丈晃に話してみても、嫉妬深い彼は自分がしておくから気にするなと言うのだ。 (なんやろ...。めっちゃオッサンやし大人やのに、オレに関しては子供っぽいっていうか、こう.....ど、独占欲丸出し?...どないしょ、ほんま嬉しい...かも...) 「あ!また顔が赤くなってる!なんだよ、何思い出したの?」 「も〜、仲くんはうるさいねん!」 正面出入り口の掃除でもして来いとバイトの仲を遠ざけると、卓上イーゼルを取り出した。 用意された備品の袋の中からポップパネルを取り出して長机のどの辺りに飾ろうかと思案していると、近くに来ていた店長に声をかけられた。 「元宮くん。出版社の編集さん、紹介しておくよ。こちらは渡さん」 「あ、初めまして。社員の元宮といいます。本日はよろしくお願い致します」 スーツ姿の青年はすらりと手足が長く、モデルのような体型をしていた。 綺麗なスタイルだな。と顔を見ると、何故か驚いたように口を開いている。 「.....あの...?」 「あ、失礼しました。こんなにお若いのに社員さんなんですね」 「あ〜、よく言われますがこう見えても30近いですよ」 よく言われる、よりは必ず言われると言った方が良いだろう。 身長も低く体も華奢な汐月は、下手をすれば高校生にすら歳が近いと思われる事がある。 「.....そう、ですか」 笑顔を見せたと思ったら、今度は反応が悪い。 何となく変な雰囲気の人だな。そう思ったが、彼と接するのは殆ど店長の仕事だ。汐月とは単純に顔を合わせておいた程度のものだし、気にしなくていいだろう。 その後は慌ただしく準備に追われ、通常営業の方へと戻った。 店長がイベントの方へと付きっきりになるので、汐月はレジ横の作業台で業務をこなしていた。 サイン会は盛況で、滞りなく全て終わったようだった。 最近人気の出てきた若い小説家だったが、俳優のような外見が人気らしく、女性客が多く店内はとても賑やかだった。 来客数が多ければ売上も上がるもので、汐月と仲もレジ作業だけで忙しかった。 「ごめんね、元宮くん。遅くなったけど休憩行っておいで」 「え、でも店長は」 彼こそ朝から働き詰めでイベントも終わったところだ。自分は後で構わないのに、と思ったのだが、どうやら今日は夕方には店を出て先程の出版社の面子と食事に行くらしい。 「ほんなら行ってきます。ええなぁ〜。店長だけ美味しいご飯食べれて」 「ほら、これあげるから。はいはい、休憩行ってらっしゃい!」 汐月の手に握らされたのは缶コーヒーだった。これだけかと思いつつも、やっとレジ業務から解放されて仲と二人で休憩室へと向かった。 いつもなら隣のコンビニで適当に済ませるのだが、今日は店長が手配してくれた弁当が置かれていた。 「俺ハンバーグにしよっと」 「オレもハンバーグでええわ」 時刻は既に15時を過ぎたところで、昼食と言うよりはお茶の時間だ。 広い休憩室に人はいなくて、汐月と仲だけだった。 「元宮さん、お茶冷たいのでいい?」 休憩室に備え付けられている給水器から入れてもらったお茶を飲み、通り過ぎた空腹であまり食べる気にならずとりあえずプチトマトを口に入れた。 「は〜、疲れたわ。食べる気にならへん...」 「ちゃんと食べないとまた痩せちゃうよ。元宮さんはもう少し肉つけた方が抱き心地いいと思うけど」 「あんなぁ。前から思っててんけど、仲くんのその話し方やと誰かに聞かれたらオレらが付き合ってるみたいに聞こえるから、やめてくれへん?」 割り箸の先を隣に座る彼に向けたが、彼は口いっぱいにハンバーグを詰め込んでいた。 「大体、酔っ払ってヤったあの時の一回だけやねんから。店長とかに聞かれたりしたらほんまに困るんやで。オレがゲイやってバレそうな事は、もう言わんといて欲しいねんけ.......ど.......」 割り箸を振りながら話していたのだが、いつの間にか仲の向こうに人が立っていた。 いつ休憩室に入ってきたのだろう。もしかしなくても、立ち尽くしてこらを見ているという事は今の会話は全て聞かれていたということだ。 よりによって、今日会ったばかりの出版社の編集者に。 「...........お、お疲れ様です.......」 座ったまま頭を下げた汐月は、そのまま弁当に顔をつけるように俯いた。 「あ、編集さん」 「どうも。今日は大変お世話になりました。先に失礼するのでご挨拶をと思いまして」 渡は爽やかに笑顔を浮かべると、長い身体を折って頭を下げた。 「それはどうも。お疲れ様でした」 仲とのやり取りを聞きつつ、早く出て行けと念じていたのだが、何故か名前を呼ばれてしまった。 「元宮さん」 「は、...はい」 「あの、今夜の食事会に元宮さんもどうですか?」 「.........は?」 「あの、少し...ゆっくりお話したい事があるんです」 やはり今の会話を聞かれていたということだろう。 だが、書店の一社員である汐月がゲイだとしても、彼には無関係なはずだ。 「や、それはあの、今日は予定があるので.....」 とは言え、今後の事を考えてみればそれなりの態度が必要だ。 やんわりと断ったつもりだったのだが、ならば別の日にとしつこく言われてしまった。 「じゃあ、せめて連絡先を交換できませんか?あの、本当に少しお話が出来ればいいので」 明るい色に染められた髪とスタイルの印象とは違い、真剣な顔で詰め寄られてしまえば断りきれず、結局は連絡先の交換をしてしまった。 渡は満足そうに出て行ったが、やり取りに神経をすり減らしてしまった汐月にもう食欲は残っていなかった。 長机の上にだらりと上半身を預けると、黙って見守っていた仲が口を開いた。 「アレは元宮さんに惚れた顔してる」 「は?」 「...ゲイなんだ、ラッキー。って思ってると思うよ。 連絡先はやばいんじゃないかなぁ」 「なんでやねんな。今日初めて会ったんやで」 「理屈の通じない恋の始まりかもしれないよ?」 手で銃の形を作った仲が、汐月を撃ち抜くジェスチャーをした。 理屈の通じない恋の始まり。 頭の中で繰り返してみると、何故か少し理解出来た気がした。 汐月も似たようなものかもしれない。 ずっと大切に胸に抱いてきた初恋だったのに、昔の面影の残らない丈晃に惹かれてしまったのだ。 そこに理由を答えろと言われても、何一つ言葉では説明できないだろう。 だからと言って、一ミリも興味のない相手に気を持たすようなことはできない。 汐月はサラダだけを食べ終わると、たった今登録した渡の連絡先を消去した。

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