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第12話

日本の夏は蒸し暑い。 日が落ちても気温はほぼ下がらず、外で立っているだけなのに額には汗が滲み出す。 「...あつ...」 可愛い恋人が職場から出てくるのを待っていた丈晃は、隣から聞こえた呟きに眉を寄せた。 「いや、だからお前は帰れって」 「嫌です。俺だって元宮さんに会いたいです。体調悪い時に会って以来だし、元気な可愛い顔を見たいです」 手を振って顔を扇ぐ有坂は、相変わらず汐月を諦めていないらしい。気弱そうに見えて根性のある彼を部下として気に入っているが、恋敵としては手強い相手だ。 もし自分が汐月なら、彼の人となりを熟知していれば強引で自分勝手な幼馴染みより、真面目で優しい彼をとるだろう。そんな考えが頭をよぎるせいで小学生のような意地悪を敢行している。 「.....そんなに自信が無いですか?」 黙っていた丈晃の前に隣から顔を覗かせた有坂は、汐月と関わるようになって髪も短く切り、明るくなった。 「自信なんかねぇよ。汐月の好みで言えば俺よりお前だろうし。前に話してたバーのケースケ?だっけか?お気に入りのそいつと比べりゃ、俺と正反対だろ。オジサンは自信なくて怯えてるよ」 話しながら顎髭をかいていたが、これも剃ったほうが良いのだろうかと考えた。 セックスの最中は特に髭が当たると痛いと文句を言われるのだが、嫌がる様子があまりにも色っぽくて好きなのだ。 「...俺からしたら、黒澤さんのが渋いです。大人の男だし、飲み屋のお姉さん達には絶大なる人気だし」 「オイオイ。お前、それは言わなくていいだろ」 「褒めてるんですよ。あの手の女性達は優しい人が好きでしょう」 身長差があるせいで有坂はこちらを見上げていたが、その姿は凛々しかった。 「.....褒めてもダメだぞ」 「夕飯食べるくらい許してください。あんまり心狭いと元宮さんにふられちゃいますよ」 確かに、汐月を恋人として手に入れたからの自分の言動を考えると、狭量だと愛想を尽かされてしまうかもしれなかった。 「...........仕方ねぇな。夕飯だけだぞ」 渋々了承した丈晃の背中が叩かれ、勢い良く振り向いた。 「来んでええてゆーたのに」 「お疲れ、汐月」 全く怒っている気配のない彼の肩を抱き寄せて頭にキスをすると、ここは外や!と腹を拳で殴られた。 「玲くんやん!めっちゃ久し振り!この前はほんまにごめんな」 「いえそんな...。体調はもう大丈夫ですか?」 汐月の後ろで殴られた腹を撫でつつ二人の会話が一通り終わるのを待っていたが、丈晃から見える有坂の表情が変化していくのに目を止めた。 何故か少し頬を染めて視線で困惑している様子を伝えてくる。それは汐月を見て言っているようで、何だろうと改めて恋人の顔を覗き込んだ。 「え、ビックリした。なんなん?」 二人に凝視された汐月は驚いていたが、これは確かに少しおかしいと丈晃も感じた。 暑さのせいかもしれないが、書店からの照明で見える汐月の頬は紅潮していて、いつもパッチリとしている大きな瞳はとろりとしている。その唇も艶を持っていて、向かい合っているだけで性欲を煽られる様子をしていた。 「おま...なんだそれ」 「...は?なんて...?」 「く、黒澤さん。これは俺でもちょっとヤバいです。直帰した方が...」 有坂の言葉に我に返った丈晃は、汐月の手を掴むと早足で歩き出した。 「有坂!悪い!」 彼はこちらを見送り、手を振ってくれた。 「え!なに?なんかあった?」 「何かあったのお前だろ。とりあえず俺んちのが近いから行くぞ」 汐月の足が思ったより遅くて焦れったくなり、腕を引いて無理矢理背中に担いだ。 「うわ!ちょ、やめてや!おんぶとか恥ずかしいやろ!」 「落ちたら怪我するから掴まってろ」 蒸し暑い中、いくら華奢で軽いとは言え成人男性を背負って帰宅するのは疲れる。 丈晃はアパートの部屋の前に辿り着くと汐月を降ろして、膝に手を着いた。 「んも、アホちゃう。何をそんなに急いでるん」 話しながら手を出した彼に鍵を渡すと、先に中へ入ってエアコンをつけてくれた。 「あ!また洗濯物干しっぱなしやんか。オレが干したん三日くらい前やった、ん...っ」 ベランダを覗いた汐月の顎を掴んでこちらに向け、噛み付くようなキスをした。 動き始めたエアコンの音を聞きながら、暑さを忘れるようにねっとりと舌を絡ませる。 「ん、なに、んん」 腰に手を回して密着し、愛しい気持ちが伝わるように深く、角度を変えてキスを重ねていると、彼の手が丈晃の背中に回された。 唇を放した丈晃の息は荒く、汐月は至近距離でクスクスとわらった。 「アホな事するから凄い汗やん。先に流してきたら?」 「...なぁ、何を考えてた?」 「は?何って?」 「さっき。俺と有坂に会うまで、何か考えてただろ」 早くセックスがしたい。抱いて欲しい。 職場から出てきた汐月の表情はそう訴えていた。 自分に抱いて欲しいと考えてくれていたなら、嬉しい。 そんな言葉は聞けるはずはないだろうと思っていたが、目の前の彼は言いにくそうに唇をぱくぱくとして目を逸らしてしまった。 (...おいおい、なんだ。その可愛さはダメだろう) 「.....言えねぇような事を考えてたのか?」 「な、なんも考えてへんわ。暑かったからボーッとしてたけど」 「嘘つけ。めちゃくちゃエロい顔してたろ」 「え、なんやねんそれ!してへんし、そんなっ」 慌てて言い訳をする様子は幼い頃から変わらない。 図星をつかれると普段の十倍の速度で話して誤魔化そうとするのだが、それが嘘だと自ら告白している事に未だ気がついていないらしい。 (...エロい事考えてたのか...) それが原因でフェロモンを撒き散らしていたのかと確信した丈晃の股間は、はっきりと芯を持って膨らんだ。 「...なんか、顔怖いねんけど。...お、オレが先に風呂借りよかな...」 腕の中から逃れようとした汐月の腰を抱き上げ、敷きっぱなしの布団の上に落とした。 痛いと訴える彼を押し倒して、細い足を跨いで股間を擦り付けた。 「...風呂は後でな。ちゃんと洗ってやる」 「ヤんの?待ちぃや、オレも汗かいてるし、アンタも汗だくやろ。先に拭きや」 「どうせ今から汗まみれになんだろ」 我ながらこの歳になって毎回セックスに余裕が無いのは情けない。とは思うのだが、自分の中で唯一無二の彼を前にすると、そんなものどうでも良くなってしまう。 六歳も歳下の彼が四六時中欲しくてたまらない。 彼の身体で初めて男を知ったと言う事も一因しているが、それだけじゃない。 (やべぇくらい好きだ...) 細い身体を押さえ込み、狭い場所をこじ開けて侵入する、暴力にも似た行為を受け入れられる充足感。 子供だった自分の頭を占めていた禁忌というものが開放された快感は、言葉では言い表せない。 彼じゃないと意味がなく、彼でないともう呼吸すら出来ないだろう。 「あ!あっ、や、ヤバい、あかんんっ、もう、も、あぁっ、ッ...!」 開かれた足の間で暴れる丈晃を押さえ込もうとしているのか、彼の爪が背中に傷をつけていく。 「や、やめ、イって、ひ、ひんっ、」 激しく粘膜を擦るペニスを止めようと、汐月の中は収縮を繰り返す。 不規則に痙攣する細い首に噛み付くと、白い肌に跡を残すように顎を押し当てた。 風呂から出た汐月は全裸のままで洗面所の鏡を見て目を丸くした。 「うううわ!なんやねん、これぇ」 胸元や首筋に鬱血の跡と赤く腫れている箇所がいくつもある。 「...キスマークと髭のこすれた跡か...!」 鬱血のほうは撫でても変化はないが、赤くなっている所は指先で触れるとピリピリとして痛い。 毎回痛いと訴えているのに、避けるどころか積極的に髭を擦り付けてくるせいだろう。 「どうした?」 浴室の扉を開いた丈晃は汐月が居るせいで出てこれない。手を伸ばしてバスタオルを取ると、浴室から出ないまま汐月の身体を拭き始めた。 「どーしたちゃうて。オレ何回もゆーてるやんな。髭どないかせぇて」 「痛気持ちいいんだろ」 「.....人の苦情を都合よく曲げて解釈されるん不快」 「立て続けにイきまくってたくせに。まだひくついてるんじゃねぇか?」 尻を鷲掴みにしてまだ柔らかなそこに指を突き立てられそうになった。腰を引いて回避したが、丈晃はいやらしい笑い方をして汐月を見ている。 「...クソえろ髭親父!」 文句を言って逃げると同時にバスタオルを奪ってやったが、結局は丈晃の膝に座って髪を拭かれていた。 「どうする?焼き鳥にするか?」 他人に髪を触られると何故こんなに眠くなるのだろう。 大きな丈晃の手は意外にも繊細に動く。その指の力は弱すぎず強すぎず、汐月をリラックスさせてしまう。 「ん〜、焼き鳥って気分でもないんよなぁ...」 そう言えば、今日は朝食は食べず、昼は弁当のサラダのみ。まともに何も食べていなかった。 「おい、携帯。メール来てんぞ」 下着一枚の汐月の足の上にエアコンで冷えた携帯が置かれた。 優しく揺らされる頭にうとうととしながら携帯を見ると、差出人に見覚えのないメールが来ていた。 (あ?なんやこれ) 頭がぼんやりとしていたせいで、丈晃にも丸見えの状態で開いたメールは一瞬で汐月の目を醒ました。 それは渡からのメッセージだった。 目に入った文面には、近いうちに二人だけで食事を是非と書いてあって、やましい気持ちが優先してしまい、慌てて畳の上に画面を伏せてしまった。 「.....誰からだ?今の」 「ちょ、人の携帯見るとかあかんで」 「お前の髪乾かしてんだ。見えちまうのは仕方ねぇだろ」 「...今日のサイン会やった出版社の人。別に何もないで。今日の食事会断ったから...残念でしたねってゆーてきはっただけやし」 どう展開するのかと心臓が音を大きくしていたが、彼は素っ気なく、ふーん。と言っただけだった。 (...あれ?なんや...。そんなもんか。そうや、そうやんな!何でもかんでも疑って怒ったりするんは大人やのにおかしいもんな!) 自分に不利な時は都合よく解釈してしまうに限る。 幸い彼は不機嫌になった様子もなく、手際よく汐月の髪を乾かしてくれていた。 「ほら、服着ろよ。また風邪引いちまうだろ」 丈晃の部屋に置いたままになっている服を出された汐月は、その上下の組み合わせに声を荒らげた。 「なんでグリーン系のTシャツにこのパンツなん。合わへんやん」 「あとはこの綿パンしかねぇぞ」 「そっちでいい」 はい、と手渡されたところで、畳に放置していた携帯が着信音を響かせた。 思わずパンツを互いに掴んだ状態で目を合わす。 「...汐月、電話」 「わ、わかってる」 受け取った服を置いてそっと携帯を手にしたが、嫌な予感しかしない。 画面を上に向けると、表示された電話番号は見覚えのないものだった。 「...出ねぇのか?切れちまうぞ」 「や、だって。知らん番号やし、変な電話やったら...」 「変な相手だったら切りゃいいだろ。仕事の連絡だったら後で困るんじゃねぇの」 汐月は思わず目の前の男を睨んでしまった。 これがもし、メールの相手からだったら困るのは丈晃のはずなのに。 半ばヤケクソで携帯を耳に当てた汐月は、不機嫌な声を丸出しにした。 「もしもし!」 《お疲れ様です。今日お世話になりました渡ですが》 ほらやっぱり。と丈晃を睨みつけた瞬間、大きなくしゃみが出てしまった。 《大丈夫ですか?》 「...ふぁい。すみません。今お風呂上がりで」 汐月がそう言うと、後ろからTシャツを頭に押し付けられた。どうやら服を着せてくれるらしい。 《あ、もしかして今夜の用事は終わりました?》 うっかりと本当の事を言ってしまった。 どうしようかと思ったが、返事に悩んでいる間携帯から耳を離してTシャツに頭を通された。 「あぁ、まぁ。はい」 《じゃあ、今夜、これからとかどうですか》 「は?」 思わず大きな声を出すと、汐月の手をTシャツの袖に通していた丈晃の動きが止まった。 いや、何も無いから。と彼に向かって顔を横に振ると服を着せ続けた。 「あの、すみません。もう本当に部屋着ですし、明日も勤務やし...。この間風邪ひいて体調崩したとこなんで」 声に決意を含ませて伝えたのだが、電話相手はあまり感じ取れていないようだ。 (なんやの、この人...。ほんまにゲイで相手探してたんか?いやでも、職場関係とか最悪なんくらい分かってるやろし...。なんか裏があるんか...) 相手が欲しいのなら夜の街に行けばいい。最悪そう言ってやるしかないかと考えていると、丈晃に抱き上げられて立たされた。 彼は汐月の前に座って、綿パンに足を入れろと待機している。 《そうですか...。すみません、しつこくして。でも、どうしてもお会いしたいんです。深夜でも早朝でもいいので》 「...分かりました。明日の夜、駅前で。19時まで仕事なんでその後に。但し、食事を一緒にするつもりは無いんで、15分で解散予定でいいですか?」 引き伸ばしていても面倒なだけだ。それならば、明日直接会ってはっきりと断ればいい。 腹を決めてそう言うと、感謝されてしまい何度も礼を言われた。やっと通話を終えて携帯を布団の上に投げると、汐月に履かせたパンツのボタンを留め終えた丈晃が見上げたまま待っていた。 まるで大型犬が主人の指示を待っているうに見えてしまい、不覚にも胸がときめいてしまった。 「...終わった。隠してもしゃあないから言うけど、今日アプローチかけられた。けど、オレは浮気はせーへんで。明日ちゃんと会って断ってくるから、アンタは.....明日オレが帰ってくるん待ってたらええし」 説明のつもりだったが、これでは丈晃が好きだから浮気はしないと大胆な告白をしているようなものだと途中から気がついて恥ずかしくなってきた。 「まぁ、そんな事じゃねぇかと思った。汐月は昔からすげぇ可愛いからな。どうしても注目されちまうんだよな」 立ち上がりながらそう言った丈晃に、頬が温度を上げていく。 「いい子じゃねぇから、早く帰ってこねぇと迎えに行くぞ」 「そ、それは来んでいいから!オレもう子供ちゃうねんで」 「そうだな、昔の汐月はそんなに乳首膨らんでなかったよな」 Tシャツの上から両方の乳首を抓られ、やめろと足を上げた。 蹴ってやろうとした汐月の足は簡単に丈晃に掴まれてしまい、バランスを崩して倒れそうになったが、腰を抱かれて難を逃れた。 たった今二人で風呂に入って汗を流したのに、丈晃自身の濃い男の匂いが汐月を包み込む。 「...汐月。俺はお前を待ってる」 「.......だから、そんな念押しせんでええてゆーてるやろ。...夕飯は食べんと待っとったらええねん」 お互いが遠回しな言い方をしている。思春期の少年のようなやり取りだが、今の自分達はこれが精一杯だ。 汐月は態度で示すように彼の首に腕を回すと、自分から舌を出して丈晃の唇を舐めた。

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