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第14話
寝不足で出勤するなんて、いつぶりだろう。
若い頃には朝方まで飲み明かしてだとか、夜遊びに夢中になって気付けば朝だった。なんて事は当たり前にあったが、34歳にもなる自分には既に若かりし頃の記憶でしかない。
徐々に徹夜が辛くなり、規則的な生活が楽だと身をもって知れば、夜は眠るものだと納得出来る。
「...くぁ...」
職場にあるいつもの空が狭い青空喫煙所で大きな欠伸をすると、ベンチに座っていた先輩方に笑われてしまった。
「なんだ、黒澤。今日は元気ないな」
「夏バテか?」
「俺達の飲みに付き合わねぇから罰が当たったんだろ」
汐月と再会してから断り続けている自覚があるので、それを言われると苦笑いしか出来ない。
「LaLaのまゆちゃんがお前に会いたいって言ってたぞ」
「そうだ!お前、まゆちゃんとヤってたんだろ?乳首を髭で愛撫されるたとか聞いたぞ!」
それも記憶にあるので返事はしたくない。笑顔で返事をして顔を逸らしたのだが、その先に冷たい目をして有坂が立っていた。
「...いたのかよ」
「黒澤さんが食堂に来ないから探しました」
「たまには俺じゃない奴と飯食って交流しろよ。俺だけ友達とか淋しい人生になるぞ?」
少し前の彼なら背を向けていたはずだが、冷たい視線は変わらず丈晃を射抜いていた。
「俺の人生の事は俺が決めます。それと、友達は他にもいます」
「.......ダレ」
「元宮さんと凛太郎くんです」
「.....リンタローって、汐月の店のバイトか。モデルみたいなチャラい奴」
「ライバルですけど、同時に友達です。元宮さんも、好きな人ですが向こうからは友達だと思われてます」
考えてみれば彼もなかなか気の毒な立ち位置だ。
煙を吸い込むと、有坂がなにか差し出してきた。
「なに」
「今日、飯食ってませんよね。なんか食べておかないとバテます。勤務中に何かあったら迷惑だからちゃんと食えって、前に黒澤さんが俺に言いました」
つくづくいい男だ。不器用で飾らない言葉だが誠意がある。受け取ったのは野菜ジュースだった。よりによって、丈晃が苦手な青汁入りだ。
「それで、坂下さん。黒澤班長がまゆちゃんて人とシた話ですけど」
「おぅ、なんだ。珍しいな、お前がこの手の話に入ってくるの」
「それっていつ頃の話ですか」
「待て待て待て待て。お前、何を聞き出そうとしてるんだ」
有坂の前に飛び出して視界を塞いだが、彼は真剣な顔付きで見上げていた。
「元宮さんと二股かけてないかの確認です」
「まゆちゃんは去年だよ。無関係だから心配すんなっての。それよか...二股かけられてんの俺かもよ」
いじけた子供のようだと野菜ジュースのプルタブを爪で弄っていたが、有坂は自信満々で即答した。
「絶対に有り得ません」
「...いや、なんかさ。高校の時に本気で好きだった奴と...。は〜、俺も昨日なんで突き放しちまったかねぇ」
汚れた灰皿で煙草を消し、その場にしゃがみ込んだ。
ひと口だけジュースを飲んだが、やはり不味い。
「...もしかして、本当に喧嘩したとか?」
同じ様にしゃがんだ有坂は、やはりいい男だ。本気で丈晃を心配してくれている。
たまには飯でもご馳走してやろうかと、愚痴を聞いて欲しくて口を開いたが、恰幅のいい先輩社員に上から肩を抱かれて息を止めた。
「よっしゃ、お前ら!明日は休みだからな。今夜はおじさん達が奢ってやるから飲もう!」
「え、俺はいいです」
有坂の即答は当然のように認められず、流されてしまった。
運悪く酒飲みのメンバーが喫煙所に集結していて、これはもう逆らえないなと早々に諦めた。
「有坂。今夜は諦めろ。...俺も付き合うから」
「でも、仲直りするなら早い方がいいですよ」
「いや、少し冷まさねぇとまた殴られそうだしな」
「それは黒澤さんにデリカシーが足りないからですよ」
「言うようになったな、お前。もしかして童貞捨てたのか?」
「いえ。童貞ですよ。でも、好きな人じゃないと、っていう夢は捨てました」
「は?なんで?」
愛する物語の中の清い主人公達のように、心身共に結ばれるものだと熱く語っていた有坂の発言とは思えない内容だ。
「なんだなんだ!有坂はやっと遊ぶ気になったか?」
「よし、じゃあ、それは俺が奢ってやるよ!」
「え、良いんですか。俺、あんまりお金ないですよ」
「気にするな、チェリーボーイ!しっかりお姉様に手順教わっとけ!」
お遊び大好きなおじ様達に囲まれてしまった有坂は、本当にらしくない対応をしている。
「おいおい...いいのかよ、これ」
汐月が手に入らないと悟って自暴自棄になったかと思ったが、そういう訳でも無さそうだ。
これはもしかして、逆に誰か気になる相手ができたからこそ経験値を上げておこうという計画かもしれない。
自分にも覚えのある行動だ。オトコノコはいざと言う時に格好つけたい生き物だと、おじさん達に囲まれて盛り上がる有坂を眺めた。
休日前の職場面子での飲み会は、案の定居酒屋で飲んだ後の風俗店コースだった。
特定の相手がいない時には丈晃も先輩方にならってお世話になったものだ。
だが、ここ最近はめっきり足が遠のいていた。本命の幼馴染みとの再会からは全くだった。
「は〜、しゅごいですね...」
酒に慣れていない有坂は散々飲まされて完全に酔っている。足元の覚束無い彼を支えてピンク色の看板の前まで来たが、一応最終確認を取った。
「おい、本気で入るのか?先輩方に言われて仕方なくならやめとけよ。俺から頭下げとくからよ」
「ちやいますよっ。...俺、元々おっぱい大きいのが好きれふから」
「別にそれはどーでもいいけどよ」
店へと続く階段を上らずに話していると、先に行った先輩方に大声で呼ばれてしまった。
「は〜。仕方ねぇなぁ」
酔った有坂は自力では階段を上がれそうにない。仕方なく腕を肩にかけて支え、上がろうした瞬間に後ろから声をかけられた。
振り向くと、そこにはスーツ姿の男が丈晃に笑顔を浮かべて頭を下げている。
「.......あんた」
「昨日はどうも。汐月の元彼で、渡と言います」
「.....なんだ、このタイミング」
「ははっ。ですよね、今まさに風俗店に入ろうとしているところにでくわすなんて、凄いタイミングだ」
含みのある言葉に観念して長い溜息をつくと、念を込めて渡を見た。
「別にアイツに言うなとも言わねぇよ。俺がヤりたくてきた訳じゃねぇしな」
「でも、現行犯ですよ」
「俺はアイツとしかヤらねぇよ。そもそも、昔のオトコには関係ねぇ」
「昨夜、遅くまで汐月と飲みました」
この野郎。と思わず悪態をつきそうになったが、奥歯を噛んで堪えた。
「.....貴方との運命的な話を聞かされました。でも、俺は自分の運命を信じたいと思います。汐月も友達としての俺を受け入れてくれたので、そこはよろしくお願いしますね」
勝ち誇ったような笑顔を見せつけられたが、丈晃の心は別のところに突き動かされた。
「ちょっと待て」
「はい?」
「俺との運命的な話って言ったか?」
「.....はい」
「あ、アイツがそう言ったのか?俺の事を運命の相手だって?」
「.........もしかして、黒澤さんってかなり気の毒な付き合い方してます?」
渡の一言が胸に刺さったが、それは事実だ。
丈晃は勇気をだして愛していると告げたのに、彼からは直接的な言葉を貰ったことは一度もない。
更に言うならば、もう一つある。渡に対して不愉快なこと。
「...憐れだって?そうでもねぇぞ」
言葉は絶対的に足りない。だが、一度腕の中に閉じ込めれば、汐月は全てを丈晃に委ねてくる。
それは始めこそ身体だけだったが、気持ちを告げたあの日からは、心が添えられていると感じ取れる。
何より、態度で早く欲しいと訴えてくる汐月は全身で丈晃を好きだと語っていた。
「そうですか。じゃあ、俺との関係とは本当に違うんですね」
「...あぁ?」
「俺と付き合ってる頃の汐月は、毎日好きって言ってくれてましたよ。甘えるのが上手で、二人きりだと離れたくないって、一秒たりとも離れない状態でした」
「...........おい。それはちょっと差があり過ぎねぇか」
思わず本音を呟くと、渡は楽しそうに笑いだした。
「面白い人ですね、黒澤さん」
笑いを狙っている訳では無いので、その言葉は嬉しくない。
「おい!早く上がってこいよ、黒澤!」
「はいはーい」
仕方なく渡に背を向けると、行くんですか。と問われた。
「あぁ。コイツが行きたいって言うからな。とりあえず送迎はしてやんねぇと危ないから」
「口止めしないんですか」
一体何が言いたいんだと面倒になって来た時、ぐったりとしていた有坂が顔を上げた。
「おい!お前、いい気なるなよ。黒澤さんは凄いんだぞ、元宮さんをすんげーえろ顔にしちまえるんだからな!」
「酔っ払いはいいから黙ってろ。ほら、おっぱいでかい子と遊ぶんだろ?」
「はい!遊びまふ!」
「ま、そういう事だから、じゃあな」
渡に言いたい事はまだあったが、酔った後輩を遊ばせてやるのが優先だ。
丈晃は有坂を階段から落とさないように気をつけながら、風俗店へと向かった。
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