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第19話

一発やればおさまる。 そう言っていたくせに、射精後の余韻でぼんやりとしていた汐月を押し倒して二回戦に入ろうとしていた。 さすがにそれは嫌だと抵抗して諦めさせたが、やっとシャワーで汗を流して風呂から出ると、まだ浴室にいた丈晃が急に扉を開けた。 「ビックリした。なに?」 汐月の髪を丁寧に洗って満足した彼は、自分の頭を洗い出し所だったらしい。 「汐月、俺が風呂から出たら出かけるぞ」 「へ?いや、オレ、めっちゃお腹すいてるんやけど。作ってくれるんちゃうん」 「食わせてやるから。とりあえず、すぐに出れるようにしとけよ」 すぐに閉められた扉を前に頬を膨らませてみたが、仕方ない。 セックス自体は短時間だったので体力は問題ないが、明日の日曜日が休みの彼と違って汐月は出勤だ。 「涼しい部屋から出たくないねんけどな〜」 外出すればどうしても汗が出るのだから、今日はあと一度入ることになるだろう。朝帰りしてすぐにシャワーを使って、既に二度。 「三回も入るんかいな」 口から出る言葉は文句だが、実の所本気で嫌だとは思っていない。 未だにデートらしい事もしていないし、嬉しいと思っている。 「準備出来てるか?」 「うん、まぁ。ほんで、どこに行くん」 「先に言っちまうとつまんねぇだろ。まぁ、たけちゃんについておいで」 「...自分で言うのやめてや。なんか引くわ...」 「お前な...。さっきまでたけちゃんって呼んでたのどこの誰だよ」 「.......は?」 「.......え?...無意識かよ」 ソファに座っていた汐月はくるりと向きを変えて丈晃に背を向けた。 さっきと言うのは、今しがた終えたセックスの事に間違いない。全く意識もしていなくて記憶にはないが、わざわざ嘘をつくような事でもない。 「...オレ、そんなんゆーた...?」 「...エロくていい設定じゃねぇか。気にすんな」 「どういう意味やねん」 「ほら、行くぞ」 肩を掴まれて立たされ玄関へと押されてしまったが、二度とないようにしようと心の中で決意した。 夏の夜は日が落ちるのが遅い。かなり遅い時刻になっても明るいのは、都会だからということもあるだろう。 街灯よりも看板やファミレスの照明が夜の気配を薄くしてしまう。 普段は特に何も思わないが、夏の夜の祭りはやはり暗い方が屋台の明るさが際立って情緒がある。 汐月がまだ幼かった頃、二人で手を繋いで屋台を回っていたことを覚えている。 歳下の汐月は、人混みの中を丈晃と二人だけで歩くことを少し怖がっていた。 煌びやかな照明に照らされた金魚や、宝石の様に輝くりんご飴を見るとすぐに忘れてしまっていたようだが。 「お祭り...」 「驚いたか?」 「知ってたよ。昨日金魚持ってる男の子とお喋りしたしな」 「そいつは俺よりイケメンだったか?」 「あはは、アホやろ」 楽しそうな笑い声と可愛らしい笑顔が好きだ。 底がない性欲のせいで、今すぐ押し倒したいくらいに。 「人が多いとこは好きやないけど、丈晃と来れるんはちょっと嬉しいかもしれんなぁ」 素直な言葉はまるで幼い頃の彼のようだ。その場で抱き締めてしまいたい衝動を抑え、頭を撫でるだけに留めた。 「食いたいもんないか?腹減ってるんだろ」 「焼きそば!祭りは焼きそばやろ。たこ焼きはこっちのは美味しないからいらんけど」 「おい。たこ焼き屋の前を通りながらでかい声で言うんじゃねぇよ」 確実に聞こえていたようで、たこ焼きを焼いていた色黒の青年がこちらをじろりと睨んできたが、汐月はわざわざ足を止めた。 「ごめんなぁ。悪気はないねんで」 満面の愛らしい笑顔で謝罪してから通り過ぎた汐月は、どうやらご機嫌のようだ。それは嬉しいことなのだが、あからさまに怒りの表情をしていた青年が、頬を赤くして汐月を見送っている。 丈晃は慌てて汐月の隣にいって腰を抱いた。 (これは俺の!だ!) 牽制するために青年を睨みつつ歩いていたが、汐月の手の平が丈晃のTシャツの胸を思い切り叩いてきた。 「ちょっと、それはやめてや。節度を守れ。エロ親父」 髭を剃ったせいでエロ髭とは言われなくなったが、あまり変わらない。 「お前こそ、今のはダメだろ。日焼けの兄ちゃん、お前に目をつけてたぞ」 「んなアホな。あのなぁ、世の中そうそう30近いチビのオッサンに声は掛けへんて。それより早く焼きそば!あとビール!」 幾つか向こうの出店に焼きそばを出しているところがあった。 焼きそばと缶ビールを二つずつ買って、屋台が並ぶ後ろのスペースへと移動した。 辺りを見渡したが、腰を下ろせるような石垣は沢山の人達が座っていて、空いている場所は無さそうだ。 「別に座らんでええやん。このまま食べる!とりあえずお腹空いた」 缶ビールを一口飲んだ汐月はその場にしゃがみこんで、地面に缶を置いて割り箸を割った。 「いただきまーす!」 嬉しそうに焼きそばを食べ始める彼にならって丈晃もしゃがんでビールを飲んだ。 「めっちゃ美味しい!」 口の中に詰め込み過ぎているのか、頬が膨らんでいる。まるで小動物のようで愛らしい。 彼はテキパキと焼きそばの中にある小さなキャベツも見逃さずに丈晃の焼きそばの上に積み上げ始めた。 「美味いのに」 「お好み焼きやないと無理やもん」 「また有坂も誘って行くか」 「仲くんも呼んでもええんちゃう」 「は?あいつも?」 「四人でもええやん。今日の仲くん様子が変やったし、玲くんとおるとこをちゃんと見てみたいんよなぁ」 「ちゃんとってなんだ」 「ん〜、まぁええやん。今度誘っとくわ」 正直それはあまり気が進まない。 一度とはいえ、あの軽そうな派手な若者が汐月と寝た事を知っているのだ。つまらない嫉妬なのだが、気に入らないものは気に入らない。 「あ!昨日の可愛いお兄ちゃんだ」 大きな声に顔を上げると、幼い男の子が立って汐月を指さしていた。 「あ、昨日の子やん。また来てたん?」 「うん!お兄ちゃんは...昨日の人とは違う人と来たの?」 すぐに渡の事だろうと理解したが、ビールを飲みながら汐月を見ると、何故か少し慌てている。 「あ、うん。せやねん。あ、それっ」 誤魔化すように声を出した汐月は、男の子が持っていた物を指さした。 「これ?これはチョコバナナだよ。向こうに売ってたよ」 「そっか。教えてくれてありがとう。あとで買いに行ってくるわ。...お母さんとこ戻れるん?」 そこにいるから。と男の子は汐月に手を振って離れた所で待っていた母親の元へかけていった。 「...まぁ、イケメンだな」 「そ、そうやろっ。成長したらいい男になりそうやんな」 「.....なんかやましい事でもあったのか」 誰と。という事はあえて言わなかったが、伝わったようだ。汐月は割り箸を無意味に動かしながら、少し視線を落とした。 「.....昨日結生にも祭り行こうって言われてんやん。でも、行きたないって断ったから」 「ん?...嫌だったのか?」 丈晃に合わせて付き合ってくれたのだろうか。乗り気でなかったのなら悪いな、と思いつつ、嫌々でも付き合ってくれることは嬉しい。 「...ちゃうやん。さっきゆーたやろ...」 丈晃となら来れるのは嬉しい。 可愛い笑顔で話していたことを思い出して、Tシャツを破って心臓が飛び出すかと思う程ときめいた。 (こんな所でこれは反則だろ...) 押し倒してキスをしたい衝動をこらえる為にビールの缶を強く握りしめると、べコンとへこんでしまった。 「うわ、なに?」 音に驚いていた汐月の唇が、屋台から漏れる光に彩られている。 (...無理) 隙をついて顔を寄せた丈晃は、一瞬触れるだけのキスをすると、すぐに立ち上がって缶の中身を一気に飲み干した。 「よし!汐月、それ食ったらチョコバナナ買いに行くか」 しゃがんだままの彼は、強く握り締めた拳で丈晃の太ももを殴りつけた。 「いっ、てぇ!」 「一回死んでこい。無節操親父」 「可愛いこと言うからだろ。暗くて見えねぇって」 彼となら何でも楽しめてしまう。幼い頃から感じていたものは今でも変わらない。 やっぱり、丈晃は他にはもういけない。彼が初めてで最後だ。 「うぅわ。このチョコバナナめっちゃでっか!」 「好きなの取ってくださいね。てか、可愛いお兄さんだなぁ」 「いや、ほんま?嬉しいわぁ。二本で一本分の値段にしてくれるん?」 「そりゃ無理だよ。上手いな〜、お兄さん。あとで俺と遊んでくれるなら良いけど」 チョコバナナの釣りを渡しながら汐月の手を撫でさする屋台の男の手を横から丈晃が掴むと、手を出すなと汐月の足が丈晃のふくらはぎを攻撃してきた。 「お?ビックリした」 「気にせんといて。ありがとう〜。ほら、行くで」 受け取った釣り銭を丈晃に握らせた汐月は、そのまま丈晃の手を掴んで人混みを進み始めた。 「いちいちヤキモチ焼くんやめときや。オレも男やし、それなりに面倒なんは相手したことあるから、どうもないって」 「どうもねぇ事ないだろ。お前は俺のだ」 丈晃の手を引いて歩く汐月から返事はない。歩く度に癖のある髪が揺れている姿を見つめながら歩いていたが、ちらりと見えた耳が真っ赤になっていた。 小さかった汐月が可愛くて仕方なかった。 他の誰でもない、自分が可愛い汐月を一生守っていくんだと、自然と自分の胸に誓っていたのだ。 あれから何年も経過したのに、今でも鮮やかに思い出せる。彼に抱いた感情は、全て。 「汐月」 彼の手を握り返し、足を止めた。 振り向いた彼は、チョコバナナを一口食べたらしく、唇にチョコがついていた。 「なに?ここで止まったら邪魔やで」 立ち止まった丈晃に行き交う人々がぶつかっていくが、全く気にならなかった。 「愛してる。結婚したいから、一緒に住もう」 丈晃の声はそう大きくはなかったが、丁度通り過ぎていく女子高生らしき浴衣の集団に聞かれていたようだ。 彼女達は小声で騒いでいる。 「...あ、アホちゃう。なんでこんなとこで、」 「今言いたくなっただけだ。気にすんな」 「気にするわっ!ほんま、アホ...っ」 その場で返事を貰おうと思った訳ではなかったのだが、気がつくと出店に挟まれた通り道の真ん中にいる二人を囲むように人だかりができていた。 (.....しまった.....) 女子高生達が騒いだせいなのか、すっかり注目を浴びている。 「悪い、汐月。行こうか」 ここから離れた方が良さそうだと手を引くと、引き留められた。 汐月はチョコバナナを手にしたまま、顔を真っ赤にしている。 「...え、ええよ...」 「...え?.....なんて?」 「い、一緒に住んでもええよって、ゆーたんや!」 真っ赤になり過ぎたせいなのか、癖毛の中から覗く額まで赤く染っている。 汐月の返事はしんと静まっていた周囲に響いたが、直後に女子高生達の声と拍手が二人に降り注いだ。 「きゃー!おめでとうございます!」 何故か祝いの言葉があちこちから聞こえ始め、丈晃は頭を下げながら礼を言った。 「んも、ほんま恥ずかしいっ。行くで!」 丈晃に体当たりをして早足で歩き始めた汐月を追いかけて、祭りの会場を後にした。 後方では賑やかな声が聞こえている。 丈晃の目の前には、人通りがない狭い道路で肩を縮めて立ち尽くす汐月の背中があった。 静かに腕を回して背中から抱きしめると、丈晃の腕に彼の手が重なる。 「愛してる、汐月」 「.....わかってるし。もう、外で言うの禁止やからな」 どこまでも軽口で強がる彼が愛しくて仕方ない。 丈晃は小さな顎を掴んで振り向かせると、甘い味のする唇に噛み付いた。

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