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第20話
今日も予想気温は高い。
熱中症には気をつけて、なるべくエアコンのある室内で過ごす様に。と、朝から何度もテレビから聞こえていた。
日本の蒸し暑さは体にも心にも厳しいのだが、どうにも気持ちが浮ついているせいで暑さもあまり気にはならない。
「そんなにニヤつきながら仕事しててええもんですかね」
棚の整理をしていた汐月の後ろから声をかけてきたのは渡だった。
「出版社の仕事は暇なん?」
「ここにも仕事でしか来てへん」
「オレにやなくて店長やろ。終わったんやったらはよ帰りや」
「一緒に休憩して来ていいってさ」
渡は缶コーヒーを二本持っていた。年頃の愛想のいい女性でもないのに、何故か店長は渡に対して緩いというか、甘い気がする。
まさかなにか弱味を握られているとか。そこまで考えて馬鹿馬鹿しくなった汐月は、店長に礼を言ってバックヤードへと入った。
誰もいなかったせいで休憩室のエアコンが消されていて、少し暑かった。
「ほんでなに?仕事ついでにプライベートな話するとかほんまに嫌やねんけど」
「...なんかアレやな。お前のそういう顔見たら、俺に懐く前に戻ったみたいやな」
一体何年前の話をしているのか。確かに、高校に入っても友達を作るつもりもなかった汐月は、周囲に対してピリピリとしていただろう。
変に孤立してイキってる奴。そんな風に噂されていたと知っている。
「そんな話しに来たん?」
「...なんや、黒澤さんに俺とは会うなとか言われたか?」
「あの人はそんなこと言わん」
プルタブを引いて一口飲むと、缶コーヒー独特の甘さが口の中に広がった。
「...喧嘩せんかったんか」
「喧嘩?.....あぁ!風俗の話?それはもうちゃんと話したし、終わった事やで」
「は?お前、許したんか?あの人はお前と付き合ってんのに、女抱きに行ったんやろ?」
汐月よりも大きな声を出した渡は、少し様子がおかしい気がする。
汐月は静かにテーブルの上に缶を置くと、目の前の渡を見つめた。
「なぁ、結生。これはオレと丈晃の問題やねん。お前には関係ないやん。せやのに、なんでそんなに怒ってるん?」
「目の前で風俗店から出てきたやろ?目の前で浮気されたんやぞ?」
声は控えめになったが、いつもは優しそうな瞳がつり上がっていて他人のように見える。
「それ言うたら、結生のが酷いと思うで。俺と同じ大学入って一緒に住むってゆーといて、ごめんで全部約束破ったやん。それ棚上げしといて人の事責めるんか?」
目を逸らさずに告げると、彼は視線を落としてしまった。
凛々しく見えるスーツの肩はかすかに震えていて、見ていられなくなった。
向かいの席から渡の隣のパイプ椅子へと移動すると、肩を叩いてやった。
「なぁ、なんかあったんやろ。話してみぃや」
「.....お前と復縁したい」
「は?その話は終わったんちゃうん」
「終わってへん。俺は...お前とやり直したい」
本気で思っているようには見えない。話す気がないならもういいか、と汐月が立ち上がろうとすると、手を掴まれて無理矢理抱き締められた。
「汐月!頼むから...っ!」
「場所を考えや!ここは職場やでっ」
仲と話している時に渡が入ってきた時のように、いつ誰が聞いているか分からないのだ。
本気で腕を振り回して離れようとしたが、揉み合いになってしまい、床に倒れ込んだ。
ほぼ同時に汐月の頭の向こうで休憩室の扉が開き、その人物の腕に庇われて渡と引き離された。
「何してんだ!」
「あ、仲くんか。助かったわ、ありがとう!でも、声は小さくして!店長にバレてまうやろ」
すぐに扉を閉めてそう言うと、仲は汐月を自分の背中で隠してくれた。
「.......婚約...してたんだ」
「は?何の話だよ。それより元宮さんに謝れよっ」
「ええねん、仲くん。黙って、うるさい」
「え、酷いなぁ」
仲の背中に庇われた状態で、床に座り込んだまま話す渡を見た。
彼は、ぽつりぽつりと話してくれた。
汐月と再会する少し前まで、婚約者がいたと。結婚後に住むマンションまで決めていたのに、突然別れを切り出された。
心変わりをしたという彼女から聞き出したその相手が、女性だったと言うのだ。
「.....まさか、彼女がバイやなんて思わへんくて...。職場でも結婚目前で逃げられたって噂になってるし...」
「ヤケクソでオレとより戻したいとかゆーたんか」
薄汚れた床の上で肩を落として座る渡は、悲壮感を漂わせている。
命を懸けて恋をした相手とは思えない姿で、抱き締めてやりたくなった。
「.....なんかよくわかんねーけど、夜空いてるなら一緒に飲みに行く?玲さんと一緒に飲む約束してるから」
仲からの突然の誘いに、汐月も渡も驚いて目を丸くしていたが、彼は床にしゃがむとにっこりと笑った。
「玲さんと俺と三人揃って、元宮さんにふられた者同士!仲良く飲もうよ」
「.....え、ええんか...?」
「いいに決まってるじゃん!全くの赤の他人だから、気兼ねなく愚痴れるしね」
「あ、ありがとう...!」
よく理解の出来ない友情が芽生えつつある休憩室で、脱力した汐月はパイプ椅子にぐったりと腰かけた。
「.........なんやねん、これ」
残ったコーヒーを飲みながら脱力したが、仲に励まされる内に、みるみる渡が元気になっていく。
アルバイトとして入ってきた当初の頃は、すぐに辞めるんだろうと勝手に予想していた。
だが、一緒に働いてみると仕事は真面目にこなすし、いい意味で期待を裏切られた。
何より、彼は良くも悪くも元気だ。
汐月が無理だと断った有坂と仲良くなってしまったことにも驚いたが、今回の渡と言い、彼には不思議な力がある。
「で、元宮さん。玲さんからメール来たんだけど、黒澤さんが嫁が出来たって言いふらしてるみたいだよ」
突然汐月へと向けて放たれた言葉に、徐々に目を見開いた。
「.....な、え?」
「新居探しするんだってね。もう本当に人妻になっちゃうなんてなぁ」
「汐月、夫婦喧嘩した時は俺んとこに家出してきてええからな」
「え、それは狡いよ、渡さん!俺も入れてよ〜」
「しゃあないなぁ。その時は仲くんも泊まらせてあげるわ」
やったぁと喜ぶ仲と、すっかり元気になった渡を眺めつつ、汐月は長いため息をついた。
「誰が人妻やねん」
仕事を終えるなり店の前で待っていた丈晃にそう言うと、隣にいた有坂がゆっくりと距離をとっていく。
「え、なんでそれ」
「あ、ごめんね。俺が元宮さんに話しちゃった。玲さん、お待たせ!渡さんを迎えに行こうか」
有坂の肩を抱いてさっさと駅の方へと歩いて行く二人は無視して、ガードレールに凭れて動けない丈晃を見据えていた。
「.......有坂からチャラ男くんか」
「人妻ってのは女の子やろ。男が嫌ならさっさと別れるけど?」
誰にも聞かれていないからこそ本音をぶつけると、焦り出した丈晃の腕が汐月の腰に回された。
「嫌なわけねぇだろ。人妻ってのは職場の先輩方が勝手に言い出したんだって」
当たり前のように抱き寄せる手にも腹が立ち、彼の手の甲を思い切り抓ってやった。
「いって!」
「お好み焼きとビール。さっさとご馳走してくれへん?今機嫌直らんと不動産屋とか行かへんけど、ええかなぁ」
今すぐ行こう!と手を引かれてお好み焼き屋へと急ぎ、香ばしいソースの匂いに刺激されるままに食欲を満たした。
最後にビールを飲み干してジョッキを置くと、目尻を垂らしながら汐月を見ていた丈晃におかわりを勧められた。
「んん、もうええわ。明日も仕事やし」
食べ終わるとさっさと立ち上がり、支払いをする丈晃を置いて外へと出た。
外気に触れた途端、湿気を帯びた暑さに全身が包まれて呼吸も苦しい気がするが、美味しい食事とビールのおかげでとても気分が良かった。
(.....まぁ、たけちゃんのお陰で、かなぁ)
真夏の夜空を見上げてみたが、濃紺の空は分厚い雲に覆われていてどんよりとしている。
「お待たせ、汐月」
「ほな、帰ろっか。旦那さん」
ほろ酔いで彼の腕に自分の手を絡めると、突然キスをされた。
「せやから!外でやめろってゆーてるやろ!エロ親父!」
「お前が可愛いこと言うからだろっ」
「可愛くないわ、普通やわっ」
「世界一可愛いんだよ、お前はな!」
「あーもう!うるさい!」
言い合いをして肩を押し付け合いながら歩いて帰宅したが、汐月の部屋の玄関に入るなりその場でキスの嵐に飲み込まれた。
「ん、んんっ、ぅ...」
汐月の舌に長い舌が絡みつき、大きな手に尻を鷲掴みにされた。
「汐月...先にベッド」
「一回だけやで...」
彼の返事はキスに溶け込み、抱き上げられた汐月はベッドの上で衣服を剥ぎ取られた。
「...ぁ、あっ、ん、も、もうはよ、」
ぐにぐにと奥に二本の指が挿し込まれているが、それだけでは足りない。満足出来る膨らみが欲しくて、汐月も手を伸ばして丈晃の下着をずらそうとした。
「エロくて可愛いのも程々にしてくれよ...。俺がもたねぇ」
「ええから、はよぉ...」
ずらした下着からはみ出た彼のペニスの先端を撫でてやると、望み通り指の代わりにそれを押し込められた。
今夜も空中に投げ出されたような快感の中を漂う夜を楽しめる。
汐月は丈晃の逞しい背中に手を回して、落とされてしまわないようにしがみついた。
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