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第21話

盆休み直前だったが、汐月の申し出を快く受けてくれた店長は平日と土曜日の休日の入れ替えを許してくれた。 不動産屋を訪れるのは平日の夜でも良いだろうと思っていたのに、一日でいいから週末に休みが取れないかと丈晃に言われたのだ。 不動産屋へ行ったその日に部屋が決まる訳でもないのに、何度かそう頼み込んでくる彼に仕方なく休みを取った。 彼が用意してくれた朝食を食べたあと、わざわざ電車で二つ隣の駅にまで移動したのだが、何故なのかわからない。 辿り着いたのはごくありふれた不動産屋だ。『矢追不動産』と書かれた看板もごく普通の物だった。 「なぁ、なんでこんなとこまで来なあかんの?」 蒸し暑いだけにあまり遠出はしたくない。最寄り駅にも何軒も不動産屋はあるのに。 「ここなら話がしやすいんだ」 「...はぁ...?」 浮かれた様子の丈晃は、汐月の休みが土曜日に取れたと聞いた時からずっとこんな調子だ。 (脳天気なんはいつもの事か) 足を踏み入れた店舗は空調が効いていて、涼しい空気にほっとした。 「いらっしゃいませ。って、あれ?たけ?」 「お久しぶりっす」 「何、どうしたんだよ。久し振りだな!」 スーツ姿の男性はこちらに歩み寄ると、嬉しそうに笑いながら丈晃を抱き締めていた。 180センチ以上ある丈晃とほぼ変わらない長身の男が二人抱き合う姿は異様だと思うのだが、店内にいる他の社員たちは特に気に留める様子はなかった。 「たけから会いに来てくれるなんて、嬉しいなぁ」 どうやら知り合いがいる不動産屋だからここへ来たかったようだが、それにしても不動産屋の男は丈晃の身体をやたらと撫で回しているような気がする。 見守る振りをして観察してると、男はかなり爽やかな男前だ。身長は丈晃と変わらないのに、足の長さが際立っているし、涼し気な目元とよく通る声をしている。 (.....それにしても、触り過ぎちゃうん?) 人の恋人の身体をいつまで撫で回しているんだ。と焦れていると、丈晃の背中をさすっていた男がちらりとこちらに視線を寄越した。 「...とりあえず、奥の個室で待ってろよ。たけはアイスコーヒーでいいよな。...お連れ様は飲み物は何になさいますか?」 明らかに営業用スマイルと小さな飲み物のメニューの紙を向けられた。メニューを見ずにアイスコーヒーと呟くと、笑っていない目が見えた。 (...なんで初対面で敵対視されてんねん...) 丈晃に手を引かれて廊下の先にある部屋に入ると、向かい合わせにソファが置かれていた。 大人しく丈晃の隣の席に座ると、大学の頃の先輩なんだと笑顔で聞かされた。 それを聞いて一安心したが、よく考えてみれば彼がどんな大学生活を過していたのかは全く知らない。 「お待たせしました」 「あ、ありがとうございます」 アイスコーヒーを前に置かれて軽く頭は下げたが、相手は丈晃しか見ていないようだ。 舌打ちを堪えつつストローをアイスコーヒーにさして吸い上げると、何故か彼はテーブルの上で丈晃の手を握り締めて話し出した。 「それで?私を訪ねてきたってことは、物件探しよね?」 「もちろん」 「なんなら、私の部屋に引っ越してきてくれてもいいんだけど」 ストローを咥えたまま固まった汐月は、がらりと変化した男の言葉遣いに聞き入っていた。 「湊さん、まだ一人なんすか?」 「いやぁね。昔からたけがいいって口説いてるのに、いつになったら本気にしてくれるのよ」 丈晃の方は驚く様子もなく話していて、そういう事かと納得した。 「はは、いつもそうやって言ってくれて嬉しいんすけど、俺も相手が出来たんで」 目尻を垂らしながら告げた丈晃から、こちらへと顔を向けた男の表情は動かない。不気味に感じていると、スーツの胸ポケットから名刺入れを出した。 「遅くなってしまいましたが。私、矢追不動産の椎名湊(しいな みなと)と申します。たけとは大学で仲良くさせて貰ってました」 「...元宮です」 得体の知れない男だと感じた汐月は、名刺を受け取ったが名前を名乗るに留めた。 「まぁ、ご覧の通り私はこんな奴なんですが、たけは凄く懐いてくれてたんですよ」 どう返事をしろと言うんだ。と名刺から目を離さないでいた汐月に気がついていないのか、丈晃が腕を伸ばして肩を抱いてきた。 「それでですね、湊さん。俺、こいつと結婚するんで、一緒に住む部屋を探してるんです」 「ちょ、外ではやめろゆーてるやろっ」 「湊さんには大丈夫だって」 「そうやないわ!初対面やっちゅうねん!」 いつもの様に丈晃の顔を押して離していると、仲がいいのね。と言われた。 「仲良くねぇと結婚はしねぇでしょ」 「そりゃそうね。分かったわ。とりあえず新婚向けの部屋を見てきてあげる。ちょっと待っててちょうだい」 椎名が部屋を出ていって一安心した汐月は、丈晃の肩を叩いた。 「知り合いがおるって、なんで先に言わへんねん」 「別に不都合はねぇだろ。単に自慢したかったんだよ。湊さんはゲイだから、汐月との事も理解あるし」 あれは理解があるとは言わないだろう。はっきりと敵対心を向けられている。 「...丈晃さぁ、興味無いとこではめっちゃ鈍いんやな」 「...ん?どういう意味だ?」 「そのまんまやけど」 「ねぇ、たけ。マンションとかでいいのよね?戸建てもいいのあるけど」 資料を抱えて戻ってきた椎名からは刺々しさが消えていた。次々と広げられる間取りの資料に汐月も夢中になっていたが、丈晃がトイレに立つと話し掛けられた。 椎名はテーブルの上に肘をつき、値踏みするような目をしている。 「ねぇ、元宮さん」 「...はい」 「その訛りで思い出したわ。貴方がたけの初恋の子よね?」 「.......今、その話する必要あります?」 勝手に知られている上に不躾に踏み込まれるのは不快だ。思わず眉を寄せて睨む様に返事をしたが、鼻で笑われてしまった。 「ふふ、気の強そうな所はたけの好みど真ん中なのね。いい男なのに女の趣味が悪いから、よく振り回されてたわよ。...私にしていればそんな苦労もさせずに甘やかしてあげるのにねぇ。ノンケの男って見る目がないわよね」 椎名がどういうつもりなのか、腹は読めないが一つだけ判明した。彼は確実に汐月に喧嘩を売っている。 「ね、そう思わない?元宮さんも苦労したんでしょ?ゲイなんて性欲発散させるだけでも一苦労よね」 「...別に。そんな苦労した覚えありませんけど」 「可愛らしい顔してるものね。女の子顔してる子ってノンケとも寝やすいから羨ましいわ。私は体格のいい男を組み伏せるのが好きだから、なかなか理想の男は手に入らないのよねぇ。あ、元宮さんみたいなタイプってダメなのよ。小さくて可愛らしい子が苦手なの」 椎名の話し方では、モーションを掛けた汐月が断られた様に聞こえる。 大声で怒鳴り散らしたかったが、直後に丈晃が部屋に戻ってきたのでなんとか飲み込んだ。 「ねぇ、たけ。今元宮さんとも話してたんだけど、男同士だとNGって所あるのよ。昔よりはかなり受け入れられるようになったんだけどね」 「俺は二人で暮らせるなら特に何もこだわりはないんすよ。汐月は?見に行きたい部屋あったか?」 「.....沢山あるし、ようわからんくなってきた」 目の前で嘘をつかれて、腹立たしくなってきた。声に苛立ちが出ないようにと思ったが、上手く出来なかった。 椎名はそれに気がついたようだ。汐月にしか分からないように薄く笑った。 (むっ.....かつく!なんやねん!) 「汐月、ちょっと疲れたか?」 「.....や、そんな事ないねんけど...」 「嘘つけ。顔色悪いだろ。湊さん、途中でごめん。また改めて来てもいいっすか」 「勿論よ。名刺に私の番号書いてあるから、いつでも連絡して頂戴ね。遠慮しなくていいから」 ありがとうと礼を言う丈晃の言葉は、どことなく汐月の知らない親密さを漂わせた気がした。 「歩けねぇなら背負ってやるけど」 「平気やって。すぐにそういうことすんなってゆーてるやろ」 出口に向いて歩きながら肘で丈晃を離すと、本当に仲がいいのね。と後ろから言われた。 滞在時間はさほど長くはなかったのに、精神的に疲れてしまい、せっかくの土曜日の休日を台無しにした気分だった。

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